遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『疾風ロンド』  東野圭吾  実業之日本社文庫

2021-06-03 13:53:37 | レビュー
 スキー場を舞台とし、その一隅に人々を恐怖に陥れる物質を埋設する。それをもとに脅迫し大金を得ようとする犯罪行為にまつわるストーリー。この発想の原点は第1作と同じである。ならば、おもしろみがない・・・のでは、とならないところがやはりストーリー・テラーというべきか。

 葛原克也は、己が熟知するスキー場のコース外で、大きなブナの木の根元の雪を掘り、深さが30cmほどの穴を作った。そこにある「品物」を埋設する。そして、デジカメで証拠写真を撮る。その木に、顔の高さあたりに釘を打ち、小さなテディベァを吊した。そのテディベアが発信器の役割を担うのだ。埋設した品物とは、彼自身が密かに開発した強力な生物兵器だった。勿論、その開発は禁止行為である。
 コース外との境界になるロープの辺りに戻ったところで、葛原はパトロール隊員につかまり注意を受ける。そのあと綿密に練り上げ計画し、作成していた脅迫メールに証拠写真を添付し、葛原はメールを送信した。天候が悪化してきたので、葛原は直接東京に戻る予定を変更し、温泉でゆっくり一泊して戻ることにした。その時点では「才能ある人間は犯罪を実行する場合でも非凡なのだ」(p12)とうぬぼれていた。ゲームの始まりだ。
 
 場面は、東京の泰鵬大学医科学研究所に転じる。大学院を出て23年になる最古参研究員の栗林和幸が、研究所で月曜日の定例実験室内チェックをしていて異変に気づく。バイオセフティレベル4に相当する部屋の冷凍庫に保管されているはずのケース5つのうち、2つが消えていたのだ。現在ここに保管されている病原体は1種類だけ。栗林はあわてて生物学部長の東郷雅臣のもとに報告に行った。
 その時、東郷は既に葛原からの脅迫メールを受け取っていた。栗林の報告は、この脅迫メールが悪ふざけではないことを裏付ける結果となる。
 脅迫メールの差出人は「K-55」。これは盗まれたケースの中身の名称でもあった。その研究を主に担当してきたのが葛原だった。彼は、ワクチン開発に取り組む一方で、生物テロについての研究もしていた。勿論、後者の開発研究は重大な法律違反である。事情を知った東郷は、即座に葛原を解雇していた。だが、東郷は葛原が開発するまで彼の研究を黙認していたことになる。東郷にとり、警察への盗難の通報は論外だった。

 そんな矢先に、埼玉県警から東郷に連絡が入る。関越自動車道上りの本庄児玉インターを過ぎたあたりで交通事故が発生。葛原が死亡したという報せである。
 生物兵器となる病原体を入れた容器を雪の下に埋設し、脅迫メールを送付してきた葛原が死んだ。綿密に練り上げた計画とはかかわりなく・・・・偶発的にあっさりと。
 さて、どうなる!?

 脅迫メールには、写真の場所の確定と方向探知受信機の入手というクリアすべき2つの条件が記されていた。その条件のもとに、葛原は3億円での取引をメールで伝えてきていた。
 犯人が死んだ。死人に口なし。このまま無かったことにして、知らぬふり・・・・。
 残念ながらそれはできない。雪解け時期が来て、土中の気温が摂氏10度以上になると、エボナイト製の栓が膨張し、ガラスケースが破損するのだ。破損すれば、生物兵器となる!
 葛原は、メールに発信器のバッテリーは1週間しか保たないと明記していた。

 まったく違うストーリー展開になっていくことが、これでおわかりだろう。
 俄然、おもしろくなる。読者の惹きつけ方がうまいなと思う。

 ここで、読者を惹きつける要素が既に仕組まれている。葛原が一泊して東京に戻ることを決めた。その続きに、スキー場に近い居酒屋で根津昇平と瀬利千晶が1年ぶりに再会する場面が描かれる。根津は2年前に知り合いに誘われて、別のスキー場に移り、こちらでもパトロール隊員をしているのだ。葛原のコース外行動に警告を発したのは根津だった。千晶とは大会に出場するためにこのスキー場に昨年来たとき以来の再会だった。
 この時点で、根津と千晶がこの事件に関わっていくのだろう・・・読者はそう予測し、やはり期待することになる。

