ゲストのむろさんさんから、BS-ドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」についての投稿を頂いたので、2回に分けて掲載したいと思います。
「NHK BS世界のドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」を見ての感想」【むろさんさん寄稿】
1.モレッリ方式によるカラヴァッジョ作品の真筆判定の妥当性について
今回のテレビ番組ではイギリスのJohn Gashという研究者がトゥールーズのユディトとカラヴァッジョの真作であるというルーアンのキリストの笞打ちを比較し、キリストの目の下の部分や下帯の表現とユディトの目やベッドシーツなどの細部がよく似ているということをトゥールーズのユディトがカラヴァッジョの真筆であると判定する一つの根拠としています。このやり方が妥当なのかどうか考えてみました。
まずはこの比較研究の基になる理論として、モレッリ方式とは何かを簡単に書きます。この方法について正確かつ分かりやすく説明した本はあまり見たことがないのですが、私の知る範囲では、東京藝術大学創立100周年記念貴重図書展解題目録(1987年発行)に「モレッリ イタリアの画家とその作品の批判的研究」として、1891~93年に出版されたジョバンニ・モレッリのドイツ語・英語の著書に関する紹介が掲載されていて、簡潔で分かりやすいと思うので以下に引用します。(執筆佐々木英也、原書は美術学部長摩寿意善朗からの寄贈)。
それによると、「モレッリ方式は美術作品を全体的な意味によってではなく、外形的な諸部分つまり画家が自分の型とか手の癖に従って無意識的かつ反復的に描く傾向をもつ耳、指、鼻あるいは衣襞などを精密に比較対照し、これによって作品の真偽とか作者の帰属を決定しようとするものである」としています。
写真は1892年発行のモレッリの著書「ローマの美術館」(英語版)からルネサンス期の画家の手の部分を取り上げたもので、フィリッポ・リッピやボッティチェリの名も見えます。フィリッポ・リッピ特有の短い指の描き方やボッティチェリのヴィーナスの誕生、ワシントンNGの青年の肖像(2016年上野都美ボッティチェリ展に来日)に見られるような「しなやかに伸びた指とポーズを取った手」が見て取れます。
モレッリ方式については、後記する日本美術での適用事例に比べて、近年の西洋美術の研究では論文等への記載があまり見られないと常々思っていたため、2016年の上野都美ボッティチェリ展記念講演会(イタリア文化会館)でそのことを質問しました。質問票にその旨を記載し提出したところ、何人かの質問者の分と合わせて採用され、同展イタリア側監修者のチェッキ氏(元パラティーナ美術館館長)とネルソン氏(ハーバード大ルネサンス研究センター ヴィラ・イ・タッティ所属、フィリッピーノ・リッピの研究者)からご回答をいただきました。その内容は「モレッリ方式は美術史研究の初期段階で提唱されたものであり、当時は無意識に描いたとされる部分に現れた特徴を機械的に作品判定に適用していた。その当時と比べ現在は研究成果も蓄積されていて、モレッリ方式を適用するよりも作品のクォリティーを見極めることの方が大事である。ベレンソンも、本人かどうかは絵のクォリティーが大事と言っているし、矢代幸雄はモレッリ方式は役に立たなかったと言っている。」とのことでした。
作品自体の質の判断が第一ということはよく分かりましたが、作品判定に際してモレッリ方式を機械的に適用しないで、作品の質・出来を考慮しつつモレッリ方式を適用することもできるのではないかと、その時も完全には納得できないまま現在に至っています。今回のテレビ番組に関連して、モレッリ方式の適用について考えてみたのですが、まずこの問題の参考になりそうな日本美術の例を(少し長くなりますが)示そうと思います。
