アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
現在工程表作成中

夕陽の寺院

2008-03-27 20:33:13 | 1991年8月インドネシア
実父と義父を連れてのバリ島旅行は連日オプションツアーで過ぎていった。
一人1日5000円位の料金だったと思う。
ワンボックスに乗って寺院を巡っていた。

最終日も朝から寺院~移動~寺院~移動で疲れきっていた。
最後に行ったのが『タナロット寺院』。
海に沈む夕陽を見ながら岩場に作られた寺院の影を見る。
日没の映像だからモノクロームなんだけどなんとなくせつないのだなぁ。
一緒に行くメンバーの人選さえ間違えなかったら最高だ。
ここだけは良い思い出が出来た。

当時の記録はビデオを回していたから今でもしっかり映像で残っている。
ただ、ビデオを見てもあの時、あの場で感じたものが何故か伝わってこないのだ。
あれほど五感に響くものがあったのに・・・

ビデオだから沈む夕陽も寺院の影もしっかり見える。
波の音や人の声もしっかり聞こえる。
何か足りない。
あの時にあったものが。

そうだ、潮の香りだ。
そして、吹く風が顔にあたるあの感じだ。
もう一度あの場所に行きたい。
今度は最愛の人と。






バロン、レゴン、ケチャ

2008-03-21 00:14:41 | 1991年8月インドネシア
私はこのバリ旅行で3つのバリダンスを見た。
3つに共通なのは、「意味も解らず約1時間延々と観続けた」ということ。
どれもオプションツアーで行ったけど実際は10分で飽きていた。

【バロンダンス】
『ウルトラマン』に出てきた怪獣で『ギャンゴ』をご存知の方は見えますか?
最初バロンを観た時、『ギャンゴが獅子舞をしている!!』と思った。
このダンスは、楽団が奏でる銅鑼を使った旋律に乗って演じられる舞台劇。
劇の内容は意味不明だが、バロンのほかに猿や悪代官、お姫様なども出てきて華やかだった。
特に魔女役?の女性の衣装と太極拳風の動きは東南アジアを感じさせた。
さしずめ日本では歌舞伎か能か

獅子舞に似たバロンは『森の王』で悪の‘魔女ランダ’と戦う英雄だそうだ。
バロンはあらゆる災害を防ぐ力をもつと信じられており、現地では祈りの対象になっているという。







【ケチャダンス】
薄暗くなってきた広場に上半身裸の男たちが集まってきた。
彼らは中央の祭壇の周りにあぐらをかいて座って、両手を上に挙げた。
手を揺らしながら「ケチャ」「ケチャ」と叫び、それが合唱となって楽団の役目をしている。
夜の闇の中の裸男のケチャケチャ合唱は圧倒的な迫力があった。
この『ケチャ』のリズムに乗って、日本の能に出てくる『翁面』やきれいな衣装の『お姫様』が登場する。
時々入る合いの手は何を言っているのか解らないが、迫力はあったな。

場所は屋外で夜の公演だったこともあるが、バロンよりも観ていて雰囲気もあったし、面白かった。
しかし、これも10分くらいで堪能したな。
現在のケチャは、ラーマーヤナ物語を題材とする舞踏劇の様式で演じられているそうだ。
ちなみにラーマーヤナのヒロインの名は「シータ」。
『ラピュタ』のヒロインと同名だ。







【レゴンダンス】
どこかのレストランで観たと思うが、まったく記憶がないのだ。
調べてみたら踊り子は女性だそうだ。
さしずめ、日本の宝塚・・・




バリ島の妖怪

2008-03-16 23:48:35 | 1991年8月インドネシア
バリにはたくさんの妖怪がいた。

【腰布男】
ガイド付の日帰りツアーで寺院に行った。
そのガイドが片言の日本語で以下のような忠告をしてくれた。
 ① 寺院に入るには腰に布を巻かねばならない。
 ② 入り口に布を巻いてくれる男がいて、チップを要求する。
 ③ チップは私がまとめて払っておくから出さなくてよい。

案の定、入り口にいた男が腰に布を巻いてくれた後「ツィップ!ツィップ!」と言って腕を掴んできた。
「No!」と言って通り過ぎようとしたらこの妖怪、掴んでいた腕をつねりやがった。
あらかじめ、ガイドに忠告されていたので対応は簡単だったが、何もなければ払っていたかな・・・

【シェンエンお婆】 
インドネシアの通貨はルピア。調べてみたら当時のレートは1円が約15ルピアだった。
ちょっとしたお土産物を買うと支払いが何十万ルピアとなって驚いた記憶がある。
1000円は約15000ルピア。
現地の物価はそんなに高くなかったから、当時のバリで普通の暮らしをしていたら結構なお金だっただろう。

