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03 上智大学 心理 ギリシア史

2006年08月27日 | 復習用入試問題
 古代帝国を中心とした以下の文章群(1~15)を読み,小文(a~d)に誤りがあれば,誤っているものをすべて解答欄にマークしなさい。誤りがなければeをマークしなさい。また,波線を引いた地名(イ~へ)を,地図(A,B)上の(a~e)で答えなさい。ただし,下線部分の年代・記述内容は正しいものとする。

1 
a 前2000年ごろ,小アジアの原住民を征服したインド=ヨーロッパ語族の一派が建国した。
b 彼らはハットゥシャシュ(現ボアズキョイ)を都とし,幅広い交易活動を繰り広げた。
c 彼らは鉄器を使用し,前1650年ごろまでに,北シリアからエーゲ海におよぶ大帝国を築きあげた。
d 彼らは,前12世紀初めに海の民の一派「ヒクソス」の侵入によって滅亡した。

2 
a セム系のこの国家は,前2千年紀初めに北メソポタミアに建国した。
b 一時期,ミタンニに服属したが,鉄製武器と戦車・騎兵によって勢力を拡大した。
c 前7世紀にエジプトを除く全オリエントを征服し,最初の世界帝国と称されている。
d 最盛期にはアッシュール=バニパルが君臨し,首都アッシュールに大図書館を建設した。

3 
a インド=ヨーロッパ語族の民族で,イラン高原を中心とする地方から起こった。
b 前550年,キュロス2世がメディアを滅ぼして建国し,さらにリディア・カルデアを征服した。
c 第3代の王ダレイオス1世下でインダス川から東地中海に至る大帝国となった。
d 中央集権の実をあげるため,全土を約20州に分け知事(サトラップ)に統治させた。

4 
a 前8世紀末より首都となったニネヴェを起点に小アジアのサルディスまで国道が建設された。
b 前722年,その侵略によって,イェルサレムを首都としていたイスラエル王国は滅亡した。
c この帝国は重税と圧政で服属民の反抗をまねき,前612年に崩壊した。
d その後,4王国が分立したが,なかでも優勢だったのはネブカドネザル2世の時代の新バビロニアだった。

5 
a 前500年,ミレトスが中心になってイオニア植民市が反乱を起こした。これが3次にわたる戦争の発端だった。
b この時の王が建設を開始したペルセポリスは,のちにアレクサンドロス大王によって破壊された。
c この時の王の事蹟を楔形文字で刻んだのがベヒストゥーン碑文で,19世紀にイギリス人ローリンソンが解読に成功した。
d 思想統一のために国教に採用されたのがゾロアスター教で,これはのちに中国に伝来し祅教と呼ばれた。

6 
a マケドニア王フィリッポスの息子アレクサンドロスは,カイロネイアの戦いで勝利して全ギリシアを制圧した。
b アレクサンドロスの死後,その帝国は四分されたが,武将セレウコスはユーフラテス河畔に首都(イ)セレウキアを築いて,セレウコス朝を開始した。
c その版図に含まれたユダヤは,前2世紀半ばに反乱(マカベア戦争)を起こして,一時,独立を達成した。
d セレウコス朝は,前63年にローマの武将ポンペイウスによって滅ぼされた。

7 
a アレクサンドロスのエジプト領を獲得したのは,武将プトレマイオスだった。彼はアレクサンドリアを首都にした。
b アレクサンドリアは,その後,ヘレニズム文化の中心として栄えた。その学問的拠点となったのがムセイオンである。
c この王国の支配者はあくまでマケドニア人・ギリシア人であり,現地人エジプト人を支配する専制国家だった。
d クレオパトラ7世は,カエサルやアントニウスを利用して王国存続に努めたが,前31年に自殺して果てた。

8 
a ムセイオンで学んだ学者に,エウクレイデス(幾何学),アリスタルコス(地動説),アルキメデス(物理学),エラトステネス(地球測定)たちがいた。
b ヘレニズム時代の美術彫刻として有名なものに,「ミロのヴィーナス」(現在大英博物館蔵)や「ラオコーン群像」(現在ヴァチカン博物館蔵)がある。
c 「イッソスの戦い」を描いたポンペイ出土のモザイク(現在ナポリ考古学博物館蔵)も,ヘレニズム時代を代表する華麗な作品である。
d 「ヘレニズム」とは“ギリシア風文化”を意味し,ヨーロッパ文明のもうひとつの源流ヘブライズムに対置して作られた,19世紀のドイツの歴史家ドロイゼンによる造語である。

