今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

ストレス解消法の一策に過ぎませんが・・・・・・

2014-05-11 07:58:35 | 暮らし

初夏のような陽気で、汗ばむ日もあり、青葉が目に染みるこの頃。

日毎の若葉の成長に励まされるかのように、夫婦ともに、見かけは元気(笑)、穏やかな日々です。

夫の抗がん剤副作用も、意外にも今のところ、ほとんど表れておらず、食欲も旺盛。

私の2倍以上は食べてくれているでしょうか。

 

 ホタテのポアレ 春野菜添え

 

ところが実は私は、かなり前から、かって経験したことがないような食欲不振に陥り、「拒食症?味覚障害?」なんて一人で騒ぎ立て、旦那さまや妹に、心配をかけていました。

いえいえ、Yさんは孤高の人で、我関せずですから、然程気にかけていなかったのかも知れませんけれどね。

妹は、それなりに心配してくれたようで、

「その後、どう?」

等と、優しい言葉を時々かけてくれていました。

古希を迎えたころが一番ひどかったかしら。

ですから、ホテルでご馳走になったお料理も、美味しく感じられなくて、メニューもまるで覚えていません。

 

 

そういえば、60代最後の日、肋骨を骨折した時も、朝から食欲がまるでなく、食パンも紙を食べているような味気なさ。

昼食も抜き、ほとんど絶食状態で病院に駆けつけました。

その帰り、さすがに少々お腹が空き、私にしては珍しく、目に留まった病院近くの牛丼屋さんに入りました。

ずっと以前から一度は口にしてみたいと願っていた牛丼です。

でも、若者やサラリーマン向けのスタンド風のお店が多く、この年になるまで、入る勇気が沸きませんでした。

その牛丼屋さんは、ファミリー向けの店構えでしたから、思い切ってお店の中へ。

生れてはじめて頂いた牛丼屋さんの小丼。

味はまぁ~まぁ~でしたけれど、私には骨折と共に、忘れられない思い出になりました。

 

 

その後も食欲は相変わらず、全くありません。

けれど、私が好物の牛乳、アイスクリーム、ヨーグルト、フルーツジュース、果物といったジューシーなものへの嗜好だけは健在で、いくらでもお腹に入ります。

喉の渇きは、以前に比べると、正常に戻りつつありますが、麦茶などの飲料水も、かなりの量を飲んでいました。

そのため、期待した体重減は、1キロ程度でがっかり。

恐らく水太り状態なのでしょう。

それで、食欲もわかない、といった悪循環に陥ってしまっているのかもしれません。

 

異常な食欲不振で一番情けなかった事は、料理をしても、味が良く分からなくなってしまったこと。

そのため、何をつくっても張り合いも自信も持てなくて・・・・・・

調理をする意欲がなくなりそうでした。

けれど旦那さまは、実に食欲旺盛でした。

症状が、蛋白摂取を必要としましたので、朝、昼、夕と色々栄養価の高いものを調理するように心がけた私です。

 

最近、その食欲不振も多少改善され、安堵しています。

一方、旦那様は、少し食欲が落ちてきた感じで、いよいよでは、と気にかけています。

 

 たけのこご飯・なすのむらん煮・たこときゅうりの酢の物・小松菜の和風サラダ・たけのこの木の芽あえ・昨日の残り物の豚汁

 

人間の体って(自分の体と言い換えた方がいいかしら)、不思議なものですね~

自分では冷静にコントロールできていて、日常の生活を変わりなく送っていると思っていても・・・・・・

知らない内に、大きな影響下に置かれ、それが症状となって現れ、驚くことがあるものです。

 

たとえば、今回の半年以上にわたるといっても言いような食欲不振。

特に、ここ数カ月がひどかったのですが・・・・・・

これは明らかに、旦那さまの病気が心配だったこと、他にもネット上で煩わしい事があり、それが原因だったのかもしれません。

 

見かけは、気丈に明るく暮らしていたつもりでしたから、自分でも意外な症状に驚き、自分の弱さに、少々ショックを受けました。

体は正直に反応してしまうようです。

 

エレモフィラ

 

