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2010年東京大学 第1問 ネーデルラントの歴史

2018年06月11日 | 論述問題

 ヨーロッパ大陸のライン川・マース川のデルタ地帯をふくむ低地地方は、中世から現代まで歴史的に重要な役割をはたしてきた。この地方では早くから都市と産業が発達し、内陸と海域をむすぶ交易が展開した。このうち16世紀末に連邦として成立したオランダ(ネーデルラント)は、ヨーロッパの経済や文化の中心となったので、多くの人材が集まり、また海外に進出した。近代のオランダは植民地主義の国でもあった。
 このようなオランダおよびオランダ系の人びとの世界史における役割について、中世末から、国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望のなかで、論述しなさい。解答は解答欄(イ)に20行以内で記し、かならず以下の8つの語句を一度は用い、その語句に下線を付しなさい。

 グロティウス  コーヒー  太平洋戦争  長崎  ニューヨーク  ハプスブルク家  マーストリヒト条約  南アフリカ戦争

 

 この問題が求めている視点・本質(歴史観)は、中世・近代・現代におけるヨーロッパ世界の「国家の枠組み」の変化です。このことは問題文中「国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望」というなかで論述するように求められていることから気がつきます。このような国家・地域の枠組みの変化といった大き変化の中で、オランダ(ネーデルラント)はどのような役割を果たしてきたのか?を論述していくことになります。その際、さまざまのことが思い浮かびますが、問題文をもう一度チェックすると、経済的側面・文化的側面・人の動き・植民国家としての側面についてチェックしていけば良いはずです。

 中世ヨーロッパ世界の特徴は、国家の枠組みがまだできておらずハンザ同盟にみられるような都市同盟が形成されていました。都市同盟は都市と都市とが経済的・軍事的に結びついており、現在のようなフランスとかドイツとかいった国家の枠組みを超えて存在するものでした。ハンザ同盟に属する都市を100を数えましたが、世界史レベルではオランダ(ネ-デルラント)には在外商館が置かれたブリュージュが思い出されます。そのほかにもアントウェッペン(アントワープ)もフランドル地方の都市同盟を形成し、その中心都市として存在していました。このことは世界史レベルでは出てきません。ハンザ都市はバルト海沿岸の生活物資を運びましたし、フランドル地方の諸都市はイングランド・スペインと毛織物製品や羊毛の取引をしていました。主権国家成立前の中世では都市と都市とが連携しており、その中でブリュージュやアントワープといったオランダ諸都市はひとつの中心地域として、バルト海沿岸地域の経済圏を結びつけていました。この問題のテーマは「世界史における役割」です。このようなオランダが置かれた立場を正当化したのがグロティウスです。けれは1609年『海洋自由論』を著し、海は貿易のために自由に利用できることを主張しました。

近代にはいるとヨーロッパ内でオランダは金融業に従事することで大きな役割を果たして行きました。近代はイングランドやフランスといった主権国家が成立していった時期です。その両国が第2次100年戦争を戦ったとき、オランダのアムステルダムに代表される金融業はイングランドが発行する国債を買い支え、間接的にイングランドの勝利に貢献したと言えます。また、ヨーロッパ外においてはオランダ東インド会社が1652年にケープタウンを建設して以降、多くのオランダ人やユグノーが移住しました。さらに東インド会社が1658年にポルトガルからセイロンを奪い、18世紀末まで植民地としました。さらに1619年にジャワ島のジャカルタを建設、1624年台湾のぜーランディア城建設、1641年長崎の出島における対日貿易独占といったように、ヨーロッパからアフリカ南端周りで極東に日本に至るまでの貿易路を確立し、短期間であったものの南シナ海・東シナ海の商業圏に食い込むことに成功しています。世界史では扱いませんが、このころのオランダは地中海商業圏とバルト海商業圏を結ぶ役割を担っていましたから、オランダ商人が世界貿易に果たした役割すなわちバルト海から東シナ海までに至る広大な貿易路を確立した役割は大きいと言えます。しかしその広大な貿易圏はイギリスの進出によって分断され、インドネシアでは1830年コーヒーの強制栽培制度を開始します。しかし太平洋戦争で日本が占領すると、戦後、独立戦争を経てインドネシアの独立を容認しました。

基本的に近代については以上のことが根幹だろうと思います。これに加えて使用語句の「ニューヨーク」をヒントに考えると、オランダ人が1619年北米大陸(ヴァージニア)への奴隷を持ち込んだことから、奴隷制プランテーションが拡大していったことを各必要がありそうです。

南アフリカ(ケープタウンなど)のブーア人(オランダ系白人)は、イギリスと南ア戦争を戦いました。この結果、イギリスによる中国への進出を遅らせました。

では現代社会におけるオランダの役割はどうでしょうか?1957年オランダとベルギーはルクセンブルク・フランス・ドイツ・イタリアとともにヨーロッパ経済共同体を成立させました。ベルギー(南ネーデルラント)の首都ブリュッセルはヨーロッパ連合の首都でもあります。つまり国家の枠組みを超えたEUの中心的役割を担っていると言えます。ブリュッセルは多国籍企業が多く集まる都市であり、マーストリヒト条約が結ばれたマーストリヒトはマース川沿いにあるベルギーの都市である。1992年に調印されたマーストリヒト条約により通貨統合と政治統合を決定。1993年欧州連合が発足しました。第1次世界大戦で永世中立国だったベルギーの中立を侵犯したドイツに対してイギリスが参戦したことは世界史の基礎知識。ドイツとフランスに挟まれる位置にあるオランダtpベルギーが第2次世界大戦後にヨーロッパの平和を希求する中で「ヨーロッパ連合」成立に大きな役割を果たしてきた。

長い説明になりましたが、2010年東大第1問が求めているのは「オランダ(ネーデルラント)通史」ではありません。「オランダが果たした役割」について、しかも「中世末から、国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望のなかで」考えよ、ということです。主権国家成立以前の中世における都市連合の時代、近代における主権国家が南北アメリカやインドに植民地を拡大させる中で、オランダの地球規模での貿易圏を確立しやがてその多くをイギリスに引き継いでいく。その利益が英仏の運命をも左右する金融業を発達させたわけです。そして現代ではヨーロッパ連合の成立に大きく貢献し、「超国家」という意味で中世に回帰していくヨーロッパの中心的存在になっていく。こういった大きな文脈・視点がこの問題の本質と言えます。