遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブラマモリ 17 吉祥寺 田園調布 尾道 倉敷 高知』  角川書店

2021-06-27 17:09:10 | レビュー
 このシリーズ第17巻は、高知以外は直接、当日番組の放送を視聴した記憶がある。また、倉敷は一度観光で訪れている。番組のことを思い出しながら本書を読み進めた。視聴した放送の内容も、改めて活字で読み直すと、細部の内容など覚えていないという思いしきり。ある意味、新鮮な気持ちで読め、良い復習になった。

 「吉祥寺」は2017年12月23日放送、「田園調布」は2018年1月20日放送、「尾道」は2017年5月20日放送、「倉敷」は2017年6月3日放送、「高知」は2017年9月30日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2017年9月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江有里恵さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<吉祥寺> テーマ「なぜ人は吉祥寺に住みたがるのか?」
*都心に住みながら井の頭公園という緑豊かな憩える公園が吉祥寺駅近くにある。
 駅からおよそ300mという至近距離。正式には「井の頭恩賜公園」で元皇室の所有地
 大正2(1913)年に東京市に下賜され、大正6(1917)年、日本初の郊外公園となる。
 井の頭池のほとりに、井の頭弁財天がある。江戸時代から観光名所だった。
*井の頭池は湧水池。池そのものが信仰の対象。江戸時代に整備された神田上水の水源
 武蔵野台地上で、台地の勾配がゆるやかになる辺りに位置し水が沸き出しやすい地点
*外来生物駆除活動が実を結び、水草のイノカシラフラスコモが60年ぶりに復活
*井の頭池は窪地の中にあり、水が利用しづらく集落がなかった。玉川上水が転換点
 神田上水完成の約60年後、玉川上水(全長43km)は江戸の水不足解消目的で整備
  ⇒多摩川上流で取水。武蔵野台地の稜線を引きまわし四ッ谷大木戸まで。高低差92m
  ⇒周辺より高い位置を流れ、吉祥寺でこの上水の利用が可能となり人が住めるように
*明暦3(1657)年の大火で水道橋周辺にあった吉祥寺門前も焼けた。住民は居住地喪失
 幕府はこの未開の地を吉祥寺門前住民の移住先とした。60軒ほどが移住し集落をつくる
 吉祥寺は移転しなかったが、ゆかりの寺名をとり「吉祥寺村」と命名。地名の由来に
*幕府はこの地の五日市街道沿いに、間口が狭く細長い短冊状の土地に区分して付与
 幕府が付与した土地:間口20間(約36m)、奥行634間(約1140m)。街道に対し直角に
  ⇒街道沿いに家屋、その奥に畑、一番奥に建材や燃料用に植林。その端に千川上水
   玉川上水から元録9(1696)年に分水として千川上水を整備。浅草方面向けの上水
  ⇒その結果、現在の吉祥寺駅前の通りに対しては全ての道が斜めに交差する形に
*明治後に鉄道を敷設の際、五日市街道と鉄道の交点は周辺住民の反対で駅の建設不可
 月窓寺が所有地貸与に協力し、現在の吉祥寺駅が建設された。18年後に公園が開園。
 
<田園調布> テーマ「田園調布はどう超高級住宅地になった?」
*渋沢栄一とその息子秀雄が田園都市株式会社を拠点に、駅前に半円形の住宅地を開発
 19世紀末、イギリスで提唱の「ガーデン・シティ」計画に明治政府が着目。導入検討
  ⇒田園調布の「田園」は「庭園」(ガーデン)の意味。大正時代に開発開始。
   イギリスの計画が扇形の街の広がりと緑豊かな自然と共生する人間らしい街造り
 当初の販売促進対象は”社会の中堅向け”。当時の都心で働くサラリーマン(部課長層)
  ⇒地盤のよさに注目し当初多くの軍人が移り住む。売り出し公示直後に関東大震災
*多くの軍人が移り住んだことで高級住宅街として名を挙げる。その後、各界のセレブが移住し人気沸騰。昭和62(1987)年に地価が1坪1000万円を突破。超高級住宅街に
*地形としては切り立った台地の上に扇形住宅街がすっぽりおさまる。街には坂が多い
 田園調布は立川から始まる国分寺崖線(およそ30km)の長大な崖の終点エリアである
*田園調布周辺は都内でも有数の古墳密集地帯。古代のセレブも愛した土地だった。
  ⇒多摩川浅間神社は巨大な前方後円墳の後円部上にある。眺望の良い地点に立地
*駅前の線路をはさみ住宅街と反対の東側は完全な商業地区。病院や店舗が並ぶ。
 かつては遊園地の多摩川園があり、その跡地が田園調布せせらぎ公園に。

