5月11日は母の日でした。
母の日の起源は、1907年、アメリカ・ウェストバージニア州で起きた事。
そこに住んでいた、亡き母を敬愛する娘アンナが、母を偲ぶ会で、母が好きだった白いカーネンションを贈ったことに由来するそうです。
カーネーションの花言葉は「母の愛情」、そして5月の誕生花。
キリスト教の教えでは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアは涙を流し、その涙の跡に咲いた花がカーネーションの花であるとされているそうです。
検索で知った知識ですが、麗しい由来があるのですね~
そんな母の日、皆様は、如何お過ごしでしたか。
私は、今の私の年齢より、六歳上で母を亡くしましたが、高齢のお母様がご存命中で、何かと気を遣っておられるお宅も多い事でしょう。
羨ましい限りです。
私は、割と早く両親を失い、「親孝行をしたい時には親はなし」を、折々で実感してきました。
先日、病院の帰り、久しぶりに途中下車してデパートに寄った時のこと。
エレベーターの中で若いお母様方お2人が交わしておいでの会話に、思わず聞き耳を立て、微笑んでしまいました。
「もうすぐ母の日ね~
プレゼントもう用意した?
私はまだなの。
焦っちゃうわ~
そろそろ決めないと、間に合わなくなっちゃいそう~」
母の日が近づくと、このように多少のプレッシャーを感じるお子様は、多いのかもしれません。
感謝の思い以上に、形式にこだわる慣習が幅を利かせ・・・・・・
それに乗じた花屋さん、その他のお店は、この時とばかりに値上げしたカーネーション等を売りさばく。
慣習を大切にすることが悪いことでは全くありませんが、それを従順に守るも守らないも、お子様の性格によるところが大きいのでしょうね~
母の日に贈り物がないからといって、親への愛情が薄いなんて事には全くならないでしょう。
私と妹は性格的にも毎年、この行事は無視できず、必ずこの日には二人で一緒に選んだものを、郷里の母に送り続けていました。
前述の、デパートのエレベーターにおける若いお母様方の会話そっくりの事を、母の日が近付くとお互いに言い合っていましたね~(笑)
二人とも、都内在住の期間が長かったため、いつも待ち合わせ場所は渋谷.
子育て真っ最中の頃は、引き連れた幼子達がぐずるのを宥めながらの、プレゼントの物色でした。
選ぶ優先権は、姉の私にあったようにも。(笑)
満足できる贈り物が早く決まると、その後の一服のお茶がとても美味しく感じられ、安堵で2人の会話が弾んだものです。
父と二人、子供から遠く離れて暮らす母を思い、その話題も尽きませんでした。。
或る母の日に、妹と二人で選びプレゼントした贈り物を、今でも一つ記念に私は大切に保管しています。
母が殊更喜び、愛用したセーターで、とても似合っていました。
下にアップした画像がそのセーターです。
とてもチャーミングで美しく、お洒落な人だった母。
それだけに、選ぶのにも苦労した私達ですが。
そう言えば、同居し認知症を患っている頃に、贈ったものもありました。
春に着る薄手のガウンです。
子供に帰った母の美しい純真な笑顔と共に、それを手にした時の母の嬉しそうな姿が蘇り、今も偲ばれます。
もしかすると、母に日ではなく、お誕生日プレゼントだったかもしれません。
思い出話は、これくらいにして・・・・・・
私も、すでに年老いた母親でした。(笑)
恐らく、私達同様に、見捨てられない行事なのでしょうか。
娘達は、毎年贈り物を届けてくれます。
当日は、体調が今ひとつであったにもかかわらず、旦那さまの入院を翌日に控え、大層忙しく、母の日であることはすっかり忘れていました。
長女から、最初に宅配でプレゼントが届き、初めて気が付いた私です。
夕暮れ時に、次女もK君の野球練習終了後に、プレゼントを直々手渡しに、我が家に寄ってくれました。
もしかすると、慣習に従っただけの形式的な贈り物?(笑)
たとえそれでも、やはり、とても嬉しいです。
感謝の気持ちを込めて、心からありがとう!
さて、中身は何でしょう。
時には、皆さまには秘密にしましょうかしら。(笑)
ここ2~3日、これまでの疲れが一気に噴き出しているのでしょうか?
体力が続かず、少々情けない思いで暮らしています。
それなのに、数日後に大イベントが待ち構えている我が家。
旦那さまの医療費がかさみ、心配事で取り込んでいる最中に、わざわざとの思いもありますが・・・・・・
色々な事情から止むを得ず、一大決心をして、臨むことになりました。
この件については、また後日お知らせ致しますね。
そんな訳で、体調が悪いといって、ぐずぐずしているわけにはまいりません。
病院にも、また出かけないといけませんし
母の日に届いたプレゼントを励みにして、家事と旦那さまの介護、一大イベントに、新たな気持ちで元気に臨みましょう。
ご訪問いただきまして有難うございました。