連休明けの火曜日から続いた雨もようやく上がり、この日は久しぶりの青空が見えました。出勤前に新橋の様子を見て
まいりました。
川端通りから入った所の染井吉野は、まだ三分咲きといったところです。
白川に掛かるこぶしは、一部を残して散っておりました。
縄手の橋から
新橋通りは、桜の期間中縄手、花見小路間が歩行者専用になります。
たん熊の先輩の祇園・琢磨の前の枝垂れ桜は満開になっておりました。
昨日の時点では、上の写真の枝垂れとこの歌碑の横の二本だけが満開に近い状態でした。
昭和30年、吉井 勇、谷崎潤一郎らによって建立された歌碑で、歌碑に刻まれている歌は、吉井勇の作で「かにかくに
祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」です。この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を
担当した「スバル」という雑誌にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されております。
巽神社前は、ちらほら咲き始めです。
まいりました。
川端通りから入った所の染井吉野は、まだ三分咲きといったところです。
白川に掛かるこぶしは、一部を残して散っておりました。
縄手の橋から
新橋通りは、桜の期間中縄手、花見小路間が歩行者専用になります。
たん熊の先輩の祇園・琢磨の前の枝垂れ桜は満開になっておりました。
昨日の時点では、上の写真の枝垂れとこの歌碑の横の二本だけが満開に近い状態でした。
昭和30年、吉井 勇、谷崎潤一郎らによって建立された歌碑で、歌碑に刻まれている歌は、吉井勇の作で「かにかくに
祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」です。この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を
担当した「スバル」という雑誌にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されております。
巽神社前は、ちらほら咲き始めです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます