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2004名古屋大学 問題 アテネとローマを比較

2018年07月06日 | 論述問題

 前508年に,ギリシアのアテネではクレイステネスの改革によって民主政の礎が据えられたが,伝承によれば,ローマでもほぼ同じ頃(伝承では前509年)に王政が廃されて共和政への道が拓かれた。アテネの民主政とローマの共和政は,ともに市民社会を実現するためのモデルを近代以降の世界に提示することになるが,両者のあいだには相違点もまた少なくない。両者の類似と相違がアテネとローマそれぞれの歴史的展開にどのような影響を与えることになったのか,下記のキーワードを参考にしながら(必ずしも,これらのすべてに言及する必要はない)350字以内で論述しなさい。

元老院 民 会 貴族(パトリキ) 陶片追放  市民権 執政官(コンスル) 帝 政 抽 選


2004年名古屋大学解説

2018年07月06日 | 論述問題
2007年名古屋大学350字
書くべき内容を掴むのは簡単です。アテネとローマの類似性、相違性、それを踏まえてアテネとローマそれぞれのその後の歴史的展開です。ここまでのことから、次に字数配分を考えます。類似性と相違性で150字、歴史的展開をそれぞれ100字ずつでしょう。ただし注意すべきは、アテネの民主化の過程やローマの身分闘争の過程を求められているのではない、ということです。書きやすいことを記述してしまうことはよくありますが、それでは得点できません。この問題が難しいのは、アテネとローマは歴史的展開が異なったけど、それはなぜか?ということを問うているからでしょう。その意味でこの問題は良問であり、学習するに値する問題といえます。
 まず、それぞれの歴史的展開から考えることができれば正解にたどり着けます。アテネとローマを比べると、歴史的展開では2通りのポイントがあります。これは世界史レベルでよく指摘されるでしょう。すなわち、アテネは都市国家にとどまったがローマは広大な領域を持つ大帝国に発展した点です。もう1つは、アテネは民主制を完成させた後に衆愚政治に陥ったが、ローマは身分闘争を経て帝政に移行した点です。
二つとも考えるのか?どちらか一方なのか?これを判断するには、字数配分と指定語句を見ます。字数はそれぞれ100字程度です。二つとも書くのは厳しいかな?と感じます。一方、指定語句に衆愚政治があるので後者は書くことになります。また、問題が求めているのは、類似性と相違性が原因となっている歴史的展開ですから、75字程度で2つの歴史的展開に結びつく点を書くのは無理でしょう。以上のことから判断して、歴史的展開は衆愚政治と帝政のみと判断するのが妥当でしょう。ここまでくればあとは問題の求めに応じて世界史の知識を引き出していくだけです。
 ただここでアテネは民主制というがローマは民主制とは言わず共和制と呼ぶことを考えておきたい。もちろんアテネも共和制です。この点について、この問題ではリード文中に比較すべきポイントとして示されています。比較の問題ではリード文中に対照的な表現があれば丸で囲うなどしておくとヒントを意識することができます。
アテネは最終的には無産市民も名門出身者であっても平等に抽選によって政治に参加します。民主的な政治制度がサラミスの海戦を経てペリクレス時代に完成しました。一方ローマは前287年のホルテンシウス法で平民会の決議が貴族を拘束することになり、この事をもって身分闘争が終結したと考えます。しかし、権限において平民会は元老院に及びません。元老院で決定できることが平民会よりも大きければ貴族と平民とが平等だとは言えません。したがってローマの場合は民主制とは言えない。
解答のポイント
① 類似性は、貴族中心の共和制をとっていたアテネは前6世紀に民主化が進みサラミスの海戦を経て民会を最高議決機関とする直接民主制が完成した。ローマは前6世紀に王政を廃止しコンスル2名をおいて共和制に移行した。前3世紀にホルテンシウス法で平民会の決定と元老院の決定が対等になった。
② 相違性はアテネはペリクレス時代に市民権法を制定し、市民の一体感を重視して市民権を厳しく制限し、アテネ市民と他者とを選別した。ローマは貴族が構成する元老院の権限が強く平民は「パンと見せ物」を要求するなど市民の分化が進んだ。また3世紀に帝国内の全自由人すなわち民族を越えてにローマ市民権を付与した。
③ アテネの歴史的展開は、民主化が進んで公職を抽選で選出したが、その結果衆愚政治に陥りマケドニア王国に征服された。市民団が分化したローマは、市民団による重装歩兵軍団が崩壊しローマ軍事力が個人に委ねられた結果三頭政治を経て皇帝が出現した。