遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『雪煙チェイス』 東野圭吾  実業之日本社文庫

2021-06-25 16:35:52 | レビュー
 スキー場を舞台にした小説である。別にシリーズと銘打っているのではないが、『白銀ジャック』『疾風ロンド』に続いて、書き下ろし作品として2016年12月に文庫本が出版されている。
 シリーズと称されないのは、メインに登場する人物が特定され、その人物を中軸にストーリーが展開して行くというものではないからだろう。ところが面白いのはいわば重要な脇役を果たす人物として、この3作には、冬場にはスキーパトロール隊の仕事に従事する根津昇平とオリンピックには出られなかったがすご技をみせるスノーボーダーの瀬利千晶が登場していて、重要な役割を果たすという点で隠れたシリーズになっている。ちょっと一捻りしたシリーズとも言える。

 さて、今回は殺人事件が発生したが、その容疑者とみなされた男はその事件を引き起こしてはいない。だが、自分にアリバイがあるということを証明するには、あるスキー場でたまたま出会い、記念写真を撮る手助けした女性を自分で捜し当てるしかない。彼はこの女性を「女神」と称した。このストーリーは、里沢温泉スキー場で「女神」探しをする行動と容疑者を追跡する羽目になった刑事たちの行動を描く。スキー場を舞台とした二通りの「チェイス」劇のプロセスを中心に描かれて行く。最後に殺人事件が解決されるのは勿論である。容疑者と見做されていた男の発言が真犯人にたどり着く糸口になる。だが、まあそれは付け足しのサイド・ストーリー風になっている。そこには、冤罪事件を引き起こしかねない警察組織の体質の側面をシニカルかつコミカルに描き指摘していることにもなっている。ちょっとおもしろい構想でストーリーが展開する小説である。

 冒頭は2つの場面がまず描かれる。それがプロローグでもある。
 1つは、たった一人で車を運転し、スキー場にやてきた脇坂竜実は滑走禁止区域でのパウダーランをする。そこで女性スノーボーダーが自撮りに苦労しているのに出会う。記念写真を撮る手助けをすることに。「念のためにもう一枚」竜実の一言で、その女性はそれならとゴーグルをヘルメットの上にずらし、フェイスマスクを下ろして、顔を見せた。ずばり、竜実の好みのタイプだった。短い会話の中で、ホームグラウンドは里沢温泉スキー場だと彼女は言った。そして雪煙を上げながら華麗・ダイナミックなフォームでたちまち滑り降りて行った。午後三時過ぎに、駐車場の車に戻り、竜実は東京に帰る。
 一方、仙台に捜査のため出張した小杉敦彦は、帰りの新幹線で南原係長から仕事用スマホに連絡を受ける、三鷹市N町の一軒家で発生した強盗殺人事件の現場へ直行せよと指示される。疲れていた小杉は気が乗らないがそのまま事件捜査に巻き込まれていくことになる。被害者は福丸陣吉、80歳の老人。午後4時12分に主婦の福丸加世子から通信指令センターに通報が入ったのだ。現金20万円ほどが奪われたという。
 これで、このストーリーの中心人物が決まる。容疑者とみなされる立場に陥っていく竜実。ある聞き込み結果を南原に報告したことから、即座に竜実の追跡と確保を指示される小杉。

 メインストーリーは、いくつものサブ・ストーリーの積み上げとなっていく。
1.なぜ、竜実が容疑者と見做されるに至ったのか。
 捜査の初期段階の聞き込み結果と現場捜査結果が示すもの。その内容をどのように総合的に分析するか。客観的な筋読みができるか。最初のつまずきが、冤罪事件を引き起こしかねない。そんなグレーソーンの状況描写とその展開が興味深い。

2.なぜ、竜実が容疑者と疑われていることを知り、アリバイを証言してくれる「女神」を自ら探す行動にでたのか?
 竜実の住むアパートの隣室の住人、松下広樹からスマホに連絡が入った。警察が竜実のことを聞き込みに来たという。重要な事件が起こった一環らしいことと、その時に耳にした断片的な語句を松下は竜実に伝える。
 その時、竜実は波川省吾の部屋に居た。波川は竜実と同じ大学の法学部生。彼は竜実とともに「マウンテン・モンキーズ」というグループのメンバーである。波川は松下と竜実の情報を整理・分析し、竜実の置かれた立場を明らかにする。
 その結果、竜実が里沢温泉スキー場にすぐさま出かけ、アリバイを証明するために、出会った女性スノーボーダーを見つけるのがベストという結論になる。
 諸般の事情を考慮し、波川が竜実に同行し協力するという。波川が竜実の参謀的役割を果たしてくれることに。