 そこで。東郷は栗林に内密でスキー場を特定し、生物兵器の埋設された場所の発見と回収を厳命する。警察に連絡すれば失職、うまく回収できれば副所長のポストを用意しようと持ちかける。息子秀人が来年高校受験を迎える栗林は、東郷の指示に屈してしまう。
 そこからこのストーリーが進行していく。栗林秀人はスノーボードに熱中していて、機会をつくっては友人たちとスキー場に出歩いていた。栗林は理由を明かさず、スノーボードなどを新たに買ってやるという甘い餌で秀人に協力させる手を思いつく。

 このストーリー、設定が巧みだ。まず交通事故という状況の設定である。葛原の遺体が安置されている病院に、東郷と栗林が要請をうけ出向き本人確認をする。その折、大学の備品持ち出しという理由で、手際よくタブレットや方向探知受信機を回収したのである。これで、条件の一つはクリア。
 脅迫メールに添付の写真から、スキー場をどのように特定できるか? もちろん、葛原は簡単に特定できるような景色の撮り方はしていない。東郷は栗林に丸投げする。
 このスキー場の特定はどのように? これがなかなかおもしろい。その進展が最初の読ませどころとなる。
 
 葛原は解雇された後に、セキュリティ管理の厳しい実験室内に侵入して盗み出していることになる。研究所内にそれと知らずに協力する立場になった人間がいるはず。その密かな調査を東郷がする。この協力者が実はくせ者だという設定がストーリーにおもしろさを加える。

 スキー場が特定できれば、勿論栗林はスキー場に乗り込み、添付されていた写真と方向探知受信機を使って、密かに埋設地点を探そうとする行動に移る。学校を休ませて、秀人を伴いスキー場に赴くのだ。
 スキー場では様々なハプニングが連続していく。そもそも、栗林は若い頃にスキーの板をはいた経験だけであり、やっとボーゲンで滑れる程度なのだ。栗林の生物兵器埋設場所の探索は、最初から困難を極めるドタバタと言える。そこへ、それとなく近づいてくる男が現れる。また、栗林はピンクのウエアを着た小学生の女の子とその両親にゲレンデで知り合うことにもなる。女の子が栗林の前に突然現れ、栗林は尻餅をつき滑り落ちたのがそのきっかけだった。このスキー一家が事件に巻き込まれていくことにもなる。また、栗林の雪中でのドタバタ行動にパトロール隊員根津が救助という形で関わって行くことになる。
 一方、栗林父子がスキー場に赴いた時、地元の板山中学の2年生、総勢60人あまりがスキー授業に来ていた。父親のスキー技術を心配しながらも、秀人はスノーボードに熱中していく。そして、スキー授業に着ていた山崎育美という中学生と知り合うことに。秀人にちょっとした恋心が芽ばえる。秀人が育美と知り合うことがきっかけで、育美の同級生でスキーの上手な男子生徒たちとの接触も始まって行く。
 
 いろいろな要素が織り込まれながら、生物兵器埋設地点の探索が進展していく。
 読者をハラハラさせる繰り返しがなかなか巧みに展開されていく。

 「ロンド」を辞書で引くと、「同じ主題の旋律が何度も繰り返される間に異なる旋律がいろいろはさまれるもの」(『新明解国語辞典』三省堂)とある。
 このストーリーでは、栗林が悪戦苦闘しながらスキー場で埋設地点を特定しようとする行動が「同じ主題の旋律」になる。その旋律はさまざまにバリエーションを加え繰り返されて行く。そのバリエーションに根津と千晶が深く関わって行く羽目になる。
 その間にスキー場に居る人々が「異なる旋律」をさまざまにはさんでくることになる。栗林にそれとなく近づく男、小学生の女の子とその両親、板山中学のスキー上手な男子生徒たち、東郷のプレッシャー、スキー場の『カッコウ』という店の人々・・・・。それらの異なる旋律が、主題の旋律に収斂していく。
 このストーリー、まさにロンド風である。スキー場が舞台だから、勿論様々な形でスキー場内を滑走していく場面が描写される。それは「疾風」場面でもある。また、この事件を解決するために、根津は最終ステージでまさに疾風の如くに行動せざるをえない立場に追い込まれていく。おもしろい。
 ストーリーの最後はあるニュースの報道で終わる。それが実に滑稽なのだ。
 楽しめるストーリーである。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『白銀ジャック』  実業之日本社文庫
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』  角川文庫
『禁断の魔術』  文春文庫
『虚像の道化師』  文春文庫
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


最新の画像もっと見る

コメントを投稿