さて、9月の旅行のネタもまだ紹介し終わっていないのに、
またもや新しい旅行の話になります。
まあ残っているネタはいずれ必ず紹介しますので、
まずはやはり活きのよい(?)話題から。
◆
アカコヤグア Acacoyagua という名前は、
メキシコ関係の本を読んでいるとわりかしあちこちに出てきます。
1897年、榎本移民と呼ばれる一団の日本人の殖民者がこアカコヤグアに住みついたのが、
まあ公式に移民と認められる最初のメキシコ在住日本人なわけです。
私がメキシコに来たのが1995年で、
1997年には日系移民100周年記念として、いろいろなイベントがありました。
そのころはまだ大したことも知らなくて、
それより自分の生活に必死だったもんだから、何も興味持たず、
今思うと残念なことをしました。
そして今回ついに、ネットで知り合ったcimaちゃんを頼って、
厚かましくもこのアカコヤグア訪問の悲願を達成したわけです。
いやあ、ネットはすごい、そしてcimaちゃんには大感謝!なのです。
何しろまあ、はっきり言ってかなり遠い。
cimaちゃんがいてくれなければ、とうてい腰を上げる決心がつかなかったでしょう。
メキシコ全体から見ればわずかな距離ではあるんですが、
今回私たち、モンテレイとさらにその北の国境沿いのレイノーサへ行き、
そこから一路、南の果てまで行ったわけですから、
まあ1800kmほどですね。
気候も植生もまるで違うことを、しみじみと実感しました。
特に、モンテレイは寒かった。
「寒いかもねえ」と言って、南国仕様の私たちは、
長袖のシャツを一枚持って、充分なつもりでいました。
ところがモンテレイでは、吐く息が白い寒さ。
参りましたね~、まったく。
まあ飛行機が途中経由したトルーカは、何しろシティより高地ですから、
モンテレイよりもっと寒くて、私ら、凍ってましたけど。
でもまあそれは飛行機を待つわずかなあいだのこと。
そして、ようやく辿り着いたチアパスの州都、トゥクストラ・グティエレスの空港。
あああ~、南国だよ、青空だぁよ~
そこからさらに、町まで数十キロをタクシーで、
そしてさらにバスで、6時間南下。
メキシコの最南端からわずか100km足らずのところまで。
この、メキシコでバスに乗るのがまた楽しいんですが、
その話は長くなるのでまた今度。
そうして辿り着いたのはアカコヤグアではなくて
隣町のエスクイントラ Escuintla なんですが、
その紹介も、また今度。
◆
とにもかくにも、そうやってcimaちゃんと無事ご対面を果たし、
アカコヤグアを案内してもらいました。
小さな村と、侮るなかれ。
日本人には見所たんまりの、意義深い村なのだ。
そこで、今日はその一ヶ所、
榎本移民団記念碑を。
あ~、前置きが長くてすみません(笑。
見よ、この青空を。
寒空のモンテレイでたまった鬱屈が、あっという間に霧散する風景。
記念塔の裏はこんなの。
句が間違ってるとか、最後の一文字が欠けてるとか、
細かいことを気にしてはいけません。
これは、移民団とともにチアパスに定住し活躍した植物学者、
松田英二氏の直筆文字だそうです。
松田英二氏については、またそのうちに詳しく書くと思います。
記念碑の表の台座にはこんな文字が。
まあ要するに、榎本移民団を記念してこの記念碑を建てた、てなことが書いてあります。
裏の銅版には、その36名の名前が。
(ひとり船旅の途中に亡くなったそうですが)
宮城県と岩手県、そして愛知と兵庫からの人々です。
チアパス南部にコーヒー農園をひらこうとしてやってきた人たちですが、
残念なことにわずか三ヶ月でその計画は頓挫。
大変な苦労の中で、移民団は四散してしまいました。
その中でわずかにチアパスに踏みとどまった人たちもいます。
その辺についてはまたゆっくりとお話しすることにして。
100周年記念に、メキシコ在住日本人たちが寄付を集めて作ったという、
この記念公園には、石灯籠もひっそりと立ってました。
それから、え~と、
秋篠宮、ってこの字でよかったですかね?