3.小杉がなぜ、竜実を追跡することになったのか?
 福丸陣吉強盗殺害事件は、小杉の所属する所轄警察署と警視庁捜査一課の七係との合同捜査となる。七係の担当は花菱係長。ここで警察組織内の人間関係が背景で複雑に絡んでくることに。それが話を少しコミカルにする要因にもなる。だがこの辺りの事情は常套的な感じもするがどんな組織にも形を変えてよくあることだろう。ストーリーにおもしろさを加えて行く要因になっている。読者としては楽しめる。キーワードは「出し抜く」だ。
 捜査本部が出来た後、小杉は警視庁の中条と組まされる。捜査の過程で中条の指示で別れた時点で、小杉は一人の女性から思わぬ情報を聞き込むことに。それを南原に報告した。この女性の関わり方がおもしろい。「蟻の穴から堤も崩れる」ということわざ的要素になっている。
 その結果、小杉は同僚の白井を相方にして、捜査本部にはその情報を流さないという所轄の大和田課長・南原係長の方針の下に、里沢温泉スキー場に直行する。竜実の追跡と身柄確保を指示された。

4.竜実と波川は初めて訪れる里沢温泉スキー場で、どのようにして「女神」を探そうとするのか?
 いわばこの「女神」探しのやり方がスキー場の描写と絡んで読ませどころとなっていく。「女神」探しの途中で、竜実がゲレンデのコース外での事故の救難に関わることが、スキー場のパトロール隊員に好感を与える要因にもなる。
 また、この時、スキー場ではパトロール隊員の結婚式をスキー場で行うという企画があり、スキー場のPRを兼ねるイベントとして、その準備が進行していた。この企画に千晶が関係していた。
 竜実と波川の「女神」捜しのプロセスで、遂に竜実はパトロール隊員の一人、高野に助力を頼む。このことが大きなタ-ニング・ポイントになっていく。

5.小杉と白井は僅かな情報から竜実をどのようにして探し出そうとするのか?
 これがもう1つのサブストーリーである。その悪戦苦闘ぶりが楽しめる。
 小杉と白井はスキー場傍の居酒屋に、夜、探偵と偽って聞き込み捜査に立ち寄る。そのとき、パトロール隊の根津が居合わせた。話を漏れ聞き、救助活動に協力してくれた竜実の事らしいと知る。小杉が女将に示したスマホの画像も垣間見た。だが、根津はそのとき知らぬ振りをした。
 スキー場のある駐車場で駐車の車のナンバー確認捜査を小杉がしているところを見咎められる。その駐車場の所有者は、小杉が立ち寄った居酒屋の女将だった。小杉は己が東京の警察官であることを打ち明ける羽目に。それは小杉にとり、願ってもない強力な助っ人を得たことになる。小杉にとりそれが追跡捜査の大きなターニング・ポイトとなる、ここからの追跡捜査は、女将の協力と彼女の人脈のもとに、スキー場のゲレンデを舞台に大きく展開していく。地元ならでは・・・・・・という場面を楽しめる。
 この追跡捜査を実行しながらも、そのあり方に憤懣と鬱屈を抱える小杉は、女将から「五分の魂」という言葉を投げかけられる。それが本来の彼を取り戻させ、発奮させるトリガーとなっていく。この辺りから1つの読ませどころとなる。

6.小杉は竜実を発見できたのか?
 小杉は遂に竜実と出会うことになる。ここからが小杉の刑事魂に絡んでいく。
 女将の告げた「五分の魂」に大いに関係していくことに。小杉と竜実の話し合いの中で小杉は竜実の説明と行動に理解を示す。
 竜実の話を聞き、小杉は殺害現場の状況写真からある事実に気づいていく。

7.スキー場での結婚式はどう関係してくるのか?
 そこが、このストーリーの読ませどころにつながっていく。

8.福丸陣吉強盗殺害事件はどうなる?
 小杉は白井を連れて、南原係長の当初の指示を無視し、三鷹市に戻る。そして、本来の捜査活動に専念する。勿論、真の犯人を逮捕するに至る。
 どのようにして? それがいわば最後にサイド・ストーリー風に描き出されて行く。勿論、それがなければ、このストーリーは完結しないが。

9.エピローグは何か?
 このストーリーには、プロローグ、エピローグという言葉、区切りはない。だが、それに相当する箇所はある。プロローグに相当する箇所は冒頭で触れた。
 エピローグに相当するものとして3つのことが描かれる。
 1つは、事件解決後に、小杉が取った行動である。
 2つ目は、上記7に関係してくる。その結果のその後に触れている。ある意味でハッピーエンドの結果というオチだ。痴話喧嘩風の描写があり楽しい。この内容は本書を開いてお読みいただきたい。
 3つ目は竜実、波川ら「マウンテン・モンキーズ」の連中が里沢温泉スキー場のパウダースノーを食いまくれ!と斜面に向かって突っ込んでくシーンである。
 この3つの終わり方がいい。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『疾風ロンド』  実業之日本社文庫
『白銀ジャック』  実業之日本社文庫
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』  角川文庫
『禁断の魔術』  文春文庫
『虚像の道化師』  文春文庫
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社