遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『図説 古代出雲と風土記世界』 瀧音能之 編  河出書房新社

2021-06-01 18:40:59 | レビュー
 「出雲」という地名を印象深く記憶したのは学生時代、古文の授業の時だった。旧暦で10月を「神無月」と言う。それに対して「神在月」と呼ぶ地方がある。それが島根県の「出雲」である。「神無月」には日本全国の神々が出雲の地に集合される。だから、出雲では「神在月」と称されると。その学びが記憶に残る。それ以来、「出雲」に関心を抱いているが残念ながら未だ訪れたことはない。
 いつだったか「出雲」を意識したときにたまたま入手したのがこの本である。コロナ禍のステイ・ホームで、やっと書棚に眠っていた本を目覚めさせて遅ればせながら読んでみた。
 111ページのボリュームで古代出雲についての知識を広げる入門書としては読みやすい。1998年9月の出版なので、はや古書の部類になるかもしれないが、歴史の視点では決して古くはない。各ページに写真、地図、図表などが掲載されていて、それぞれの研究分野毎に、各執筆者が分担して解説されている。史実、文献資料、考古学的資料などを基盤に、一般読者向けであり「図説」に重点を置いた教養書と言える。

 冒頭に、「出雲の原像」として各種景観の写真が7ページに亘って載っている。写真に付された地名等の名称を列挙してみよう。稲佐浜、加賀の瀬戸、八岐大蛇退治神話(祭事の一コマ)、神庭荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡、諸手船神事、青柴垣神事、美保神社、出雲大社、熊野大社火殿、熊野大社。これらの諸景観が古代出雲にリンクしていく。
 これら原像の提示につづき、本書は5章構成で編集されている。
 「第1章 古代の出雲的世界」「第2章 出雲と記紀神話」「第3章 弥生時代の出雲」
 「第4章 出雲國風土記を歩く」「第5章 絵図にみる出雲大社と熊野大社」

 第1、2、4章の繋がりの中で、神話の世界でのテーマが語られ、第1、3章の繋がりの中で、出雲を中心にした青銅器文化圏というテーマが解説されていく。そしてもう2つのテーマに移る。『出雲風土記』の世界と現在の場所を対比しつつ語るというものと、祭事の世界-出雲大社と熊野大社-の古き時代の様相に触れている。

 まず、神話の世界に関して、興味深い論点を本書で学んだ。
 古代出雲を考える上で、『日本書紀』『古事記』には神話世界の一部として出雲神話が描かれている。伊弉諾尊が伊弉冉尊を慕って黄泉国に赴き、伊弉冉尊の正体を見て逃げ出し、黄泉平坂から現世に戻った神話。須佐之男命(素戔嗚尊)による八岐大蛇退治神話。そして、タケミカヅチ神とアメノトリフネ神がオオクニヌシ神に国譲りを迫るという国譲りの神話。これは記紀視点、つまり大和朝廷側の視点から描かれた出雲神話である。
 一方、本書のタイトルにある風土記世界の視点がある。それが『出雲国風土記』の記述。773(天平5)年2月に、出雲国造出雲臣廣嶋を監修者として編纂されたという。『続日本紀』によれば、元明天皇の和銅6年(713)年5月2日に畿内と七道諸国の地誌の編纂が命じられているので、相当の年月を経てこの出雲の風土記がまとめられたことになる。現存する風土記は5ヵ国だけで、その一つが『出雲国風土記』である。
 本書を読み、興味深いのは、第1章で2つの出雲神話が並存すると論じていることである。記紀に描かれた出雲神話に多少馴染んでいたので、「別な地域的な体系を持った神話」(p12)、「古代出雲人によって伝承されていた正真正銘の出雲人による出雲神話」(p13)という説明はすごく新鮮な印象を抱いた。単にこちらが無知だったということなのだが・・・・。
 一例として、記紀神話に載る八岐大蛇退治神話は有名であるが、『出雲国風土記』にはこの神話のことはまったく記されていないという。知らなかった!