皇室関連にはとっても疎いもんですから、これもどういうお方だったか、
cimaちゃんに聞いた端から忘れてもうた……
とにかく、皇族のお方が寄贈なさったんだか植樹なさったんだかという
何か……
とまあ、チアパスの空の下、
百年前の日本人たちを忘れない村があるのです。
この綺麗な公園では、小さな男の子がお母さんに連れられて走り、
お年寄りが日陰に座っておしゃべりに勤しみ、
靴磨きの兄ちゃんたちが植木の下でお客を待っておりました。
◆
いやはや、土日は更新お休みとか言ってましたけど、
そんなこと言ってたら、次出かけるまでにネタが溜まりすぎちゃうので、
少し頑張ります。
長くなって申し訳ないですが~
いやもうマジに、cimaちゃんにいろいろ教わったことを
全部書き留めておきたい気分なんよ~。
なので、どうかしばらくお付き合いください。
あ、モンテレイのほうも話も出しますけど。
またもや新しい旅行の話になります。
まあ残っているネタはいずれ必ず紹介しますので、
まずはやはり活きのよい(?)話題から。
◆
アカコヤグア Acacoyagua という名前は、
メキシコ関係の本を読んでいるとわりかしあちこちに出てきます。
1897年、榎本移民と呼ばれる一団の日本人の殖民者がこアカコヤグアに住みついたのが、
まあ公式に移民と認められる最初のメキシコ在住日本人なわけです。
私がメキシコに来たのが1995年で、
1997年には日系移民100周年記念として、いろいろなイベントがありました。
そのころはまだ大したことも知らなくて、
それより自分の生活に必死だったもんだから、何も興味持たず、
今思うと残念なことをしました。
そして今回ついに、ネットで知り合ったcimaちゃんを頼って、
厚かましくもこのアカコヤグア訪問の悲願を達成したわけです。
いやあ、ネットはすごい、そしてcimaちゃんには大感謝!なのです。
何しろまあ、はっきり言ってかなり遠い。
cimaちゃんがいてくれなければ、とうてい腰を上げる決心がつかなかったでしょう。
メキシコ全体から見ればわずかな距離ではあるんですが、
今回私たち、モンテレイとさらにその北の国境沿いのレイノーサへ行き、
そこから一路、南の果てまで行ったわけですから、
まあ1800kmほどですね。
気候も植生もまるで違うことを、しみじみと実感しました。
特に、モンテレイは寒かった。
「寒いかもねえ」と言って、南国仕様の私たちは、
長袖のシャツを一枚持って、充分なつもりでいました。
ところがモンテレイでは、吐く息が白い寒さ。
参りましたね~、まったく。
まあ飛行機が途中経由したトルーカは、何しろシティより高地ですから、
モンテレイよりもっと寒くて、私ら、凍ってましたけど。
でもまあそれは飛行機を待つわずかなあいだのこと。
そして、ようやく辿り着いたチアパスの州都、トゥクストラ・グティエレスの空港。
あああ~、南国だよ、青空だぁよ~
そこからさらに、町まで数十キロをタクシーで、
そしてさらにバスで、6時間南下。
メキシコの最南端からわずか100km足らずのところまで。
この、メキシコでバスに乗るのがまた楽しいんですが、
その話は長くなるのでまた今度。
そうして辿り着いたのはアカコヤグアではなくて
隣町のエスクイントラ Escuintla なんですが、
その紹介も、また今度。
◆
とにもかくにも、そうやってcimaちゃんと無事ご対面を果たし、
アカコヤグアを案内してもらいました。
小さな村と、侮るなかれ。
日本人には見所たんまりの、意義深い村なのだ。
そこで、今日はその一ヶ所、
榎本移民団記念碑を。
あ~、前置きが長くてすみません(笑。
見よ、この青空を。
寒空のモンテレイでたまった鬱屈が、あっという間に霧散する風景。
記念塔の裏はこんなの。
句が間違ってるとか、最後の一文字が欠けてるとか、
細かいことを気にしてはいけません。
これは、移民団とともにチアパスに定住し活躍した植物学者、
松田英二氏の直筆文字だそうです。
松田英二氏については、またそのうちに詳しく書くと思います。
記念碑の表の台座にはこんな文字が。
まあ要するに、榎本移民団を記念してこの記念碑を建てた、てなことが書いてあります。
裏の銅版には、その36名の名前が。
(ひとり船旅の途中に亡くなったそうですが)
宮城県と岩手県、そして愛知と兵庫からの人々です。
チアパス南部にコーヒー農園をひらこうとしてやってきた人たちですが、
残念なことにわずか三ヶ月でその計画は頓挫。
大変な苦労の中で、移民団は四散してしまいました。
その中でわずかにチアパスに踏みとどまった人たちもいます。
その辺についてはまたゆっくりとお話しすることにして。
100周年記念に、メキシコ在住日本人たちが寄付を集めて作ったという、
この記念公園には、石灯籠もひっそりと立ってました。
それから、え~と、
秋篠宮、ってこの字でよかったですかね?
