アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
現在工程表作成中

広蔵市場

2011-05-24 21:10:35 | 2011年3月2度目のソウル

広蔵市場は東大門から歩いていける巨大マーケット。

衣料雑貨などの店や飲食店が並ぶアーケード商店街だ。

通路の真ん中にも飲食屋台が並び、昼時は席が無いほど混む。

←東入り口

昼前に市場に着いて、ひとしきり品定めしながら歩いた。

全部見てからどこで食べるかを考えようと思ったが…

ピンデトッを店前で焼いている所を見たら、後からなんて考える余裕無し。

人差し指を1本立てて「1つくれ」って注文していた。(1枚2000w)

ピンデトッを食べながら一回りして、通路が交差した場所の屋台に着席。

キムパプッとククスを指さして注文したら

「スンデやチョッパルも食べろ」みたいに勧められた。

とても食べられないと思ったが、「ゼンブ スコシズツネ」と日本語できたよ。

願ったりと「スコシズツ プレート(仮称)」を頂きました。

(スコシズツの中身はスンデとチョッパル)

キムパプッとククスとウ~デンは1人前でスコシズツプレート。

値段は全部で14000ウォン。

結構お値打ちって感じ。

 屋台のオモニ

 キムパプッ

 ウーデン(おでん)

 ズンデ

 ククス

 スコシズツプレート


南大門~2011

2011-05-09 21:18:38 | 2011年3月2度目のソウル

南大門は活気のある町。

通りの店先には山のような商品が歩道を狭めて積まれている。

十字路の真ん中にも屋台が置かれ美味しそうな匂いを撒き散らす。

凄まじい勢いで人が来て、物を買い、大声で話し、食事をしていく。

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2006年に訪れた時と違うのは

「日本語ガイド」がいたことと「南大門が修復中」だったこと。

人々の勢いはあい変らずだった。

 

 


Nソウルタワー

2011-05-01 20:35:04 | 2011年3月2度目のソウル

Nソウルタワーに行った。

ソウル市民のデートスポットのようで、休日は恐ろしく混むそうだ。

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上海ではSWFCの展望台に登った。

マカオではマカオタワーに登った。

それらと比べても

このソウルタワーは一番アクセス環境が悪い。

ケーブルカーの乗り場まで地下鉄駅を降りてから

しばし歩いた後、傾斜エレバーターに乗る。

おまけに、ソウル市民が大勢押し寄せるので

休日はエスカレーターに待ち時間が出来るそうだ。

だから、朝一番で行った。

混雑する観光地を比較的ゆっくり観るコツ

それは、朝一番で行くことだ。

案の定、ケーブルカーの券売所はまだ開いてない。 

切符を買って、一番で乗り込む。

ケーブルカーを降りると、タワーのふもとの広場まで階段を登る。

ソウルではよく見る演出。

朝一だからタワーのチケット売り場も人がいない。

タワーのトイレ。見晴らしがいいのだ。

『願いがかなう鍵』だそうで、これ全部鍵です。 


南山オルミ

2011-04-26 11:06:18 | 2011年3月2度目のソウル

  

朝食を食べてから朝の明洞を散策した。

といっても、明洞聖堂によってその後、Nソウルタワーを目指しただけだが。

旅先では1日を長くするために、朝の始動を早くする。

だから、朝食後でも明洞はまだ閑散としていた。

 

Nソウルタワーはソウルの中心にある南山(ナムサン)に建つ観光タワー。

ケーブルカーはあるものの、その乗り場までもかなりの上り坂。

で、2009年に韓国初の傾斜型エレバーターが出来たのだ。

南山オルミ

ちなみに『オルミ』とは『上る』という意味の韓国語『オルダ』からとったそうだ。 


ソウルの朝は酔い覚ましの粥

2011-04-26 11:00:27 | 2011年3月2度目のソウル

前夜は、ホテル自室で北朝鮮と韓国のソジュ(焼酎)を飲んだ。

ただ、飲んだのは覚えているが何時寝たのは覚えていない。

朝目覚めたのは、連れとフロントで待ち合わせた時間の10分前。

この日はソウル最終日。

二日酔いの頭と身体で、大急ぎで荷物をまとめなければいけない。

男一人分の仕度だから何とか10分の遅刻で済んだ。

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朝飯は明洞の「明洞多島海鮮」というお店。

朝の明洞を散策して、たまたま入った店だけど、結構有名店のようだ。

注文のとき、胃の中は昨夜の焼肉とソジュが充満していた。

でも、何かを入れて胃から腸へ押し出さねば。

と言うことで、何とか隙間に流れ込みそうな「粥」を注文した。 

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5年前に明洞の「Congee House」という専門店で「アワビ粥」を食べた。

その時は、あまりに上品?過ぎて、アワビの味がちっとも解らなかった。

今回のお店は言ってみれば何でもありの「海鮮レストラン」

ここでもアワビ粥を注文したが

2日酔いの舌でも5年前の専門店よりも味がはっきりと解る。

たぶん庶民的なアワビのお粥なのだろう。(値段は9000w)