 もう一つ、本書を読み一歩踏み込んで知識を広げられたのは青銅器文化圏のことである。
1973(昭和48)年 八束郡鹿島町志谷奥遺跡 銅鐸2個、銅鉾16本の共伴出土
1984(昭和59)年 簸川郡斐川町神庭荒神谷遺跡 神庭西谷の斜面 中細形銅剣358本出土
1985(昭和60)年 同上遺跡の出土地点から7mの地点 銅鐸6個、銅鉾16本出土
1996(平成8)年10月 大原郡加茂町大字岩倉字南ケ廻 銅鐸39個の一括埋納 出土
という発掘発見が相次いだ。それ以外にも島根県内には単発的な出土がみられる。

 本書の出版は、1998年なので、これら発掘出土の状況と資料がホットな時点において、一般読者向けに状況解説を兼ねていることになる。第3章では出雲独自の青銅器文化圏が存在したことが分布図も併せて詳しく論じられていておもしろい。本書の出版から二十有余年、出雲の青銅器文化研究は深まっていることだろう。本書は最新研究への導入書にもなりそうである。
 第3章で少し触れられている中に「弥生時代後期になると出雲をはじめとする山陰地域では四隅突出型墓という得意な墳墓が造られる」(p37)という説明がある。
 古墳文化も併せて、古代の勢力圏の様相、古代出雲に関心が出て来た。

 もう一つの柱は、『出雲国風土記』に記された地名など風土記世界を現在の景観とリンクさせて説明する第4章である。『出雲国風土記』を傍に置き参照しながら読むと一層理解が深まるのかもしれない。手許にないのでまずは本書の解説を読むに留まった。読後にインターネットで調べてみると、現代語訳を読めるサイトがあるのを見つけた。
 第4章は「『国引き神話』の景観」「カンナビの山々」「寺と新造院」「出雲の市」「出雲の神事」というテーマで考察されている。

 第5章は、古き時代の絵図に描かれた出雲大社と熊野大社について論じている。
 ところで、出雲大社について。「出雲大社」という名を知らない人は少ないだろう。だが、この名称は1871(明治4)年に改称されて以来の大社名称であるということを知る人は少ないかもしれない。近世以前は、「杵築大社(きづきのおおやしろ)」と称されてきたという。
 熊野神社は松江市の南郊外、八雲村熊野下宮内に鎮座し、出雲国一の宮だという。

 本書の出版後のことだが、2000(平成12)に出雲大社の境内地から巨大な宇豆柱が発掘されている。古代社殿の柱には直結しないようだが、中世の遺構であるのはまちがいない。本書には触れられていないが、島根県立古代出雲歴史博物館には「10世紀に、『雲太』ともよばれる高さ16丈(約48m)という日本一高大な本殿があったという学説に基づく縮尺1/10の模型」(ホームページより)として、「出雲大社本殿模型(平安)」が展示されている。これは本来なら杵築大社本殿模型という名称になるのだろう。

 古代出雲へのビジュアルな誘いの書として有益である。

 ご一読ありがとうございます。


本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
稲佐浜  :「出雲観光ガイド」
荒神谷博物館  ホームページ
出雲神庭荒神谷遺跡  :「全国遺跡報告総覧」
荒神谷遺跡   :ウィキペディア
加茂岩倉遺跡  :「雲南市」
加茂岩倉遺跡ガイダンス ホームページ
加茂岩倉遺跡  :ウィキペディア
出雲神話とゆかりの地  :「縁結びパワースポットと出雲神話」
出雲国風土記現代語訳 ホームページ
【日本書紀】オオクニヌシの国譲り(本文)
【先代旧事本紀】スサノオのヤマタノオロチ退治

出雲大社  ホームページ
出雲大社  :ウィキペディア
大社造   :ウィキペディア
出雲大社本殿模型(平安) :「島根県立古代出雲歴史博物館」

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