モレッリ方式の日本美術への適用事例として、大きな成果を上げていると思われるのは彫刻史分野での仏師快慶作の仏像への適用です。私は日本美術から入って、その後西洋美術も見るようになったのですが、モレッリやベレンソンの名前とモレッリ方式という言葉を初めて知ったのが快慶の仏像の耳を使った判定を説明した本でした。その著者は運慶の作品と快慶の作品の耳の造形の違いから快慶作品の特徴を抽出したり、快慶銘はないが作風が近いとされている作品の作者判定に耳の形を使い、その仏像が快慶ではない仏師の作であると判断し、現在ではその判定が定説となっています。その後、この快慶の仏像の耳を使った判定を更に発展させた別の研究者が快慶と弟子の行快の耳の彫り方の差に注目し、この10年ぐらいで大きな成果を上げています。図は人間の耳を示したもので、この耳の部分のうち対耳輪の上脚という部分が「快慶では斜め約45度前方」に向かい、「行快では真っすぐ上」に向かう、というのがその違いです。快慶作品でも初期のものではこれとは違う上脚の角度・形を示すものがありますが、中期以降の作品はほとんど全てこの形になります。そして行快もその頃から登場し、快慶銘のある作品でも行快の耳の特徴を示すもの、右耳と左耳で快慶と行快それぞれの特徴を持つものもあります。これについての解釈は実際には行快が彫っていても、注文者に引き渡す時には「快慶ブランド」として工房から出す、また、頭部の右側と左側で快慶と行快が片側ずつ作って木寄せをしたといったことが考えられます。
このような作者判定に耳の形が使えるといっても、それは同じような時代、地域、社会的環境などの中でのごく狭い範囲でのみ有効であると考えられ、例えば同じ平安時代の仏像でも9世紀のものと運慶・快慶の若い頃である12世紀後半の像の耳が仮によく似ていることがあっても、それは単なる偶然であり比較しても意味がありません。快慶と弟子の行快の耳の彫り方による判別は同一工房の中の作者間であり、師匠の快慶も行快の彫り癖を容認していたようで、行快は快慶の耳の彫り癖を真似て作る必要がなかったという点でモレッリ方式を適用できる例と言えます。そして特に重要なことは、鎌倉時代の仏像製作は注文によるものであり、高く売るために有名な作家の作品の特徴の真似をするといった意図、行為が働いていないということです。
現代の画家が描く絵を見る時でも、最近私はモレッリ方式による見方をしていることがあります。漫画家からイラストレーターになったある有名作家の描く女性の手・指の表現で、ある時美少女らしくない節くれだって力が入ったような描き方をしていることに気がつきました。それ以来この人の絵を見るとつい手に目が行ってしまいます。この手の特徴も描き癖だろうと思っています。
長くなりましたが、西洋絵画の判定にモレッリ方式を適用できるかに戻ると、ルネサンス・バロック期は美術品売買の市場ができ始めた時期です。ミケランジェロが若い頃に、自作の眠れるキュピッドが古代彫刻として売られ、作者が判明して腕の良い彫刻家としてローマでのデビューにつながったという話やバルジェロのバッカスも古代彫刻に見せるために腕を折られて庭園に飾られたことなど、1500年前後は芸術家像が確立し始めるとともに、芸術作品が高値で売られ始めた時代です。バロック期になると売るための絵もかなり流通してきたようで、カラヴァッジョもローマに出てきたばかりの数年間は「売り絵」を描いて糊口をしのいでいたようだし、名前が知られるようになってからも、同じ作品が欲しいという別の注文者からの要望に応えるために、同一テーマの第2作を作ったり、あるいは本人公認で他の画家に作らせる(ドッピオ作品。作者は悪友のプロスペロ・オルシなど。近年までMET寄託だったリュート奏者もその一例か)といったことが行われたようです。その場合、作者はカラヴァッジョ作品に似せるために細部の描き癖までも真似をするのではないでしょうか。
このような「より高く作品を売るため」に製作当初でも別の人が描くということが行われていた時代の作者判定には、モレッリ方式を適用することはあまり有効ではないと考えます。本人の特徴が現れていても、最終的にはそれだけでは作者の判定は決められないということになります。(贋作の判定に有効かどうかも同じような話です。特徴が現れていなければ贋作の可能性があるが、特徴が現れていても真作である証拠とはならない。)トゥールーズのユディトがルーアンのキリスト笞打ちの細部とよく似ているといっても、それだけでは作者の判定はできないと思います。(ヴォドレ氏の2016年西美カラヴァッジョ展での真作一覧表のように、ルーアンの絵自体を真作ではないと考える研究者もいますから、この作品を基準にしていいのかという議論もあると思いますが。)