改めて自分の弱さを再認識するような出来事が、数年前にもありました。

今と同じような風薫る季節から夏にかけての出来事です。

ひどい息苦しさと首のだるさに見舞われました。

正常な呼吸が出来なくなったせいか、一時期、蚊の泣くような声しか発せられなくなりました。

息苦しさは、その後二年近く続き、私を苦しめるのですが・・・・・・

その症状が出始めた当時は、家族も大変心配し、大病院で、心電図その他の精密検査も受けました。

けれど、血中の酸素度も正常で、息苦しくなる原因は判明しませんでした。

 

そして、ある個人医院で医師から言われた一言に、大変なショックを受けた私です。

精神的な事が原因、と診断され、精神安定剤を処方されたからです。

 

思い当たることが、なかった訳ではありません。

旦那さまの肝臓がん治療が続いていたからです。

けれど、その時は手術も無事終わり、家族旅行を楽しんだ後のことです。

 

色々な疲れが後になって現れ、潜在的なストレスが、そのような症状を引き起こしたのかもしれません。

けれど、私は素直にはどうしても受け入れられず、精神安定剤は、1~2度服用しただけで、それ以上飲む気にはなれませんでした。

異常な眠気、集中力がなくなるなど、いやな症状が別に出てきたからでもありましたが。

私、そんなに弱い精神ではない、と強がっているところが多分にあったのが一番の理由で、薬剤には頼りませんでした。

 

 

 

息苦しさからやっと解放された頃、、今度は異常なのどの渇きに悩まされるようになりました

いずれの症状も、最近はすっかり改善され、元気に過ごせるようになっていたのですが・・・・・・

すると今度は、私は拒食症?、と心配になるほどの食欲不振。

一体私の体は、どうなってしまったのでしょう。

もし、旦那さまの病を心配する余りに、これらの症状が出てきたのであれば、少々不本意ながら、自分の心身ののデリケートさを認めざるを得ません。

 

但し、このような状況になっても、私には救いがあります。

精神は、さほど影響を受けないからです。

この表現には、語弊がありそうですね~

このような症状に見舞われるのは、心が大きな影響を受け、その不安が脳に指令を送り、いろいろと不可解な症状となって体に現れて来るのでしょうから。

 

 手前の花の名称は忘れてしまいました。去年植えた宿根草が、控えめに優しい小花をたくさん付けてくれました。

 

けれど言えることは、そのせいで心まで病んでしまったことは、一度もありません。

私はどんなに辛いことが起きても、暮らしのリズムは極力変えないように努めます。

そしてひたすら、自己免疫力を信じて、時間の経過とともに必ず良くなると自分に言い聞かせます。

悩み事にどっぷり浸からない。

無為に過ごして、悩みごとに縛られると、自分が苦しいだけですから。

そんな状況は私には恐ろしく、耐えられそうにありません。

ですから、必死に回避しようと努めます。

 

その一番良い方策が、日常の生活のリズムを変えないこと。

私の場合は、これに尽きます。

どうしても耐えられないときは、仮眠をとります。

或いは夜早く床に就き、ぐっすり休みます。

目を覚ますと、体調には変わりはなくても、気分は確実に入れ替わっていることがほとんどです。

 

息苦しさがひどく、顔つきまで変わって見えた時、旦那さまに、

「鬱になってもおかしくない辛さ」とよく言っていました。

 

それを回避できたのは、計画性のある日常の暮らしのリズムを崩さなかったせいでは、と思っています。

「計画は、将来の意志」という名言があるそうですが、私のはそんな大それたものではなく、日々の家事の目先の計画に過ぎませんが。

目先の目標をやり遂げようと言う意志の力が、私を強く支えてくれているようにも。

実際に私はそうやって、いろいろな悩みごとを乗り越えてきました。

 

ドリームラベンダー

 

しかし、私がこれまで経験してきた悩み事など、取るに足らないものだったのかもしれません。

絶望の極みのような悲しみや苦しみに直面した時、果たして自分が冷静に対処できるか、と自問自答すると・・・・・・

もともとは精神的に弱い私です。

全く自信はなく、今の対応で乗り越えられるとは、到底思えません。

 

生意気な事を書いてしまいました。

皆さまにも、それぞれのストレス解消法がおありの事と思います。

年を重ねても、プラス思考で明るく元気に日々を過ごせるといいですね~

そういう私は、ここ数日疲労が濃く、昨日は三時間もお昼寝を貪り、体がとても軽くなりました。

今日は元気復活です。(笑)

 

      

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