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失敗の数だけ

2013年03月11日 | 何かの足しになれば

 失敗の数だけ人間は成長する、といいます。では、どうすれば人間は「失敗する」ことが出来るのでしょうか。それには安心して失敗する状況を作ることでしょう。このことは、安易に失敗しても良い、と言うわけではありませんセーフティネットとかいう感覚ではないのです。本気で失敗した!と思うことが大切です。
 

ではどうすれば、失敗することが出来るでしょうか。それは、周りの大人にとって大切なことは、その結果については、「失敗という判断を下す」が、失敗したその人を否定しない。このことが安心して失敗させ、その失敗によって成長させることになる。
 

敗戦から学ぶ、ともいいます。敗戦しても学ぶ為には、何が出来て何が出来なかったのか、出来なかった理由は何で、出来か理由は何か、という分析が出来るような敗戦をすべきでしょう。

 この2つのことは全く同じことを言っています。失敗したその人自身を責めないためにも、周りの大人は「失敗をしていく過程」に付き合う必要がありそうです。


学歴について

2013年03月11日 | 何かの足しになれば

 世の中が複雑になるにしたがって、人は自分がいかに有能であるかを示す必要が生じてきました。農業社会では95%程度の人々が農業に従事し、誰もが等しい生活レベルにあったわけで、自分が他の人に比べて優れていることを示す必要などなかったのです。しかし、工業社会から情報社会になると、就く仕事によって収入が大きく変わってきました。豊かな暮らしを送くるための仕事には誰もが就きたいのは当たり前で、そのためには自分がいかに他の人間より有能であるかを証明する必要が生じてきました。


 さて自分の能力を証明するにはどのようにしたらよいでしょうか。自分のことをよく知る人にだけ、自分の能力を証明するのなら話は簡単です。しかし現実は、自分のことをまったく知らない人に、自分が他の人よりも優れていることを示す必要がある場合がほとんどです。
 芸術やスポーツ、職人の世界など「専門的技能」に習熟していることも能力の証明になりえます。ただし、その場合、プレーや作品など誰もが判別できる形で示す事ができる点が重要になります。


 また、別の方法として「学歴」が考えられます。たしかに、「学歴」は自分の能力の一部を証明する手段にしか過ぎません。ここで注意したいのは、「ひとつの方法で自分の能力をすべて証明することなど不可能である」という点です。その意味で学歴をとらえてもよいのではないでしょうか。