バリ島では、どの観光地に行っても我々がバスを降りるとすぐに物売りが寄ってくる。
特にすごいのがTシャツや土産物等を抱えたお婆たちだ。
「千円千円(シャンエン シェンエン)」
「3枚でシェンエン。ヤスイ。」
ちょっとでも相手をするとかなりしつこく付きまとわれた。

同行のツアー客が「Tシャツ、3枚千円」に反応して「5枚で千円」と言ってしまった。
妖怪はすかさず「OK」と言って5枚を選ばせた。
まるで土着の妖怪みたいだ。

【100円硬貨娘】
両替が出来る外国の通貨は紙幣までの場合が多い。
だから、1000円札はルピアに換えて使うことが出来る。
しかし、100円硬貨は何十枚もらってもバリ島では貝殻や石のお金と同じなのだ。

ある観光地で手に何かを持って日本人観光客の周りを走る少女を見た。
「センヨンヒャク○ジュウ△ルピア」
彼女は100円を当時のレートで換算したルピアの額を一の位まで正確な日本語で叫んでいた。
日本人観光客からもらった100円を使えるようにするために必死だったのだろう。

なんとなく悲しい気分になった。
あと何年かするとこの少女もシェンエンお婆になってしまうのか・・・

いや待てよ。
彼女に100円硬貨を渡した日本人はいったいどんな気持ちで渡したのだろうか。
お殿様気取りで、物乞いに恵むかのように100円を渡したのだろうか。
だとすればバリにいる一番タチの悪い妖怪は我々日本人観光客だったかもしれない。


ツアーガイドのアステカさん。彼は妖怪ではありません。


本当にただ道端にあるという土産物屋


フルーツや衣類も売っている


牛を使った農耕風景


竹で編んだ大笊を使った農耕風景


ブサキ寺院で


約20年前のバリの風景  のんびりしている


BALI RESORT PALACE HOTEL

2008-03-14 23:03:45 | 1991年8月インドネシア
泊まったホテルは「BALI RESORT PALACE HOTEL
今から17年前の1991年のことだ。



ホテルには専用のビーチがあったし、敷地内にはプールもあった。
ロビーやレストランは高天井の吹き抜けで暑さを感じたという記憶はあまりない。
(もっともかなり以前のことだから記憶が風化しているのかもしれないが・・・)
敷地内の植栽もきれいに手入れされていて外見面ではリゾート気分を十分に味わえた。

ポーターへのチップは日本から持っていった百円ライター。
それでも彼らは喜んでくれた。
ただ、このポーターさんはなかなかの兵だった。
部屋に荷物を置くと「女、紹介するよ」
サービスのつもりかな?? 一応、親と来てるんだぞ(笑)

ホテルの朝はバイキング。
日本人客が多いのだろう。
気を利かせて日本食も結構おいてあった。
1回だけ「味噌汁」なるものを食べてみたけど・・・
ダシがとってなくてただの味噌を溶いた汁だった。

サービス精神は旺盛なのだが、細部に渡った検討が足りない・・・
笑えるような話題があって、妙に可愛げのあるホテルという印象だった。
懐かしくてネットで調べてみたら、その名前でヒットしたホテルはなかった。
アルバムにあったホテルの住所で検索したら、今は「Novotel Benoa Bali」に名前を変えているようだ。
名前が変わったということは買収でもされたのか・・・

もう2度と泊まれない『BALI RESORT PALACE HOTEL』

『BALI RESORT PALACE HOTEL』の風景











義父と実父と私のバリ島旅行

2008-03-03 21:43:29 | 1991年8月インドネシア
今から17年前の1991年、実父と義父が私を‘鎹’にして一緒に海外旅行に行った。
これほど珍しい男3人の組み合わせは滅多にあるものではないと思っている。
実はその前年、妻と両家の母親が、親類の女性数人と一緒に女性だけの香港旅行に行っている。
それに対抗して男性軍も、ということから始まった企画が実現したのだ。
その当時は私も両父も若かったから出来たことだけど、このメンバーで海外に行けたことに感謝している。

企画は海外旅行経験の豊富な義父がたてた。バリ島6日間。

【行程】
8月7日 名古屋発 バリ島デンパサール泊
8月8日 午前デンパサール市内観光 午後ジョグジャカルタへ ジョグジャカルタ泊
8月9日 午前ボロブドール遺跡観光 午後デンパサールへ デンパサール泊
8月10日 バロンダンスとキンタマーニ観光 夜はケチャックダンス
8月11日 タナロット観光とメングイ寺院観光 
8月12日 朝名古屋へ