とうとう連休も終わってしまった・・
毎度のことながら・・何をやってたんだか・・人生の半分以上は無駄に過ごしてるなとおもうこのごろである。
そういえば今朝の通勤電車、思った以上に遅れた。まあ連休の谷間の通勤は恐ろしいほど定刻どおりに運行していたけれど・・
kおばちゃんの朝利用する電車はなんと10分遅れ!遅れれば遅れるほどお客さんが増えてきて・・余計混む・・という悪循環。
でも、原因は『お客様混雑』!まあ連休中にみんな電車の乗り方忘れちゃったのね!損な理由でも車掌さんは「遅れまして大変申し訳ありません」と車内放送。どっちかというとこっち(お客さん)の責任なんですけどね。とにかく謝っとかないとなにかと都合が悪い日本の社会ですね。
日本の旅行ネタ・・まだあるんだけど、一休みしてこの前ちょっよ気になったというか『へーそうだったんだ!』と思ったことを忘れないうちに書いておこう。
昨年の6月26日のブログにベルリンへ行ったときめぐった美術館のことを書いた。そう旧国立美術館 (ALTENATIONALGALERIE)だが、そのときに印象に残った絵のことをちょこっと書いたのだが、最近になって『ああ、やっぱり!』と思うことを知ったkおばちゃん。まあ、無知ね!といわれてしまえばそれまでなんですけど・・(実際に無知です)
知り合いからリタイアした記念に書いた音楽に随筆を頂いた。なかなかユニークな方なのだが・・そのなかにある曲の構想というか着想について書かれていたのを読んで・・ああなるほどと思ったkおばちゃんなのですが・・
それは冒頭の画像のArnold Böcklin『死の島』のこと。前のブログにも『物凄い妖気の漂ってくえう絵画だった。』ってkおばちゃんも記述したけど・・この絵をモティーフにして作曲をした音楽家が少なくとも3人はいたようである。
一人はマックス レーガーMax Reger。二人目はHeinrich Schulz-Beuthen(よく知らない)。そして大物ラフマニノフSergei Rachmaninowである。そして表題もずばり『死の島』Die Toteninsel という交響詩であるが・・・残念ながらkおばちゃんの頭の片隅にしか残っていない曲・・・ごめんなさい。
このラフマニノフ氏は1897年に初演され交響曲第1番は散々な酷評で自信喪失してしまったが、1901年のピアノ協奏曲第2番は大好評。その後1902年には結婚してとかなりハッピーな時期のあと、1904年に指揮者としてボリショイ劇場で精力的に仕事をし、1909年のピアノ協奏曲第3番と同時期くらいに書き上げたのかなあ?なんて勝手に思っているkおばちゃん。
なんでも、ラフマニノフ氏自身がに見たのは本物ではなくコピーの白黒版だったということで、『もし本物を見てたら作曲しなかった(明るい色調なので)』というようなことを言ったとか・・
でもこの絵画『死の島』はオリジナルが5枚あるそうで、kおばちゃんがベルリンで見たのは1883年の3番目の作品だとか。そのほかの作品は1880年のスイスのバーゼルに所蔵されているもの、同年のニューヨークに所蔵されているもの。そして、1886ライプツィッヒに所蔵されているものが現存しているが、4番目の1884年の作品は残念ながら第二次世界大戦のときロッテルダムで消失してしまったということである。
ラフマニノフがどの絵のコピーを見たのか・・知らないけれど、ベルリン所蔵の物以外は意外と暗め・・だと思うのですが・・
それにしてもこのBöcklinさん、この前も書いたが『死』と言うテーマがお好きなようで、この『死の島』の隣にも自らと死神を描いた作品があった。
それがこれ・・
印象派の時代を生きた画家さんなんですけどね・・(あ、彼は印象派ではもちろんありませんが・・)
毎度のことながら・・何をやってたんだか・・人生の半分以上は無駄に過ごしてるなとおもうこのごろである。
そういえば今朝の通勤電車、思った以上に遅れた。まあ連休の谷間の通勤は恐ろしいほど定刻どおりに運行していたけれど・・
kおばちゃんの朝利用する電車はなんと10分遅れ!遅れれば遅れるほどお客さんが増えてきて・・余計混む・・という悪循環。
でも、原因は『お客様混雑』!まあ連休中にみんな電車の乗り方忘れちゃったのね!損な理由でも車掌さんは「遅れまして大変申し訳ありません」と車内放送。どっちかというとこっち(お客さん)の責任なんですけどね。とにかく謝っとかないとなにかと都合が悪い日本の社会ですね。
日本の旅行ネタ・・まだあるんだけど、一休みしてこの前ちょっよ気になったというか『へーそうだったんだ!』と思ったことを忘れないうちに書いておこう。
昨年の6月26日のブログにベルリンへ行ったときめぐった美術館のことを書いた。そう旧国立美術館 (ALTENATIONALGALERIE)だが、そのときに印象に残った絵のことをちょこっと書いたのだが、最近になって『ああ、やっぱり!』と思うことを知ったkおばちゃん。まあ、無知ね!といわれてしまえばそれまでなんですけど・・(実際に無知です)
知り合いからリタイアした記念に書いた音楽に随筆を頂いた。なかなかユニークな方なのだが・・そのなかにある曲の構想というか着想について書かれていたのを読んで・・ああなるほどと思ったkおばちゃんなのですが・・
それは冒頭の画像のArnold Böcklin『死の島』のこと。前のブログにも『物凄い妖気の漂ってくえう絵画だった。』ってkおばちゃんも記述したけど・・この絵をモティーフにして作曲をした音楽家が少なくとも3人はいたようである。
一人はマックス レーガーMax Reger。二人目はHeinrich Schulz-Beuthen(よく知らない)。そして大物ラフマニノフSergei Rachmaninowである。そして表題もずばり『死の島』Die Toteninsel という交響詩であるが・・・残念ながらkおばちゃんの頭の片隅にしか残っていない曲・・・ごめんなさい。
このラフマニノフ氏は1897年に初演され交響曲第1番は散々な酷評で自信喪失してしまったが、1901年のピアノ協奏曲第2番は大好評。その後1902年には結婚してとかなりハッピーな時期のあと、1904年に指揮者としてボリショイ劇場で精力的に仕事をし、1909年のピアノ協奏曲第3番と同時期くらいに書き上げたのかなあ?なんて勝手に思っているkおばちゃん。
なんでも、ラフマニノフ氏自身がに見たのは本物ではなくコピーの白黒版だったということで、『もし本物を見てたら作曲しなかった(明るい色調なので)』というようなことを言ったとか・・
でもこの絵画『死の島』はオリジナルが5枚あるそうで、kおばちゃんがベルリンで見たのは1883年の3番目の作品だとか。そのほかの作品は1880年のスイスのバーゼルに所蔵されているもの、同年のニューヨークに所蔵されているもの。そして、1886ライプツィッヒに所蔵されているものが現存しているが、4番目の1884年の作品は残念ながら第二次世界大戦のときロッテルダムで消失してしまったということである。
ラフマニノフがどの絵のコピーを見たのか・・知らないけれど、ベルリン所蔵の物以外は意外と暗め・・だと思うのですが・・
それにしてもこのBöcklinさん、この前も書いたが『死』と言うテーマがお好きなようで、この『死の島』の隣にも自らと死神を描いた作品があった。
それがこれ・・
印象派の時代を生きた画家さんなんですけどね・・(あ、彼は印象派ではもちろんありませんが・・)