片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

企業情報システム50年 すみませんねえコンピューターが受け付けないんです

2015年08月20日 | 企業情報システムの50年
初めてコンピューターが導入されて、ものすごく便利になったはずななのに、必ず聞かれる言葉は「コンピューターが受け付けてくれない」だ。

それまではどのようなケースも人間が判断して、この場合にはこうしよう、その場合にはこうしようと、上司と相談しながら事務処理をやっていた。しかしコンピューター化するためには仕事のケースをすべて洗い出しその処理の仕方をつまびらかにしプログラムに落とし込まなければならない。プログラム化できなかったケースはシステムとしては受け付けられない。

電車の中でも「うちにもコンピューターが入ってね、いいんだけど仕事がやりにくくて」といった言葉がよく聞こえてきた。今はそんな声はどこからも聞こえてこない。それはコンピューターが無かった時代の自由を知らない人ばかりになったからだ。

やり手の営業部長がシュンとなってしまったという話もある。新規取引をすぐに始めようにもマスター登録してないとコンピューターが受け付けないとか、支払いサイトを相手に合わせて短くしてあげようとしてもコンピューターが受け付けないなど。これまで自分の裁量で無理すればできたことが、自分の上にコンピューターという上司がいるような感じになってしまったからだ。

私は、コンピューター化って本当に人のためになるのかなあという想いを持って仕事をしていた。もちろん企業のためにはなるのだけれど。



企業情報システム50年 初めにコードありき

2015年08月19日 | 企業情報システムの50年
有史以来、コンピュータが現れるまで、物や人に番号を付けて管理するということはほとんどなかった。
物には名前があり人にも名前があった。名前を呼べばそれで済んだ。
しかしコンピュータ処理をするには、それではあまりにも不便で非効率だった。そこで何から何まで番号を付けた。
社員番号、製品番号、部品番号、部署コード、役職コード、製品分類コードなどなど。名前を付けあぐねて区分番号とか項目番号などわけのわからないものもたくさんあった。
ともあれ、初めにコードありき、コードはコンピュータと共にあった。

最初、コードは自分の会社の中だけ通用すればよかった。
コンピュータは自社内だけで処理が完結しているから別にそれで問題なかった。しかし時代が下って、会社間で普通に取引が行われるようになると、商品コードなどは国または世界で唯一無二のコードをメーカがつけて出す時代が来た。

社員コードなど、本来は人間コードかも知れない。産まれたら国連から番号をもらってつけるくらいにしないとグローバル時代には支障が出る。

コードのことを考えると切りがない。
今コード体型を考えさせてもらえるような機会がエンジニアにあるだろうか。もうそんな貴重な体験ができることはほとんどないのではと思うと、今の人が少しかわいそうになる。


企業情報システム50年 はじめに

2015年08月19日 | 企業情報システムの50年
私が企業の情報システム化に携わって50年が経過した。
さまざまなことが走馬灯のように思い出される。
技術は実に進化したものだと思う。しかし企業情報システムの本質は何も変わっていない。ただデータを高速で出し入れし、四則演算で少しばかりの加工を加える程度だ。
本質は何も変わっていないのにそれを取り巻く技術や人や組織は大きく変化した。
それらについて思いつくまま書き連ねてみようと思う。
目次も作らずに船出するので、10回で終わるか100回まで行くかわからないが書いてみることにする。


東京オリンピックの年にオンラインシステムが日本で稼動しました。

2013年09月08日 | 企業情報システムの50年
1964年の東京オリンピックを目指して、新幹線や首都高速などが整備されました。
当時の三井銀行で最初のオンラインが始まったり、新幹線の切符の販売がオンラインになったのもこの年でした。
日本の未来は無限に広がっていた時代でした。
東京オリンピックはたただた華やかで誇らしく、とにかく興奮して見ていました。
私は多感な高校生でした。

今回のオリンピックは、違った意味で多くの人が待ち望んでいたと思います。
豊かな日本、世界最大の被災国日本、地球は有限だと気づいた日本、勉強だけができても幸せになれないと気づいた日本。
今回は大人になった日本で開催されるオリンピックとなります。

オリンピックは世界中が注目します。
この場を借りて日本から世界へ発信できるメッセージがあるはずです。
争いのない世界を提案できるのは、唯一の被爆国であり、戦争放棄の憲法を持つ日本の専売特許。

世界中が手を取り合って生きる社会の実現に向けて、オリンピックを利用して発信していきたいものです。

会計ソフトPCA社の創立者三島武一さんと渋谷でお昼

2010年04月24日 | 企業情報システムの50年
今は上場企業になっているPCA社。
1981年に渋谷の小さなオフィスで三島さんに会った日のことをありありと思い出しました。
シャーブのMZ80で会計ソフトが動いていました。
今は囲碁五段で近所の人に教える晴耕雨読の日々だそうです。
三島さんと別れてから写真を撮りました。
残念ながら三島さんは写ってません。
右がアーステミアの森岡さん、左がアヴァンティの伊藤さんです
ITの30年の歴史を行ったり来た入り、さらにドラッカーからIFRSまで、
話は尽きませんでした。