この度の友のわが家訪問では、私の手料理を振る舞って上げたい気持ちは一杯あったのですが・・・・・・。
体力的なことが気がかりなうえ、時間的にも無理。
そのため、昨日書いたように、外食となりました。
今日の記事は、友のことではなく、タイトル通り、[舌が肥える」の言葉の意味を痛感した思い出について記します。
友からの思いがけない、嬉しい贈り物。
同様の食器をほぼフルセットで持っているので、何よりのものを戴き大喜びしてしまいました。
わたしからは、大判のレースのハンカチ他。
わが家は、レストランで夫婦二人、食事を愉しむといったことは、ほとんどありませんでした。。
夫は徹底した外食嫌い。
家庭の味を好む人でした。
会社で、接待やお付き合いの外食が多すぎた、その反動かもしれません
私が誘っても、絶対乗ってくれなくて。
外出先で、とても疲れているときは、少々悲しく思ったものです。
子供達と一緒の時だけは、嫌がらず共に愉しんでくれましたけれどね。
最近のわが家の夕食です。
ひじきずし・冬瓜のえびそぼろあんかけ・冬瓜の冷やし汁・いかとねぎのかきあげ・きんぴらごぼう・小松菜のおろし和え
レシピは、料理ブログにて記す予定です。
そのせいか、私も友人や妹共にする食事は別として、一人暮らしになってからも、外食を愉しむことはほとんどありませんが。
夫の墓参で郷里に戻った時、旅先でホテルに宿泊する時などは、贅沢な会席料理や、コースのフランス料理など、一人でもいただくのを愉しむようにしています。
一人で街中の高級レストランに入る勇気はありませんのに、宿泊客の特権の如く、ホテル内のお食事処だと、平気になれます。
ですから一流の味が味わえるそのチャンスは逃したくない私。
一人ですから一品一品の味をゆっくりと堪能もできます。
一流のお料理の味を知ると、舌が肥える、と言いますよね。
とは言っても、自分の舌が肥えたと実感することはあまりありませんでした。
家では、いつもレシピ通りに料理を作る私ですから。
レシピ通りに作っても、美味しい美味しくないの料理の選別はしていたでしょう。
その基準は確かなものになっていたかもしれません。
上等の味を知ると、それが刺激となって、私は料理に臨む気持ちが新鮮になり、作る楽しみが新たに湧いてきます。
今週は、1週間、次女家の旦那さまが海外出張で留守です。
そのため、長女家に代わって、次女家に奉仕しています。(笑)
お重箱に詰め、保冷袋に入れて、運びます。
この度のロイヤルパークホテルで友人と共に愉しんだ和食も、とても美味しくて、二人で感動しました。
その翌日の朝食も。
やっこちゃんは、バイキングが苦手とのことでしたので、朝食も和食処でいただきました。
ホテルの朝食
そしてお昼も、前もって私が予約していた近所の小料理屋へ彼女を案内しました。
店主さんは、とても雰囲気のいいかたで、一人で腕を振るい、お料理をこしらえられておられます。
私は二度ほど、利用したことがありますが、味は悪くない、と思っていました。
友の話では、長年のお得意さんがいて、閑静な場所に移ってきても、営業に差し障りはないみたいよ、とのことでしたが。
ところがどうしたことでしょう。
折角、やっこちゃんを案内したのに、その日のお料理は全く美味しく感じられませんでした。
天ぷらも、お刺身も、煮物も。
味がしつこい、天ぷらの衣が重た過ぎ、といった感じ。
理由はすぐ分りました。
ホテルで一流の夕食と朝食を頂いた直後だったからでしょう。
舌がとても肥えていたために、まずく感じてしまったようです。
私が申し訳なさそうにすると、お値段も違うから、仕方ないんじゃない、と言って慰めてくれました。
私達が訪れたタイミングのの悪さが、店主さんには、不運というべきなのかもしれません。
或は、その日に限って、手抜き料理だったのでしょうか。
私の住まいからほど近い所に、気の利いた和食処ができ、とても嬉しかった私ですが・・・・・・。
時々利用したい、との気持ちがすっかり失せてしまいました。
一流のものに触れ、それに慣れると、選別が厳しくなっていくのでしょう。
でも、それが良い事か悪い事かの判断が難しいですね。
庶民の味は、素朴で温かい。
ホテルの料理は、芸術の域で、気取りすぎのようにも。
どちらにしても、口が肥えるの言葉を実感した出来事でした。