世界遺産醍醐寺は真言宗の寺院で、貞観16年(874年)空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音(じゅんてい
かんのん)並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けました。
山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後(この場所を「上醍醐」と呼称します)、醍醐天皇
は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍
「下醍醐」が発展することになりました。
その後応仁の乱など相次ぐ戦争で下醍醐は荒廃し、五重塔しか残らないありさまであった。しかし豊臣秀吉による「醍醐
の花見」をきっかけに紀州などからの寺院建築の移築や三宝院の建設などにより今日見るような姿となっている。
相当広大なので、上醍醐までは回れませんでした。
山門を入り三宝院を左に見ながら、右手の霊宝館に向かいました。
霊宝館に入った所の桜は、染井吉野だと思いますが、まだ三分咲きでした。
山門を入り左手に進みますと休憩所があり、その前の枝垂れです。
この日は、曇り空で太陽が隠れておりましたので、桜が空の色と同化してしまい鮮やかさ
に欠けてしましました。背景が青空だと写りが全然変わってくるのですが残念でした。
霊宝館の本館の裏手の平成館の前の醍醐寺随一の枝垂れです。
この桜は、平成館の中からもガラス越しに見ることが出来ます。
本館横の桜
北の空は、徐々に青空が広がってまいりましたが、太陽はまだ雲の中です。
霊宝館を出て、仁王門に向かいます。写真の枝垂れは霊宝館を外から見たところです。
醍醐寺の入り口の仁王門
阿吽の金剛力士像
金堂(国宝) 平安時代後期の建立で豊臣秀吉の発願により紀州から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開
始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)に落慶しております。『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州湯浅(和歌山県湯
浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であったと云われております。
清瀧宮本殿と拝殿
五重塔(国宝) 天暦5年(951年)建立で、承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために第三
皇子の代明親王(よしあきらしんのう)が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画されましたが、代明親王の死去(937
年)などがあって工事は停滞し、完成したのは発願の20年後になってしまいました。総高38メートル。うち相輪部が12.8
メートルで、全体の3割以上を占めております。
京都に残る数少ない平安時代建築として貴重であるとともに、初重内部の両界曼荼羅と
真言八祖を表した壁画も平安絵画の遺品として重要であり、塔本体とは別に「絵画」として
国宝に指定されております。
金堂
醍醐寺の帰り道、やっと陽が射してきてくれましたが、少し時間が遅すぎました。
三宝院は、中に入らずに山門から覗くだけにしておきました。
理源大師聖宝が、最初にお堂を建立されたと云われる、上醍醐の山並みです。
醍醐寺には、17もの国宝があり、重要文化財は63657点もが所蔵されております。
国宝 薬師三尊像 薬師堂の本尊です。 重文 千手観音立像 創建まもなく上醍醐にあんちされたと云わ
れております。
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