お出掛好きでない私が、最近は夫の通院に同行したり、入院時には足しげく病院に通ったりと、外出の日が多くなりました。
体の異変に気が付き、旦那さまが、私にその事を告げたのが、去年の夏の終わり、残暑まだ厳しい9月の初旬のことでした。
その後、間に短期の退院を挟み、延べ四カ月にも及ぶ入院生活を余儀なくされた夫です。
そして、春たけなわの頃の入院が最近終わったばかり。
手術の予定でしたが、肝臓へのがん転移発覚により、抗がん剤治療が始まり、予期せぬ二週間という短さでした。
新たな病との旦那さまの闘いは、まだ序の口、当分気が許せない長期戦を覚悟しています。
最近、二度ほど夫の病について、かなり詳しく綴りました。
今回の記事も、多少関連はありますが、話題の視点は異なります。
T大病院
放射線治療の思わぬ強い副作用で、夫は長い期間の入院となり、晩夏、秋、冬、春とほぼ1年間の四季がその内に巡りました
夫のがん再発は、悲嘆にくれる程、不運なことでしたが・・・・・・
一方、幸運な事もありました。
病院に出かけ、T大学の構内に身を置く度に、それぞれの季節の情趣を体感でき、心から堪能する、といった機会に恵まれた事です。
その上、私を除く家族の母校でもありますから、その感慨は、ひとしお。
学生の頃の夫や、娘達、婿の姿を心に描き・・・・・・
彼らの青春の思い出を踏み締めて歩いているかのような感覚にとらわれることがありました。
秋の紅葉に彩られたキャンパスの美しさは、今も目に焼き付いて離れません
銀杏並木が黄金色に輝き、その落ち葉のじゅうたんを踏みしめながら病院へと向かった私です。
銀なんの匂いは、少々苦手でしたけれどね。
いつもは、その並木路に通じる赤門周辺と病院までの光景を、目を遊ばせながら、束の間楽しむだけでしたが・・・・・・
二度ほど、夫が入院する病棟を抜け出して、デジカメのみ持参で、キャンパスの一角を散策し、シャッターを押しまくった事がありました。
病院のある医学部周辺だけでなく、Y講堂に通じるT大のメイン通り界隈も。
法学部と文学部の建物に挟まれた銀杏並木です。
その突き当りに、威風堂々とした安保闘争でも有名なY講堂があります。
私が散策した当時は、その講堂は工事中でしたが・・・・・・
それ以来、訪ねていないので、その変化を見届けていません。
次回の夫の抗がん剤治療で入院する際にでも訪ねて、写真に収め、ブログでご紹介させていただきますね。
キャンパス内では、実に趣のある重厚な建物を至る所で目にする事ができます。
周りの樹木とのコラボで、まさに、どこを切り取っても絵ハガキになる美しい光景ですが。
夫が入院して間もない頃、パパのお見舞いに行った次女が、
「K君に母校を案内しようとしたところ、そこらじゅう工事中なの。
自分が在学していた頃とは景色が変わっていて、迷子になってしまいそうだった」
と言っていました。
残念なことですが、伝統ある大学とは言え、古い建物が、近代建築へと変貌するのは避けられないことなのでしょうか。
旦那さまの症状の目まぐるしい変化の中、心配の尽きない私が、病院に通い続ける内にも、景色の色は次第に変わっていきました。
晩秋から初冬へと。
落葉樹は葉を落とし、凛と冬の空に枝を広げてそびえたつ樹木。
その冬の構内の景色も、実に清々しく、心惹かれる光景だったのですが、冬が大層苦手な私です。
コートの襟を立て、黙々と歩き、温かな病院を目指すのが精いっぱいで、この季節の風情を楽しむ心の余裕は、余りありませんでした。
そして初めてT大で迎えた春の季節。
私の感動は、秋を遥かに超えています。
芽ぶきから百花繚乱の春たけなわへと移行する時期。
そして今は、青葉の五月
この期間の清々しさ、爽やかさ、鮮やかさは、格別のものがあり、本当に美しい季節です。
新しい命が生まれいずる啓蟄の頃。
その自然界のエネルギーが大きな力となって、旦那さまの回復も助けてくれる、との気持ちが私には強くありました。
暦の上では、三月初旬を指す言葉ですが、実際は4月の中頃とか。
そんな話題を励ましのつもりで、幾度か旦那さまにもし、いつも以上に心待ちにしてきた春です。
先週の金曜日、病院に出かけた時は、珍しく午前中の受診で、我が家を8時過ぎに出て、T大の赤門を通り抜けたのが、十時過ぎでした。
その時間帯が良かったのかもしれません。
或いは、その前々日の雨の名残で、樹木の葉が洗われ、空気も澄んでいたのでしょうか。
常緑の濃い緑、新緑の鮮やかな明るい浅緑、そして五月の青葉。
その緑のグラデーションの何と美しかったことか。
つつじの赤い花、春の色とりどりの草花も、まだ幾種か咲き乱れ・・・・・・
青空には綿菓子のように真っ白な雲がぽっかりぽっかり点在するように浮かんでいました。
そのきらきら輝く光景に包まれた、別天地のような場所に身を置いた私。
旦那さまの病気の事が、どこかに吹っ飛んでしまうほどの感動で、心が震えました。
けれど、旦那さまは、それを共に喜んでくれるような情緒は持ち合わせない人。
一人で感激し、、Yさんには実に現実的な言葉をかけました。
「こんな日に、カメラを持っていないなんて、残念過ぎるわ」と、結構大きな声で、嘆息混じりに言った私です。
思わぬ契機で、それまで通っていた渋谷のN病院からT大病院に転院することになった夫です。
遠方ゆえに、かって念頭に浮かんだことなど一度もない病院でしたが。
そのお陰で、逆境の中、思わぬ癒しと喜びに浸ることができている私です。
神様に、この恩恵を心から感謝しなければ、といつも思っています。
近所の里山に、たまに出かけることがある私ですが・・・・・・
美しい光景ながら、人影がまばらで、臆病な私は、散策中、心なしか不安が付きまといます。
その点、大学のアカデミックな落ち着きあるキャンパスの広大な自然は親しみやすく、私にはとても魅力的。
その上、なぜか学生の姿は少なく、実に静かな環境です。
この年になり、幸運な素敵な出逢いができた事を、心から喜びましょう。
もっともっと、この巡り会いを大切にしたいところですが・・・・・
病院通いの日は、旦那さまの病を心配する余り、心の余裕を失いかけている日も多く、
その自然の情趣を十分味わい尽くしているとは、到底言えません。
我が家の小さなお庭においても、残念ながら同様の私です。
植物は生き物ですから、手を抜くと、たちまちか弱い草花の命は途絶えてしまいます。
多忙な暮らしの中、水やりや花がら摘みは怠らないようにしてきたつもりですが・・・・・・
十分その美しさを堪能し、一つ一つの草花を愛しんできたかといえば、そうとは言えません。
バコバ・パンジー・ガーデンシュクラメンのハンギングバスケット
ユキヤナギ、赤木蓮、花水木が春を告げ、その後花壇に春の色とりどり花が咲き始めました。
一斉に咲き揃った頃の美しさは、予想以上の楚々とした華やかさで、私はとても満足していました。
けれど、日々の生活に追われ、庭に出て、それぞれの花を落ち着いて愛でる時間的余裕はありませんでした。
その間に、アジュガは色あせ、水仙の花も散ってしまい、花水木の花も、終わってしまいました。
花壇は、明らかに一番美しい峠を越え、次第に緑が多くなってきています。
精一杯、美しい花を咲かせ、私の期待に応えてくれた草花に、、忙しさに紛れ、とても冷淡な対応をしてしまった。
そんな後ろめたさが、多少あります。
日当たりが余りよくないためか、パンジーも花数が少なくなり、寂しい限りです。
こんな暮らしでは、いけない。
残り少ない余生、T大病院に出逢えた幸運を、もっと生かしたい。
庭にも、一層目を向け、自然と紛れたいもの、と。
日本に生まれたからには、日本人の心の原点の一つとも言える四季の美しさを満喫しないのは、余りにもったいなさ過ぎますものね~
ブロガーとしての心意気が、その意欲を高めてくれるといいのですが・・・・・・
そのためにも、家事は効率よくこなし、心と時間に十分な余裕が持たなくては。
それが、大問題の今の私の暮らしです。
言葉ばかり先行の私。(笑)
有言不実行では、情けない事ですが、思いが溢れるだけでも、良しとします。
ご訪問いただきまして有難うございました。