真筆との比較という点では、バルベリーニのユディトとの差は大きいし、イヤリングが似ていることは、それほど決定的なことではないと思います。また、トゥールーズのユディトはナポリの銀行の絵と比べると出来がいいと思いますが、番組で述べられたようにこのトゥールーズの絵が仮にカラヴァッジョの未完成作をフィンソンが完成させた絵だとすると、ナポリの銀行の絵はそれから更に作られたコピーだろうと思うし、同じフィンソンの作でこれだけ質的な差があるのか、別の人のコピーではないのかということも考えなくてはならないでしょう。番組ではトゥールーズの絵の女性2人の肩の部分の描き直しのX線画像が出ていましたが、この同じ部分についてナポリの銀行の絵がどうなっているのかも知りたいところです。
また、この問題についての提案を一つ。番組ではトゥールーズのユディト、ナポリのユディト、ルーアンのキリスト笞打ちの3者を比べて、ナポリの絵はフィンソン作でトゥールーズの絵より出来が悪い、トゥールーズの絵の細部はカラヴァッジョ作であるルーアンの絵の細部と似ている、だからトゥールーズの絵はカラヴァッジョ作である、ということを述べているのですが、ここにもう1点フィンソン作の絵を加えて考えてみたいと思います。それは昨年の名古屋カラヴァッジョ展に出品された個人蔵の聖セバスティアヌス(図録のp149 No.22)です。この絵のセバスティアヌスの下帯とルーアンのキリストの下帯を比べても、特にフィンソンの技術が劣るという感じはしません。モレッリ方式は技術の優劣を比べるのではなく、特徴的な描き癖を見るものですが、フィンソンもこのぐらいの技術は十分持っていたということです。この聖セバスティアヌスの絵は図録解説によると保存状態が非常に良いということで、フィンソン作という判定が正しいならナポリのユディトよりもフィンソンの絵の実態を正しく示しているのではないでしょうか。図録解説での制作年代は1606~07年頃となっていて、これはトゥールーズのユディト、ナポリのユディト、ルーアンのキリスト笞打ち、カポディモンテのキリスト笞打ちの制作年代とされる1607年(カラヴァッジョの第一次ナポリ時代)と一致している点でも比較材料として相応しいと考えます。(フィンソン作の聖セバスティアヌスの下帯の描き癖とカラヴァッジョの各種真作の同様部分、トゥールーズとナポリのユディトのベッドシーツの描き癖などの比較はやっていません。興味のある方は比べてみてください。)
なお、番組中で上記のトゥールーズの絵とルーアンの絵の比較部分に出演していたJohn Gash氏はバーリントン・マガジンの2019年9月号(No.1398)にこの件に関する論文を発表しています。私はまだこの論文をきちんと読んでいないので、今後これを読んだ上で、上記の考えが変わるようなら、また機会をあらためてコメントしたいと思います。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/f3bc8a4cdb9b325390c8600aa586ad8a
専門家の言う通り、作品の質の見極めが大切なのかもれませんし、科学鑑定も主流になっているのも了解できますが、モレッリ方式が有効な場合もあり得るようですね。むろさんのご紹介くださった日本の慶派仏像にモレッリ方式を応用している例はとても興味深いものがあります。それに漫画家やイラストレーターの「描き癖」って確かにありますよね。
ジョン・ガッシュの論文は私もサクッとだけで未読ですが(汗)、少ない作品例でモレッリ方式により論ずるのは無理があるような気がします。
で、むろさんさんのおっしゃる通り、ルイ・フィンソン《聖セバスティアヌス》は画家の実力を示していましたし、トゥールーズ作品がフィンソン作品だとしても不思議は無いように思います。描かれた経緯も含め、まだ謎が多すぎますよね。
多分、METのキース・クリスチャンセンが調査研究し、論文発表するでしょうから、その結果を待ちたいと思います。それにしても彼の「裏技」には驚きましたが(;'∀')
ところで、むろさんさんご紹介のモレッリ方式のルネサンス画家の手の一覧は面白くて、わかるわかる!と思ってしまいました(^^)。フィリピーノはやはりパパより師匠ボッティチェッリに似ているし、コスメ・トゥーラは関節が曲がっているのが特徴なので、なるほどと(笑)。でも、ベッリーニの親指は反っている例が多いと思うのですがね(;'∀')
むろさんさんからの投稿文で私も色々と勉強できましたし、気が付いたことも多かったです。本当にありがとうございました!!
