この数年の間に、私は親しい友人を、三人も失いました。
さらに、遠い過去に遡りますが、大学時代の親友も、40代の時に失っています、
この度の親友との再会でも、
「あっちゃんがいれば、大学時代がそのまま再現できたのにね~」
と言い合いました。
キリスト教の信者だったあっちゃんの美しい大きな瞳は、独特の雰囲気をたたえていました。
いつも夢見るようで、天上に向けられている感じがしたものです。
その澄んだ目で時々、私はじっと見つめられました。
郷里も違い全く見も知らなかった人たちが親しくなっていく過程は、どんな風なのでしょう。
やっこちゃんの話では、私から声をかけたようです。
初めて出逢った時の私のキラキラ輝いた目が忘れられない、と話してくれました。
私は、自分が人づきあいが上手だとは全く思っていません。
どちらかといえば 苦手な方かも。
ニコニコ笑って、聞き役でいることの方が多いです。
自分から積極的に友人を作ろうとするタイプではありません。
でもこの人は、心から信頼できると判断すると、素直に自分の心を吐露できます。
その様な人に巡り逢えることは、めったにありませんが。
そういう人に出逢うと、特別努力しなくても、お付き合いが深まり、いつの間にか、一生の友と言っていい関係になっていました。
そういう間柄になった友達から、嫌な思いを受けたり、裏切られたことも一度もない私。
麗しい友人関係でずっといられました。
人生で一度のみ、友達作りの過程で、辛い思いをしたことがあります。
前記事でも、中高時代は暗い所があったと私は書きましたが、その理由の一つに、この友人関係が挙げられるれるかもしれません。
中学生の時、クラスに、学業も優秀で、私が敬愛してやまないクラスメイトがいました。
優しくて、思慮深く、物静かな雰囲気の方でした。
家も割と近かったので、私は、「本当の友達」になりたくて仕方なかったのですが。
しかしそのIさんは、他の三名の人と仲良しグループのような雰囲気となり、特別な親しさを醸し出すように。
私がそこに入れる余地は全くありませんでした。
とても傷ついたのを、今でもよく覚えています。
無視されたり、いじわるされたわけではなかったのだけれど、自分の気持ちを受け入れてもらえない辛さは、どうすることもできませんでした。
その傷心を中学生の間は、ずっと引きずってしまいました。
もっと成長してから、Iさんが私と本当の友達になることを拒んだ理由は、とてもよく分るようになりました。
奥手で、余りに世間知らず。
自我の確立が遅かった私は、根無し草のような雰囲気でしたから。
一方では、清純派タイプに見えたらしく・・・・・・。
花にたとえれば白百合なんて、よく言われたものです。
彼女は、親友の関係を築くには、わたしは幼過ぎて、きっと物足りなかったのでしょう。
その彼女と、卒業以来、初めてといっていい再会が、5~6年前にありました。
鳥羽方面に、小学校の恩師のお墓参りに、十名足らずの同窓生と出かけたときのことです。
実は彼女は、その恩師のお子様でした。
そのため、お墓に案内してくださったのです。
その後しばらくして彼女から、見惚れてしまう程に美しい筆跡のお手紙を頂きました。
お墓参りのお礼状だったのですが、最後に、とてもとても嬉しい言葉が添えられていました。。
それを読み、、過去の辛い思い出が完全に払しょくされたような思いになりました。
その言葉とは、
「どんなに素晴らしい人生を送っていらしたか、貴女を一目見て、すぐ分かりました」
というものでした。
余りに嬉しくて、ブログ上で、過去にすでにご紹介したことがあります。
Iさんは、茶道の先生として、ご活躍のようで、楚々とした優しい雰囲気は、中学生時代と全くお変わりなくて。
彼女は、きっとおそらく、中学時代の私を想い出されたのでしょう。
その印象がガラッと変わり、驚かれたのかもしれません。
私は夫の介護と腰痛で大変な時だったのですが、私の人生の軌跡を、賢明な彼女は、一目で理解して下さったようでした。
彼女からいただいた過分な言葉は、私の一生の宝物です。
いつかゆっくりIさんとお話しする機会を持ちたいものと、今では願っています。
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