<尾道> テーマ「なぜ人は尾道に魅せられるのか?」
*3つの魅力 ①古い寺社仏閣が多い ②尾道水道の景観 ③坂道に建ち並ぶ家と路地
*尾道の北側、尾道三山(浄土寺山・西國寺山・千光寺山)は修験者の修行の場
 ⇒ 事例:千光寺境内に「くさり山」「三重岩」「鏡岩」「梵字岩」等々。
*鎌倉時代に建造された浄土寺裏門の楼上は商人の鳩小屋で伝書鳩が情報伝達手段に
 大坂の米相場情報を早く知る手段に使われた。尾道には豪商が多かった。
*1169年、尾道から山手30kmほどの世羅台地にある「太田荘(大田庄)」の作物を都に運ぶための港に尾道が指定された。尾道は平安時代末期からたくさんの商人が集まった。港町として急速に発展。難点は平地が少ない。かつては西国街道ぎりぎりまで海だった
  ⇒入り江を埋め立て平地に。尾道市街はほとんどが埋立地。その痕跡が町中の石垣に
   事例:嚴島神社(明治時代に八坂神社を合祀)の裏手に残る石垣。元は海沿いに
*尾道水道の海幅が狭いのは尾道の海の埋め立てによる結果。フェリーで対岸まで約4分
*山際に鉄道を敷設するのを契機に、山側を開拓し坂道に家が建ち並び、路地を形成
  ⇒鉄道敷設のため海側をさらに埋め立てるのは尾道の海運に影響を及ぼすため不可
  ⇒鉄道敷設で立ち退きを余儀なくされた人々が移住。戦時中に「建物疎開」も。
  ⇒事例:坂道での生活の知恵が「二階井戸」。坂道の上下二軒が井戸を共用

<倉敷> テーマ「なぜ美しい町並みが倉敷に?」
*倉敷市の「美観地区」に江戸時代~戦前の建物が500軒以上残る。空襲を免れたのも一因
 ⇒江戸時代建造の漆喰で固めたなまこ壁の蔵、木造洋風建築の白い倉敷館(旧倉敷町役場)
*倉敷の地名は「倉敷地」(年貢などの輸送の一時保管場所)に由来。倉敷川が運搬経路
 ⇒物資中継地として多くの豪商が生まれた。豪商たちは様々な富み創出の手段を得た
   事例:森田酒造。元の家業は畳表問屋。所有する田んぼの収穫米を大坂で売買。
      明治42(1909)年に酒造業を開始。倉敷の豪商は地主という副業を持てた
 ⇒江戸時代に倉敷は「天領」で少数の役人だけ。統治には地元豪商の協力が不可欠  
*かつて倉敷周辺は遠浅の海で島が点在。江戸時代、干拓による新田開発で商人が地主に
 ⇒倉敷を統治する代官所が、新田開発を含め商人に自由な商業活動を許した。
*倉敷周辺の干拓地では塩害対策と換金作物の観点で、江戸中期以降、盛んに綿花栽培  綿花栽培には大量の肥料が必要。倉敷の豪商は北前船で運搬の大量の魚肥を購入し、綿花を栽培し、広く販売するというビジネスモデルを創出した。
 ⇒倉敷市南東の児島:真田紐など綿製品製造→足袋、学生服(7割生産)、児島ジーンズ
*代官所跡が英国式紡績工場に。工場建屋も英国式のまま(のこぎり屋根)。気候風土の違いによる難点・暑さ対策を外壁にツタを覆わせることで解消。一方、導入した英国式機械は日本産綿花に対応できず、安価な外国産の綿花輸入に。倉敷の綿花栽培は衰退。
 ⇒明治22(1889)年完成の紡績工場は現在「倉敷アイビースクエア」(複合観光施設)に
*大原美術館は昭和5(1930)年開館で日本初の私立の西洋美術館。ギリシャ神殿風建物
 地元出身の実業家・大原孫三郎が開設。倉敷紡績その他の事業を手掛けた人。
 昭和30年代に大原總一郎が分館を増設。古い町並みとマッチする外観意匠を導入した
 ⇒昭和43(1968)年、倉敷市は全国2番目に町並み保存条例を制定

