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2002年一橋大学第1問 解答例

2021年02月11日 | 論述問題
2002年 一橋大学本試【3】日中戦争と朝鮮支配
解答例
A:1900年山東半島を中心に仇教運動を展開した義和挙が蜂起した。この宗教団体は扶清滅洋を掲げ、反帝国主義的要素を持っていた。そのため保守的な政権である清朝西太后政権は義和団を支援して列強に宣戦した。これに対し列強8か国は共同出兵して清に勝利を収めた。その結果、清朝と列強は1901年北京議定書を締結し、列強は清朝から北京における駐兵権を獲得した。また北京議定書では多額の賠償金を獲得している。

B:1910年初代朝鮮総督寺内正毅は武断政治をとり、日本語を強制し土地を没収するなど強権的に統治した。しかし第1次世界大戦後の民族自決の潮流の中、1919年三・一独立運動が発生。これを契機に日本は文化政治に転換した。その中で創氏改名や神道の強制といった皇民化政策すなわち同化策が展開された。1937年日中戦争が全面化すると、朝鮮人は義務において日本人と同様に扱われ、戦場や後方支援、各地の軍事工場などに強制連行された。

2014年 一橋大学 第1問 解答例

2021年02月11日 | 論述問題
2014年一橋大学 第1問 解答例

百年戦争は長期化し領主階級に負担が広がり、イングランドでも戦費を調達するために農奴に税がかけられた。13世紀に十字軍遠征により広域商業圏が成立すると、イングランドでは貨幣経済が発展した。それに伴って14世紀には生産物地代や定額の貨幣地代を求める純粋荘園が広がった。しかし14世紀にイングランドは寒冷化し、また14世紀後半からペストが大流行したため、農奴が激減し、耕作地が放棄された。そのため農奴の中から、農民保有地を買い取りヨーマンと呼ばれる独立自営農民になる者が出現するなど、農民の地位は向上していった。その一方で領主階級は没落していった。国王側近などの領主階級は定額の貨幣地代による減収、さらに農奴の激減といった危機の中、領内の農奴に対する抑圧を強化しつつ暴力的にヨーマンの土地を奪うなど領主権の強化を図る封建反動に転じた。この封建反動に対し農奴制など身分制を否定する農民反乱が発生した。

2012年一橋大学 第1問 解答例

2021年02月11日 | 論述問題
2012年一橋大学本試【1】解答例

ユグノー戦争の原因は、周辺国で王権が強化される中、フランス王権による集権化を目指す勢力とそれに抵抗する勢力の対立という政治状況である。この構図は14世紀初以来フランス王権が国内教会に対して指導的地位を持つのに対し、カルヴァン派であるユグノー勢力が拡大していた宗教対立でもあった。1572年新旧対立の融和を口実にパリに集められた新教側貴族を虐殺したセント=バーソロミュー事件が転機となった。これにより国王支持勢力と反国王勢力すなわちカトリック側諸侯とユグノー側諸侯の対立は激化し、30年以上の戦乱の中、有力な諸侯の多くが途絶え、王家ヴァロア家も断絶した。やがてユグノー側の指導者アンリ=ド=ブルボンは対抗する勢力を抑えフランス国王に即位した。その際、政治的統一を優先することを目的に法に従ってカルヴァン派から多数を占めるカトリックに改宗した。また領主権と信仰とを切り離すことを目的に個人の信仰の自由を認めた。(に)

2018年東大 第1問 解答例

2021年02月11日 | 論述問題
2018年東大本試験 第1問 
解答例
農業社会では男女は平等な労働力とされていた。19世紀に産業革命が進むと、既婚女性は労働から疎外されジェンダーが社会的に固定化した。さらにフランス人権宣言は女性の権利を認めておらず19世紀以降、男女同権を主張するフェミニズム運動が拡大した。看護学の基礎を確立したナイティンゲール、化学分野で貢献しノーベル賞を受賞したキューリ、奴隷解放運動に大きな影響を与えた『アンクル=トムの小屋』を著したストウ夫人などが活躍した。彼女等の活躍はフェミニズム拡大に寄与した。第1次世界大戦が長期化し総力戦を強いられると、男性に代わり女性の社会進出が進んだ。その結果、イギリスで第4次選挙法改正が行われ、初めて30歳以上の女性が参政権を獲得した。さらに第5次選挙法改正で男性と同等の選挙権を獲得した。またドイツのワイマール憲法、アメリカ合衆国憲法修正、トルコ革命後のケマル=アタチュルクが定めた憲法でも女性参政権を認めた。しかし日本や多くのイスラム諸国では第2次世界大戦後にようやく女性参政権を認めた。1960年代にアメリカで公民権運動が広がる中、女性解放を目指すウーマンリブが拡大した。このフェミニズム運動の広がりにより国連は女性差別撤廃条約を定め、日本など多くの国がこれを批准した。男女の権利格差が大きい日本では1985年男女雇用機会均等法を定め、その改善を図ったが、ジェンダー差別は社会の隅々に残り男女同権の実現は道半ばといえる。(に)