生活保護をゴマ化し、老人をだまし障害者を食い物にする卑怯者がいる一方で、制度のはざまで泣く人は多い。
むしろ公的扶助を受ける正当な権利を有する人こそ、その生存権すら実現できずにいる。
インチキ野郎の存在は、必死で働く人にとって忌まわしい存在だ。
読者はこの文を読みながらも、抽象化された表現に関心を示すことは少ない。僕は徒労感も大きい。しかし、必ず共鳴していただける確かな層がいて下さるので僕のエネルギーとなっている。
今回ばかりは事実のインパクトが大きすぎた。
日本とはなんという国だろう。勝者の勝者による勝者のための国だ。僕には偶然が重なった悲劇には思えないのだ。みんな敗者なんだ。二人でじゃんけんをして二人とも勝つことはできない。10人でも100人でも競争という勝負がある限り勝者は一人だ。
だから勝者には社会的責任が生じることを、この国は軽視している。負ける人がいなかったら誰も勝つことはできないのだぞ。
引用を短くしようと努力したが、これ以上はできなかった。デイリー新潮さんには申し訳ないが僕は伝える責務を感じます。
(以下引用 抜粋)
「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」デイリー新潮編集部 4月8日
1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。
母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。
2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。
「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。
長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。
それから約10年後の2015年。
(毎日新聞の記者が)数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
自殺だった。琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。