Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

Attack Chanceは何度でも

2007年12月16日 | 奥さんには奥さんの仕事が。

  先月末に奥さんの勤めている会社でえらいことが始まった。
   うちの奥さんは設計事務所に勤めたり、フリーで仕事をとったり
   していたのだが、ここ半年ほどは施工会社・兼設計事務所という
   感じの個人会社に勤務していた。家からも近いこともあり声が
   かかったときに、僕もそこにしたら?と勧めたものだ。

この会社、たしかに以前彼女が勤めていたところよりも少し忙しさも
抑え気味でちょうどよかったのだ。老板(社長)もかなり以前から上海に
住んでいる古株の人で上海在住の日本人の間でも知っている人が多い。
かなり顔の広い人なのだが・・

会社自体は奥さんによれば、かなり苦しくなっているとのことで心配して
いたのだが・・11月末に突然「12月15日で清算する、あとは一人で
やっていく。もし手伝ってほしい人がいる場合はスポットで集めていく
から」。ようは解雇通告されてしまった。

かなり経営がいいかげんだ。聞いているだけでもなんだか変だ。
まずお客さんのところにあまり行かない。選り好みする。
これだけでもだめなんだが、もうターゲットもよくわからない。でも本人は
早く退社して飲みに行く・・仕事はうちの奥さん他部下にまかせっきり・・

考えれば、上海とはいえ、だめにならないほうがおかしい。右肩あがり
でもcompetitorは増えていただろうに。

12月に入ると、その通告をして、自分は日系ゼネコンでバイト。相変わ
らずお客さんまわりは任せきり。お客さんのほうを見ていないのだ。
お客様第一とはよく言ったもので、そういうひとは淘汰されていく見本
のようなものだ。

奥さんは次の仕事先を探している。いろいろアドバイスもしてみている。
でもなかなかショックが続いている。この老板、まわりが見えていない
のだ。もう気にせずに、いま担当しているお客さんを大事にすることと
まわりに職探しのお願いもして、フリーでとっていく案件ものも探して・・・

こうしていくと、やはり上海と大阪に離れて暮らしているのは不便だ。
ここ半年こそ会社勤めだったが、最初の半年は奥さんはフリーみたいな
もんだった。そのときはそんなに心配してなかったのに・・
やっぱり解雇された不安感、その後いいオファーが少しでもあればいい
けど、現時点ではあまりないことなどがそう思わせるのかもしれない。

離れて夢を追う。邪魔はしたくないし、自分の生活もこわせない
だけど、向こうには子供もいる、不安感は与えられない。
少し焦っているけど電話で励まし、指示していくしかない



仕事の帰り道。子供のすきなキッズプラザのある関西テレビのネオン。

じっとみていると、子供がなにかいいことがあるのかと思っても
そんなことあるわけもなく。。

そろそろ、何か転換させることが必要なのかもしれないなと思う。
やれやれ。
これからまたいろいろありそうだ。

チャンスは何度でもやってくる。チャンスの神様の前髪をしっかと握り
しめられるように、少し練習しておこうか。



最新の画像もっと見る