ケレタロで水道橋と並んでこれだけは!と思っていたのが、
「鐘の丘」、セロ・デ・ラス・カンパーナス Cerro de las Campanas でした。
今は街の西部分のど真ん中になってますが、
歴史の長いケレタロで、ここで歴史が形作られたころはまだ郊外だったそうです。
そして独立戦争の仕上げとして、オーストリアのハプスブルク家から
メキシコに派遣皇帝として来ていたマキシミリアンが銃殺されたところ。
後年オーストリアが(フランスという説もあり)建てた礼拝堂が、
入ってすぐに見上げる坂道の上にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/93/6da21da00c5772ac759c243e73982fad_s.jpg)
礼拝堂入り口の表札。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/6c/68fd2a7604f37a3ffc63311b5481a330_s.jpg)
格子が閉まっていて、中には入れませんでしたが、
覗いたところはこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/ee/5e5b5b54501e45637731f07fca0f7156_s.jpg)
あとで調べていたらこんなサイト(スペイン語)に、
この礼拝堂の十字架は、マキシミリアンをメキシコへ連れてきて、
そしてまたフランスへと連れ帰った船の材木を使って作った十字架が飾られているとか。
写真を見れば確かに十字架立ってますが、二本あるなあ(記述では一個)。
それに、船はフランスへ戻ったんなら、どこか取り外しちゃったんだろうか。
何となく、「これはイエスキリストが5歳のころの頭蓋骨」的な胡散臭さがないでもないです。
ところで、ここがなぜ「鐘の丘」と呼ばれるかというと、
ここにある石を打ち合わせると、金属的な響きがするから、だそうです。
ところがその石がどんどん盗まれてしまって、
今ではふたつしか残っていないとか。
この礼拝堂を覗いていたら、たぶんあれが、その石?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/5d/58ee175d6a2f4904b53bed698baf0d05_s.jpg)
まだ少し早い時間だったので開いてなかったんだと思いますが、
開いていれば、この石の横の椅子に見張りの人が座っていて、
見に来た人は上の小さい石で下のをカンカンと鳴らすことができるのかも。
この公園は入場料1ペソでした。
中に博物館があって、そこの入場は別途15ペソだったかな。
でも博物館は街中にもたくさんあって、そっちに行くつもりだったので、
ここでは割愛。
丘のぐるりに散歩道がついていて、朝の気持ちのいい時間、
おしゃべりしながら街を見下ろしながら、散歩しました。
丘のてっぺんには、独立戦争後共和制になったメキシコの
初代大統領であるベニト・フアレスの巨大な像が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/28/f7/af034e2342369890926060f10bc4fb28_s.jpg)
モレリアのハニツィオ島に立っている巨像を思い出す仕様ですが、
これは中を登れるようにはできてないみたいです。
「鐘の丘」、セロ・デ・ラス・カンパーナス Cerro de las Campanas でした。
今は街の西部分のど真ん中になってますが、
歴史の長いケレタロで、ここで歴史が形作られたころはまだ郊外だったそうです。
そして独立戦争の仕上げとして、オーストリアのハプスブルク家から
メキシコに派遣皇帝として来ていたマキシミリアンが銃殺されたところ。
後年オーストリアが(フランスという説もあり)建てた礼拝堂が、
入ってすぐに見上げる坂道の上にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/93/6da21da00c5772ac759c243e73982fad_s.jpg)
礼拝堂入り口の表札。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/6c/68fd2a7604f37a3ffc63311b5481a330_s.jpg)
格子が閉まっていて、中には入れませんでしたが、
覗いたところはこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/ee/5e5b5b54501e45637731f07fca0f7156_s.jpg)
あとで調べていたらこんなサイト(スペイン語)に、
この礼拝堂の十字架は、マキシミリアンをメキシコへ連れてきて、
そしてまたフランスへと連れ帰った船の材木を使って作った十字架が飾られているとか。
写真を見れば確かに十字架立ってますが、二本あるなあ(記述では一個)。
それに、船はフランスへ戻ったんなら、どこか取り外しちゃったんだろうか。
何となく、「これはイエスキリストが5歳のころの頭蓋骨」的な胡散臭さがないでもないです。
ところで、ここがなぜ「鐘の丘」と呼ばれるかというと、
ここにある石を打ち合わせると、金属的な響きがするから、だそうです。
ところがその石がどんどん盗まれてしまって、
今ではふたつしか残っていないとか。
この礼拝堂を覗いていたら、たぶんあれが、その石?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/5d/58ee175d6a2f4904b53bed698baf0d05_s.jpg)
まだ少し早い時間だったので開いてなかったんだと思いますが、
開いていれば、この石の横の椅子に見張りの人が座っていて、
見に来た人は上の小さい石で下のをカンカンと鳴らすことができるのかも。
この公園は入場料1ペソでした。
中に博物館があって、そこの入場は別途15ペソだったかな。
でも博物館は街中にもたくさんあって、そっちに行くつもりだったので、
ここでは割愛。
丘のぐるりに散歩道がついていて、朝の気持ちのいい時間、
おしゃべりしながら街を見下ろしながら、散歩しました。
丘のてっぺんには、独立戦争後共和制になったメキシコの
初代大統領であるベニト・フアレスの巨大な像が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/28/f7/af034e2342369890926060f10bc4fb28_s.jpg)
モレリアのハニツィオ島に立っている巨像を思い出す仕様ですが、
これは中を登れるようにはできてないみたいです。
そうそう、ハプスブルクつながりなのですね~。
にしても従兄弟だったとは。
あのままマキシミリアンがメキシコ皇帝を続けていて、独立戦争が起こっていなかったら……
メキシコは似非ヨーロッパみたいな国になって、面白味が半減していたような気がします。
今より発展はしていたかもですけどね。
もしかするとヨーロッパがアメリカ合衆国より権力を持つような世界になっていたかもですね。
彼が銃殺されずそのままメキシコの皇帝を続かていたらこの国はどんなになっていたでしょうか
想像するだけでも楽しいです
十字架、竜骨で作ったものなんでしょうか?
そんな大きなものはなかったような気が……ってそのまま使わなくてもいいですね。
でも竜骨って外したら船が解体してしまうような大事な部分ですよね。
船が何度もメキシコと欧州を往復したあげく、最後にはお勤めを終えて、
メキシコで解体されたということなのでしょうか。
マキシミリアンとノイシュヴァンシュタイン城、同じ時代なのですねえ。
海の向こうとこちら、不思議な感じです。
>あやたろうさん
あははは、カルロス5世と間違えてませんか?
メキシコのチョコレートにもなっているカルロスは皇帝ですけどね。
でも言われてみればカルロスって名前、けっこう多いかも~。
私の好きなサッカー選手もカルロスです。
そして世界長者もカルロス・スリムでしたね~。
スリムは1,2年前にもビル・ゲイツを抜いたとか言われてましたが、
メキシコで大金持ちというと、どんな悪いことしてやがんだ、
としか頭が思いつかないのが悲しいです……。
大統領って言えば、「カルロス」って名前が定番かと
思ってました。(←あぽ。)
あ。
カルロスっていえば、世界の長者番付1位はメキシコの
「カルロス・なんてろ」さんだそーですね。
すごいなぁ・・・。
あ。話、脱線しまくりのコメントですんまそんでした><
この竜骨がケレタロに有るのも頷けます
彼はこの船が気に入り執務室を船を模して作らせました
この建築家はメキシコに同行し市役所を改装して住居としてました
帰国後のノイシュバンシュタイン城の完成に加わったそうです