皇室関連にはとっても疎いもんですから、これもどういうお方だったか、
cimaちゃんに聞いた端から忘れてもうた……
とにかく、皇族のお方が寄贈なさったんだか植樹なさったんだかという
何か……
とまあ、チアパスの空の下、
百年前の日本人たちを忘れない村があるのです。
この綺麗な公園では、小さな男の子がお母さんに連れられて走り、
お年寄りが日陰に座っておしゃべりに勤しみ、
靴磨きの兄ちゃんたちが植木の下でお客を待っておりました。
◆
いやはや、土日は更新お休みとか言ってましたけど、
そんなこと言ってたら、次出かけるまでにネタが溜まりすぎちゃうので、
少し頑張ります。
長くなって申し訳ないですが~
いやもうマジに、cimaちゃんにいろいろ教わったことを
全部書き留めておきたい気分なんよ~。
なので、どうかしばらくお付き合いください。
あ、モンテレイのほうも話も出しますけど。
そして、今日の記事もまたすっごい勉強になるっちゅうか、考えるもんがあるっていうか・・・。
改めて世界の広さと、メキシコと日本の関係の深さを考えたあやたろうでした。「亀さんブログ」がなければ、こんなに考えることもなかったと思います。亀さんに感謝ですたい。
「つわ者共も 夢の足」
あれ? 案外、これわざとなんでは?<欠けたんだってば!
アカコヤグア、確かによく目にします。が、私はずっと「アヤコカグア」だとばっかし思ってました(恥。
亀さんと、cimaさんがアカコヤグアで会えた事実はと~ってもうれしいです。
いやいや、あやたろうさんの「蒸発」もけっこう長かったですが(笑。
でもメヒコじゃ何があるかわかりませんもんね?
今から予告しといたほうがいいかも、17日からまた出かけますって(笑。
でも実は、こういうところまで行ってたんですよねえ。
もう本当に、すごいところにすごい人たちがいるもんだよなあ、
と感動でしたよ!
こんな拙ない文章と写真では、本物の何分の一も伝えられない気がしますが、
でもとにかく、そういうことがあって、そういう人たちが今でも忘れられずにいるってことを
知っていただくだけでも、もしかしたらちょっとは意義があるといいなあ、
と思いますです。
>森羅さん
うーん、これ、ジャパニーズメキシカンジョークだったりしてね?>夢の足
アヤコカグアって地名もどこかにあるかもよ?
まあ私も……ええと、なんだっけ?
間違って覚えた地名とかってだんだん、
どっちが間違いでどっちが正しいんだったかわかんなくなるんだよねえ(笑。
>せにさん
そうですねえ、悲しい話が多い、確かにそうなんですけど、
榎本移民関連の本で、「移住して幸せでしたか」という問いに、
ジッと考え込んでから「幸せだった」と答えた移民の人の話が出てました。
思わず涙が出ましたが、
何を幸せと思い、何を苦労と思うかは、本当にその人次第なのだなあ、
と思ったことでしたよ。
cimaちゃんと会えたことは、もちろん私の人生の大きな収穫のひとつでしたね!!
さっ、次はせにさんにも会わなくてはね!?
亀さんのお勧めBOOKS読み漁りましたです。
メキシコに渡った日本人達がまだ頭(の片隅)に
残っている今、なんてタイムリーな場所なの~。
ぜひぜひ、もっと書き綴って下さいませ!!
本当に勉強になります。セッセッセッセ
と急に思い出してググったら、南米の山の名前でした(汗。あはは、ほんとうろんですね。
感謝感激ヒデキ感激ッ!です。
亀さんの目から見はったアカコヤグア、
自分が住んでいるにもかかわらず、違う土地のようで、とっても新鮮です。
住んでいるわたしこそ、もっと発信していかなアカンなぁ
と反省もし。
公園の草花は、100周年記念祭の時、
秋篠宮が植樹しはったそうですよ~。
おかげで? 村ではすっかり有名になり、
「エンペラドール・アキチノ」と呼ばれておりますよ、彼は(笑)。
違うっつーの!
ちなみに、日本の友人が送ってくれた「アカヤカグラ」宛の手紙は
ちゃんと「アカコヤグア」に届いていました
ただいま~です。
おおっ、お勧め本、読んでいただいてるんですね!?
手に入りにくいのも多くて申し訳ないですが……。
メキシコと日本の意外な(?)関係、
知れば知るほど面白いですよね~!
今日も少し頑張って書きましたので、また読んでみてくださいまし!
>森の象さん
おおっ、珍しい、森羅さんが間違えないで覚えてる名前もあるのね!
……まあ場所が間違って記憶されていたわけだが(笑。
アコンカグアかぁ、と、おっと、これ一発で変換できた!
もしかして有名な山ですか? 火山かな?
>cimaちゃん
いやいやいやいやいや、こんな盛りだくさんな二日間なんて
本当にcimaちゃんおらへんかったら過ごせませんでしたよ!
でも確かに、住んでるところってなかなか新鮮な目で見られないんですよね~。
私もカルメンに遊びに来てもらうと、
ほほ~なるほど!とか改めて思うような指摘をしてもらったり。
でも、やっぱり住んでいる人の発信できる情報は貴重ですから、
cimaちゃんもいるあいだに頑張ってください!
>エンペラドール
うーん、メキシコ人の適当さを表わすエピソードですね(笑。
まあ似たようなもんじゃないですか?(私が一番適当)
>赤屋神楽
ってどこの地名?(笑
届くところがすごいです、メヒコ万歳(笑。