関西方面を大きな地震が襲いました。
犠牲者の中に、小学4年生の女の子がいました。
通学途中、学校の塀の下敷きになって亡くなるなんて。
あまりに痛ましくて、許せない事故のように感じ、胸ふさぐ思いに、私はなりました。
児童会の委員として、生徒に、朝の挨拶の声掛けをするために、いつもより早く登校したとのこと。
張り切って出かけた女の子の明るい気持ちが、手に取るように理解できます。
日頃の孫たちの暮らしに重なるからでしょう。
ブロック塀は違法建築だったに違いないと、私は推測できたゆえの怒りだったのですが。
その通りだったようですね。
学校は児童を教育することが使命であることはいうまでもありませんが、もっと大切なことがあります。
子供の命を学校にいる限り、守り抜くことではないでしょうか。
それなのに、違法の学校の塀で犠牲になるなんて、許せることではありません。
私は、孫が通う学校の建物の耐震構造がとても懸念され、娘に数年前、学校に説明を求めてはどう、と言ったことがありました。
何故不安になったかというと、窓に目に見える形で補強がしてあるからです。
外見上、とても見苦しいにもかかわらずです。
耐震面の不安を抱えた建物であることが、その様子から、明らかにわかります。
そのような補強でもって、一時凌ぎをしているように見えて仕方がない私。
見苦しい校舎を見る度に、私の心に不安がよぎります。
次女は、そんな要望をする父兄なんていないわよ、と言ってまるで相手にしてくれませんでしたけれどね。
避難誘導の訓練(数回、私は参加しました)も大切だけれど、校舎が倒壊することの方がもっと怖いです。
中国の四川省で大きな地震が起きたとき、校舎が潰れ、圧死で多くの児童が犠牲になりましたもの。
私には学校が地震の際にとった児童への対応で、嫌な思い出が他にもあります。
東日本大震災の時のことです。
親たちは出勤していましたから、何よりも孫たちのことが気になりました。
長女家の長男のR君のことです。
長女宅に電話したところ、なんとR君が一人で在宅中でした。
学校は、帰宅するかどうか,本人の意思に任せたようです。
私はそれを聞き、呆れ返りました。
小学生の児童が、地震から逃れるために、咄嗟に一人だけで正しい判断が採れるとはとても思えないからです。
学校側が、親が迎えに来るまで子供たちを守り抜く義務がある、と私は思いました。
親が深夜に帰宅するまで、R君はさぞかし怖い思いをしたことでしょう。
学校はあらゆる災害に備え、万全の対策を講じる義務があります。
大切な子供たちの命を預かっているのですから。
学校に限らず、日本の防災対策は、想定外の結果に見舞われる度に、後だしで進歩してきたような感じがしてなりません。
ブロック塀の調査に、慌てて今頃乗り出している状況も、まさにその通りですね~。
それでは遅過ぎです。
地震国、火山国、台風も多くて、自然災害は避けられず、宿命のような我が国。
いくら進歩したとはいえ、自然災害を科学技術で予防することはできないのでしょうが。
この方面の対策と技術に、日本の資本をもっともと注いで、世界で一番自然災害に強い国と言われるようになってほしいものです。
追記
この度の集中豪雨により、多くの犠牲者が出ました。
信じられない思いで、報道を観ています。
昨日は息苦しい症状がまた出て、自分の精神的ショックの大きさにも気付かされました。
犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。