壬生寺(みぶでら)は、四条壬生川を西南に下がったところにある律宗・大本山の寺院で本尊は地蔵菩薩が祀られてお
ります。開基は園城寺(三井寺)の僧・快賢で中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える
寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られております。
四条坊城通りの祇園梛神社の露天のところから南に下がって行きます。
節分会は、毎年2月2日から4日まで開かれ、この日は壬生狂言のほか護摩木焚きが二時から行われました。
和菓子屋さんも新撰組を冠にした商品を揃えておられます。
鶴屋の甘味処の奥には、壬生浪士が駐屯した八木邸住宅があり、有料で拝観できます。
露天では、壬生狂言の中で行われる焙烙割のための厄除け奉納焙烙が売られております。
壬生寺表門
壬生寺の塔頭である中院は、古名を中之坊と呼ばれ、1624~1643年に、本良律師により創建されたものです。
本尊は、十一面観世音菩薩で鎌倉時代の壬生寺再興時に、平政平の発願により新造された諸仏の内の一体です。
明治時代には律宗の修業道場として使われてきました。
本堂
本堂南側の千体仏塔
本堂前では、護摩焚きの準備が整い山伏の方の点火を見守っております。
法灯から松明に火が移され点火されます。
護摩木に点火されますと凄まじい勢いで煙が立ち上り、辺り一面を覆ってしまいました。
風下の方は、煙がもろに掛かり涙を浮かべながら咳き込んでいるかたも多数居られました。
壬生狂言は、節分の2・3日に一時から一時間おきに8回行われます。狂言が行われる大念仏堂。
壬生狂言とは、「今から7百年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)がはじめたものです。
当時円覚上人に教えを来聴する大衆が数十万にも及んだので、人々は「十万上人」とよんでいました。上人は、正安2年
(1300)壬生寺において「大念佛会」という法会を行いました。このとき上人は、無言劇に仕組んだ持斎融通念佛を考えつき、
これが壬生狂言の始まりと伝えられています。」
護摩焚きが行われている境内の東側、表門から入ればすぐ右手に水掛地蔵と(左)弁財天堂(右)があります。
水掛地蔵菩薩 柄杓で水を掛けてから拝んでおられます。
弁天堂の東側
阿弥陀堂の中から、新撰組浪士の墓石がある壬生塚に入ることが出来ます。
壬生塚は、境内の池に浮かぶ中ノ島にあり新撰組関連の遺跡となっております。
三橋美智也氏の「あゝ新撰組」の歌碑 歌が流れるようになってます。
表門への帰り道です。 京都の節分会は吉田神社とこの壬生寺が特に有名で両方を回られる方が大変多いです。
不景気と言う厄を払うため3日の日も、毎年伺う山科の毘沙門堂に行ってまいりました。
ります。開基は園城寺(三井寺)の僧・快賢で中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える
寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られております。
四条坊城通りの祇園梛神社の露天のところから南に下がって行きます。
節分会は、毎年2月2日から4日まで開かれ、この日は壬生狂言のほか護摩木焚きが二時から行われました。
和菓子屋さんも新撰組を冠にした商品を揃えておられます。
鶴屋の甘味処の奥には、壬生浪士が駐屯した八木邸住宅があり、有料で拝観できます。
露天では、壬生狂言の中で行われる焙烙割のための厄除け奉納焙烙が売られております。
壬生寺表門
壬生寺の塔頭である中院は、古名を中之坊と呼ばれ、1624~1643年に、本良律師により創建されたものです。
本尊は、十一面観世音菩薩で鎌倉時代の壬生寺再興時に、平政平の発願により新造された諸仏の内の一体です。
明治時代には律宗の修業道場として使われてきました。
本堂
本堂南側の千体仏塔
本堂前では、護摩焚きの準備が整い山伏の方の点火を見守っております。
法灯から松明に火が移され点火されます。
護摩木に点火されますと凄まじい勢いで煙が立ち上り、辺り一面を覆ってしまいました。
風下の方は、煙がもろに掛かり涙を浮かべながら咳き込んでいるかたも多数居られました。
壬生狂言は、節分の2・3日に一時から一時間おきに8回行われます。狂言が行われる大念仏堂。
壬生狂言とは、「今から7百年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)がはじめたものです。
当時円覚上人に教えを来聴する大衆が数十万にも及んだので、人々は「十万上人」とよんでいました。上人は、正安2年
(1300)壬生寺において「大念佛会」という法会を行いました。このとき上人は、無言劇に仕組んだ持斎融通念佛を考えつき、
これが壬生狂言の始まりと伝えられています。」
護摩焚きが行われている境内の東側、表門から入ればすぐ右手に水掛地蔵と(左)弁財天堂(右)があります。
水掛地蔵菩薩 柄杓で水を掛けてから拝んでおられます。
弁天堂の東側
阿弥陀堂の中から、新撰組浪士の墓石がある壬生塚に入ることが出来ます。
壬生塚は、境内の池に浮かぶ中ノ島にあり新撰組関連の遺跡となっております。
三橋美智也氏の「あゝ新撰組」の歌碑 歌が流れるようになってます。
表門への帰り道です。 京都の節分会は吉田神社とこの壬生寺が特に有名で両方を回られる方が大変多いです。
不景気と言う厄を払うため3日の日も、毎年伺う山科の毘沙門堂に行ってまいりました。
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