遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『哲学する仏教』 藤田一照・山下良道・ネルケ無方・永井均  サンガ

2020-08-01 14:45:25 | レビュー
 本書のタイトルに惹かれて読んでみた。副題は「内山興正老師の思索をめぐって」である。「哲学する」という語句が「仏教」の修飾句になっている。どういう意味だろうか、という興味・・・・・。「まえがき」を読むと、内山興正老師が坐禅の実践を通じ心身で考え抜いた思索が「ブツダや道元も含めて他の仏教者には見られない哲学的高みに達していると言われる」(p4)と記されている。
 本書は内山興正著『進みと安らい-自己の世界』という仏教書を題材にして、内山老師の弟子筋にあたる3人と哲学者永井均の4人により、2019年に朝日カルチャーセンター新宿教室でリレー講座が行われたという。その時の講座名称が本書のタイトルとなったようだ。その意図は上記に絡むのだろう。その連続講座の記録に加筆修正が加えられて2019年11月に本書の刊行となった。
 『進みと安らい』は1969年に刊行されたが、その後著者の判断で絶版となっていたという。それが2019年に50年ぶりで復刊された。私はこの本の最初の出版も、復刊されていたことも知らなかった。そのため、この連続講座の中に各著者が講義として引用し解説する個所を通じて間接的部分的に『進みと安らい』の内容に触れたにすぎない。

 この本の冒頭には、『進みと安らい』に掲載された6枚の「自己曼画」が5ページにわたってまず紹介されている。蔓は曼荼羅の蔓が使われているという。この蔓画と章句の引用とその解釈・解説に弟子筋の講師それぞれの考えが加えられ講義の中心に取り込まれている。この自己曼画が中核になっているので、そのイメージを持っていただくために、永井均により講義の中で1枚のシートに再配置して使用されたものを引用する。

このシートは、右上を第1図にして反時計まわりに第6図まで配置されている。
第1図に付された一文がおもしろい。「屁一発でも貸し借り、ヤリトリできぬ自己の生命」とある。右下の第5図は上の四角の部分がアタマの状態を示し、その下が坐禅を組む人の姿を漫画にしている。この図には、「アタマの展開する世界の基本には『わが生命』があった!」という一文が記されている。

 本書はある意味で、この蔓画の絵解きとなっている。内山興正の著書からの章句を引用し、4人の共著者が現代時点でのそれぞれの視点から持論を展開していくところが読ませどころになる。
 本書は4つのセクションで構成されている。
 1.坐禅・安らいつつ進む道  藤田一照
 2.マインドフルネスという黒船来航前の内山老師  山下良道
 3.内山老師のいきづまり  ネルケ無方
 4.内山哲学は仏教を超える  永井均

 本書はおもしろいリレー講義集で、それぞれは独立した講義録である。通読しただけで残念ながら十分に理解できたと言えない。内山興正師並びに『進みと安らい』に関心を抱く契機になった。おもしろいと感じた点をご紹介する。
1.弟子筋の藤田一照、山下良道、ネルケ無方の3人が『進みと安らい』から引用する個所は共通するところがいくつかあるが、その解釈や引用の趣旨、論旨の展開がそれぞれの視点でかなり異なる。また、それぞれの論点について、相互に疑義を呈したり反論点について率直に述べている点がおもしろい。そこに底本へのスタンスの違いが現れている。
 この解釈や主張の食い違いが、我々にとっては考えるための幅を広げてくれる材料になっている。
2.永井均は『進みと安らい』における内山の論点を、哲学者の視点から、私秘性と独在性という概念を提示し、6枚の図を捉え直して論じていく。完全平板化と完全突出化、「妄想-現実」解釈と「娑婆-涅槃」解釈、没入人から見物人へ、などの考え方を加えて図の絵解きをしながら、内山興正の思索における図に混同個所があると己の見解として指摘している。その上で内山興正のいきづまりは自己誤解であるとする。他の3講義とは思考の切り口が全く異なるところがおもしろい。
 永井の講義の全体を私は十分に理解できたとは思えない。一番難解な講義内容だった。
3.永井は「あとがき」で「私は仏教というものをいろいろに批判している」と記す。
 そして、「真理の探求は(その真理のもちうる)価値から独立になされなければならない。そうであることにどんな価値があるかはわからないが、とにかく事実としてそうである、そうなっている、ということの認識こそが出発点でなければならないのだ。ここは決して譲れない一点である」と立場を明確にしている。

 さて、弟子筋の3人の講義内容に多少ふれて、ご紹介しておきたい。

藤田一照の講義
 第1回目の講義として、内山老師の説く「自己」の概念の解説と自己蔓画の図の絵解きを順番に行い、読者の理解を促進させる。そして、「進み」と「安らい」とについて、普通の観念での批判およびその二語の関係性を読者に分かりやすく解説していく。

山下良道の講義
 著者は、曹洞宗僧侶となった後、ミャンマーで具足戒を受け比丘となり、「マインドフルネス」を修し、ワンダルマ仏教僧に転じた。仏教史を「仏教1.0」(=昭和/昭和以前の仏教)、「仏教2.0」(=平成の仏教)、「仏教3.0」(=令和の仏教)と大きく区分して説明する。仏教3.0として「マインドフルネス」の視点から、内山の自己蔓画を、特にアタマと生命というコトバを軸に読み解き直していく。そして、第5図に「もう一つの意識」という新たな発見を加えて行く。

ネルケ無方の講義
 なぜ禅僧になったかという背景と永井先生への3つの問いを冒頭で触れた後、内山老師のいきづまりについて論じ、さらには道元禅師のいきづまりにも触れていく。興味深い点は、内山の自己蔓画を踏まえた上で、独自にアレンジした図を幾つか使って持論を展開していくところにある。内山興正著『御いのち抄』に出てくる2つの図「あたまといのちの漫画図」「生のいのち漫画図」を紹介して論を進める。
 宗教A、B、Cという形で、キリスト教と仏教を図式化して対比的に説明しているところも興味深い。

 最後に、本書で使われる内山老師の思索から生み出されたコトバをいくつか列挙して終わりにしたい。
 「自分は、自分だけは知りえない」「自分が知りうるのは自分だけ」
 「感嘆詞的自己」と「規定詞的自己」
 「ナマの生命の世界」と「アタマの展開した世界」、「真実の生命への出なおし」
 「自己ぎりの自己の世界」「現在ぎりの現在の世界」
 「私が坐禅をする」のではなく、「坐禅で私をする」こと
かなりユニークなコトバの使い方である。これらのコトバに興味を持たれたら、本書を手に取ってみるか、復刊された『進みと安らい-自己の世界』を開いて、理解を深めていただくとよい。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連してネット検索した事項を一覧にしておきたい。
内山興正  :ウィキペディア
内山興正老師語録(著作の抜粋) :「Wonderful Words by Roshi」
MONKMAGAGINE.vol.02 UCHIYAMA KOSHO ROSHI
インデクスは英語表記ですが、各ページは日本語での引用です。
オンライン禅コミュニティ 大空山磨塼寺  藤田一照オフィシャルウエブサイト
山下良道 一法庵 公式サイト
安泰寺 ホームページ
  ネルケ無方
ネルケ無方「人生の意味とは?」  YouTube
ネルケ無方の処方箋  :「仏教伝道教会」
永井均  :ウィキペディア
永井均(@hitoshinagai1)・Twitter
なぜ子ども時代の問いを持ち続けられたのか  :「哲楽」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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