さらに、これ以外の別の図録掲載論文で、モレッリ方式に関して何か役に立ちそうなものがないか調べてみたら、いいものを一つ見つけました。ベルリン国立美術館展図録(西美2012年)の「サンドロの友の憂鬱、フローラの涙」(高梨光正氏)です。これはモレッリ方式を毛嫌いしていたボーデ、そしてモレッリの後を引き継いだベレンソンがモレッリ方式をどのように扱っていたかを論じたもので、上記岡田氏の「モレッリとロンギ」とセットで読むことにより、モレッリ方式の理解が一層深まると思います。(なお、ベレンソンがモレッリから直接指導を受けたのは、モレッリが亡くなる1年前だけだったということにも驚きました。)また、この高梨論文はベレンソンが「アミーコ・ディ・サンドロ」という、今ではボッティチェリとフィリッピーノ・リッピに分類されている「架空の画家」を想定したことについて詳しく論じていますが、上記投稿の中で私が2016年のボッティチェリ展記念講演会でモレッリ方式について質問し、回答いただいた方がネルソン氏というベレンソンがいたヴィラ・イ・タッティ所属でフィリッピーノ・リッピの研究をしている方だったので、これはモレッリ方式についてのご回答をいただくにはこれ以上考えられないほどの適任者であり、なんと幸運だったのかということを改めて実感しました。ベルリン美術館展図録をお持ちなら是非ご一読ください。(上記コメントで、身に余るような感謝をいただきましたが、私の方こそ岡田氏の文章を教えていただいたおかげで、高梨氏の論文にたどりつくことができたので、とても感謝しております。)
なお、上記投稿で書いたルイ・フィンソンの聖セバスティアヌスですが、ネット上に写真がありました。ご参考まで。
https://artdone.wordpress.com/2016/06/19/caravaggio-madrid/louis-finson-st-sebastian-ca-1607-10-private-collection/
それにしても、ベレンソンがモレッリに師事していたのを初めて知りました(汗)。ヴィラ・イ・タッティの研究者人脈は現代も続いているのですね。ネルソン氏に質問できて良かったですね(^_-)-☆
で、ネットのフィンソン《聖セバスティアヌス》画像紹介もありがとうございました。名古屋で観た時も、フィンソンは北方(フランドル)のカラヴァッジェスキだよなぁ、と再認識できましたです。
ベレンソンはモレッリ方式の活用と写真アーカイブのシステムを作って美術作品の鑑定を行いましたが、矢代はこのうち写真利用の方を引き継ぎ、その成果を英文著書BOTTICELLIに生かしたこと、そして矢代と同年生まれのロンギがこの矢代の著書に影響され、矢代の本の出版直後にルーベンスとピエロ・デラ・フランチェスカの論文及びモノグラフで部分写真を多用していることが述べられています。ベレンソンは矢代やケネス・クラークなど多くの研究者を育て、それは現在の日本の美術史研究者まで繋がっています(矢代から摩寿意善朗や高階秀爾が出たこと、ケネス・クラークは30歳でロンドンNGの館長に就任!)。
ベレンソンは絵画作品の鑑定を行い、それがボストンのガードナー夫妻などの購入につながった場合は、購入価格の一定割合を報酬として受け取ったそうで、高価な作品を鑑定するほど収入が増えることになるので、当時このやり方は多くの批判を浴びたそうです。そしてそれによって得た莫大な収入で25歳頃にフィレンツェ郊外のヴィラ・イ・タッティの広大な邸宅を手に入れたとのこと。
しかし、ベレンソンが偉いのは、このやり方を私腹を肥やすためにやったのではなく、ヴィラ・イ・タッティをルネサンス研究センターとして活用し、(その死後に)ハーバード大へ寄贈したことで、この文化的意義により戦後にはアメリカ大統領もヴィラ・イ・タッティを訪問しているそうです。
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の珠玉の作品の数々もこうやって集められたものであり、大富豪の資産の一部が作品収集に使われるとともに、研究者を育てることにも使われることになったのだから、イタリア・ルネサンス研究に対して、ベレンソンの功績は非常に大きいと言えます。
(下世話な話ですが、今回のトゥールーズのユディトの購入に際して、METのキース・クリスチャンセンはいくらもらったのだろうと考えてしまいます。)
そのおかげで、後継の研究者たちがたくさん育ったのですから、良いお金の流れと言えますね。
で、キース・クリスチャンセンは手数料を貰っているのでしょうか??(・・;)
上田恒夫訳「ジョバンニ・モレッリ『イタリア絵画論―ローマのボルゲーゼ美術館とドーリア・パンフィーリ美術館』翻訳」1~10、金沢美術工芸大学紀要46号(2002年)~55号(2011年)に10回連載
上記投稿本文で画家の手の比較写真を掲載しましたが、この図を収録している原書の翻訳だと思います。現在コロナ騒動で大学図書館などが利用できない状況なので、これが解決したら探してみようと思います。
モレッリ方式についてのコメントばかり長くなったので、この辺でまとめておきます。
ベルリン国立美術館展図録の高梨論文では、ベレンソンの方法として「作者を明示するということは、ある画家の画業の中のどの段階に位置づけられる作品であるかという点を、様式から説明されて初めて、誰のいつ頃の作品かが明示される」としています。
また、あるイタリア美術史の専門家から聞いた話では、「モレッリ方式は美術史研究の初期段階で考えられたものだが、基本は今でも生きている。カラヴァッジョ作品でなければ誰の作品かを言えなくてはならない。」
以上二点を結論としたいと思います。
で、なるほど、モレッリ方式の基本は現在でも生きている、というお話は頷けます。
むろさんさんのおかげで、モレッリ方式について色々と勉強することができました。本当にありがとうございました!!