9 
a 前3世紀半ばにカスピ海東南にイラン系遊牧民がアルサケスを開祖として建国した。
b セレウコス朝滅亡後,メソポタミア地方を支配下に入れるとティグリス河畔の(ロ)クテシフォンを首都とした。
c 中国の漢と同時期に「絹の道」の西側を占め,東西貿易路の要衝としておおいに栄えた。
d 西ではメソポタミア地方をめぐってローマ帝国と抗争を繰り返し,クラッススやアントニウスを破った。

10 
a イラン高原から起って3世紀はじめに前文9の帝国を倒したアルデシール1世は,後にマニ教を国教に採用した。
b シャープール1世はたびたび外征を行い,西ではローマ軍を連破し,東ではクシャーナ朝を衰退させた。
c 5世紀後半になってエフタルの侵入を受けたが,ホスロー1世はトルコ系突厥と結んでエフタルを滅ぼした。
d この王国は,7世紀半ばにニハーヴァンドの戦いでアラブ人に敗北し,事実上崩壊した。

11 
a 旧名ビザンティウムをコンスタンティノープルに改称し,さらにローマからの遷都を断行したのは,コンスタンティウス帝であった。
b 6世紀のユスティニアヌス帝は地中海沿岸の帝国旧領の多くを回復し,『ローマ法大全』を編纂,聖ソフィア聖堂を建立した。
c しかし彼の死後,イタリアはロンバルドやフランクに,シリア・エジプトはイスラム進出で,バルカン北部はスラヴ民族・ブルガール族に奪われ,国土は次第に縮小した。
d イスラムヘの対抗上,聖像崇拝の対立が帝国内外で続いたが,800年に西ローマ皇帝カールが出現するに及んで収束した。

12 
a アッバース朝のカリフは9世紀初めごろから,騎馬戦士として有能なトルコ人奴隷を「マムルーク」と呼んで親衛隊に徴用した。
b 11世紀になると中央アジアのトルコ系のセルジューク朝が(ハ)バグダードに入城,カリフからスルタンの称号を受け,イスラム世界の指導者となった。
c セルジューク朝は小アジアや東地中海沿岸に進出してビザンツ帝国と対峙し,以来200年に及ぶ十字軍との宗教戦争の原因となった。
d シーア派を奉じたセルジューク朝は,各地に学院(マドラサ)を設けたので,イスラム文化が大きな進歩を見せた。

13 
a 1299年,小アジア西北部でセルジューク朝に服属していたトルコ人がオスマン帝国を創建,ビザンツ帝国の領土を侵略し始めた。
b バルカン半島に進出して,14世紀半ばに(ニ)アドリアノープルを首都とし,その後,14世紀末にニコポリスの戦いで西欧連合軍を撃破した。
c ビザンツ帝国首都コンスタンティノープルを包囲するかの如く領土を拡大し,1453年ついにメフメト2世が同都市を陥落,ビザンツ帝国を滅ぼした。
d スレイマン1世のもとで最盛期を迎え連戦連勝,ただ(ホ)レパントの海戦では破れたが,地中海制海権は彼のもとにあった。

14 
a 長らくオスマンの支配下にあったギリシアは1821年ペロポネソス半島で反乱を起こし,翌年独立を宣言した。
b これに対してオスマンはギリシア系住民虐殺で報いた。スペイン人画家ドラクロワは「シオの虐殺」を描いてギリシア救援を訴え,イギリス人バイロンなどが義勇兵としてギリシア独立運動に参加した。
c オスマンはエジプトの援助で鎮圧しようとしたが,イギリス・フランス・ロシアが干渉。1827年,三国艦隊はナバリノ海戦でトルコ・エジプト軍を撃破した。
d 1829年,ギリシアはアドリアノープル和約で独立が承認され,翌年王国として独立,1932年にはバイエルン王家からオットー1世が国王に迎えられた。

15 
a オスマン帝国は,第一次世界大戦に参戦して敗北し,セーヴル講和条約によって領土を大幅に削られた。
b 1922年,ギリシアによる小アジアヘの侵入に対し,ムスタファ=ケマルは国民軍を率いて立ち上がり,ギリシアをうち破った。
c 彼は国内の民主化と近代化を望む声をうけて,1922年スルタン制を廃し,1923年にローザンヌ条約を締結して独立を守った。
d 初代大統領となったケマルは首都を(ヘ)アンカラへ移し,トルコ共和国を樹立し,次々と近代化の新政策を実施した。

正解
1 d 2 c・d 3 e 4 a・b 5 d
6 a 7 d 8 b 9 d 10 a
11 a・d 12 d 13 d 14 b 15 e
イ 地図Aのc ロ 地図Aのb ハ 地図Aのd
ニ 地図Bのd ホ 地図Bのe ヘ 地図Bのa