<高知> テーマ「高知の町はなぜ龍馬を生んだ?」
*高知の城下町は四方をぐるりと山に囲まれた場所にある。
*東西方向の江ノ口川と鏡川の間に、南北に走る2本の堀(幅18m、今は埋め立てられている)があった。この堀が城下町の居住区を身分で分ける境界線になる。
 堀の内側は上級武士(上士:山内家譜代の家臣団)、外側は下級武士(下士:もと長宗我部氏に使えていた武士たち)⇒身分制度、幕藩体制を打ち壊すエネルギーにつながる
*民謡「よさこい節」の流行で「はりまや橋」が有名になるのは江戸時代末期。実話の事件
 はりまや橋は城下町の東側、東西に走る堀に架橋。堀跡に平成10年、模した橋を建造
*堀と堀が交差し、南北に走る堀は、町の南を流れる鏡川に合流し、瀬戸湾・太平洋に。 ⇒堀は太平洋と城下町を結ぶ物資運搬、水運の役割を担う。物流センター的な場所も
*城下町の南側に屏風のように連なる山並みの地形の成り立ちが別のキーとなる。
 ⇒西分漁港に近い住吉海岸は「メランジュ」と呼ばれる地質体。原因はプレートの動き
  プレートテクトニクス論が世界で初めて陸上で実証された場所→現代地質学の夜明け
 ⇒横一直線の山が、川に浸食されるなどして切れ目が生じ、平地と太平洋を結ぶラインに
*内海である瀬戸湾の入口、種崎にはかつて土佐藩「御船蔵」(船の格納庫)があった。
 周辺には船大工、廻船問屋、船乗りなどが住む。水運の基地といえる町だった。
 種崎地区の先端の対岸は浦戸港。対岸の先端、太平洋側に桂浜が位置する。
 ⇒少年時代の龍馬はしばしばこの種崎に通ってきていたという。
  龍馬が京都で暗殺される直前に一度帰郷した際、最後に種崎の中城家の離れに滞在
  種崎は龍馬が夢を描き始めた原点の地かもしれない。
 
 本書内容の覚書のまとめをこの辺りでしめくくることに。本書を広げてどのように説き明かされるかのプロセスをお楽しみいただきたい。タモリさんの現地・現物との出会い、併せてビジュアルな材料を巧みに使う案内人のプレゼンテーションがやはり読ませどころである。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
吉祥寺(文京区)  :ウィキペディア
「吉祥寺っていうけど、お寺はどこ? 」なギモン  :「ちくわ おでかけ情報」
五日市街道  :「道路WEB」
井の頭恩賜公園  ホームページ
田園調布の開発 自由が丘・田園調布 :「三井住友トラスト不動産」
渋沢秀雄   :ウィキペディア
多摩川浅間神社  ホームページ
多摩川浅間神社  :「じゃらん」
尾道 大宝山 千光寺  公式ホームページ
尾道 真言宗泉涌寺派大本山 浄土寺 ホームページ
二階井戸 :「尾道まちかど広報室」
尾道の二階井戸 :「錦川鯉の名水賛歌」
倉敷美観地区  :「岡山観光WEB」
みんなのマイミュージアム 大原美術館  ホームページ
大原孫三郎人物伝 :「KURABO」
岡山を初めて観光するのなら。倉敷美観地区で出会う8つの“素敵” :「キナリノ」
倉紡記念館  :「KURASHIKI IVY SQUARE」
高知城 公式ホームページ
【全国唯一】本丸が完存する「高知城」の見どころを徹底紹介! :「旅ぐるたび」
がっかりスポットとは言わせない!高知「はりまや橋」は4つある?:「トラベルjp」
高知県立坂本龍馬記念館  ホームページ
メランジュ 絵で見る地球科学  :「地質調査総合センター」
メランジュ  :「コトバンク」
プレートテクトニクスの発展  :「東北大学総合学術博物館」
プレートテクトニクスの基礎1:海洋リソスフェアの生成と破壊  YouTube
プレートテクトニクス   :ウィキペディア

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 2 富士山 東京駅 真田丸スペシャル 上田・沼田』 角川書店
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『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
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『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店