ちなみに、元気な連れは「石焼ビビンバ」を朝から食べていた。 

追記:店長のアジュンマはなかなかやり手のようだ。 

店の壁には来店した有名人の写真が何枚も貼ってあった。

我々のテーブルにもやってきて、流暢な日本語で話してくれた。

「これからどこへ行く?」と聞かれ

「まだ早いからコーヒーでも飲みに行く」と言ったら

「コーヒーならここで飲めはいい」と言って

『インスタント』のコーヒーをサービスしてくれた。

明洞の喫茶店の本格コーヒーは味わえなかったが

かなりおせっかいな、でも人情味のあるコーヒーを味わった。


ソウルの夜はソジュで更ける

2011-04-18 18:19:33 | 2011年3月2度目のソウル

朝からソウルの味覚を満喫した(しすぎた?)。

完全飽和状態の胃袋で焼肉屋を出たのは9時過ぎ。

この日は土曜日で明洞の夜はまだ始まったばかり。

とりあえず、もう食べることは出来ないので市内を散策した。

3月初旬なのにそれほど寒さは感じない。

行き着いた土産物屋(おみやげ天国)で大量に韓国海苔を買う。

店長さんも気さくだし、日本へ宅配してくれるのでありがたい。

重くはないけどかさばるのだよ、韓国海苔は。

 

ホテルにいったん戻って、また近くのサウナに行く。

垢すりを頼みたかったが、待ちが多くてあきらめた。

湯上りでコンビニに行き、ソジュを2本かってホテルへ。

ホテルでソジュを飲みながら、今日もソウルの夜は更けていった。


焼肉

2011-04-17 21:24:57 | 2011年3月2度目のソウル

今回のソウル旅行は職場の‘慰安’旅行。

2泊3日の行程で、基本的には自由行動だが、2日目の夜に宴会が予定されていた。

それぞれ2~4人くらいのグループで目的の場所を廻った後、明洞の焼肉店に集合。

このような制約のない、かといってバラバラのままでもないのって好きだなぁ。 

お店は明洞の焼肉店『景福宮』。

ソウルでも美味しいと評判のお店ですが、私は「屋台廻り」で満腹。

かろうじて残った‘別腹’に美味しそうなお肉だけを選んで放り込む。

別注文で『カンジャンケジャン』が出てきたときは根性で1人分いただいた。

ただし、味は全て記憶にない。

*↓ カンジャンケジャンとは蟹の醤油漬け。

 

 


冷麺~ユジン食堂

2011-04-12 23:17:30 | 2011年3月2度目のソウル

安国駅から仁寺洞キルをぶらついて鍾路3街へ。

『ユジン食堂』という常連客で賑わうジモティのお店を探す。

私事、お洒落な店より、たとえ小汚くても庶民派の店が好きなんだなぁ。

すんなりとは見つからなかった。

純粋ジモティ店だから看板に‘日本語’なんて書いてない。

だから店名の『유진』の文字を探す。

と言っても最初の1文字の「〇にπ」という記号化でしか認識できなかったけど… 

 

なんとか店に着いたけど、土曜の夕刻だったから外でしばしの席待ち。

通された席は親子連れとの相席。(ほどなく親子は帰ったけど)

注文したのは

「フェネンミョン(エイの刺身入り冷麺)」と「ホンオムチム(エイ刺身の辛和え)」

同行の友人はシンプルな「冷麺」を注文していた。

「フェネンミョン」も「ホンオムチム」も辛そうだけどそれほど辛くない。

エイ刺身の鶏軟骨風のコリコリ感は初体験。

出されたタレを混ぜるとさらにマイルドになって食べやすかった。

願わくば夏に食べたい一品だ。

 

この店のよいところは、我々が日本人だとわかると

日本語が少しわかるお客を通訳代わりによこす。

そして、リンクしたHPをプリントアウトして持っていったものを見せたら

5000ウォンまけてくれた。

極めて庶民的。

ついでにお店の方と記念撮影もさせてもらった。

恰幅のいい男性は初代店主でした。


仁寺洞(インサドン)屋台廻り

2011-04-08 22:16:40 | 2011年3月2度目のソウル

明洞も凄い人間の数だったけど、仁寺洞も凄い人だった。

この日は土曜日だったけど、いつもこうなんだろうか。

夜には焼肉屋で宴会があるから少しは腹を減らして臨みたい…

節制を要求する私の理性の頭越しに

屋台の‘匂い’や‘光景’は容赦なく五感に誘いをかける。

最初の何軒かはやり過ごしたが

「大判焼の小さいやつ」を売る屋台で、理性はあえなく沈没した。

「sweet custard bread」と英語表記されていたそれは10個で2000w。

おまけにメチャ美味い。

「仁寺洞名物傳統13年」とも書いてあった。

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理性という堤防が決壊すると、後は言い訳という洪水が流れ込む。

「歩けばお腹が空いてくるよ」  「食べるのはおやつだからたいしたこと無い」

最後には今まで存在を否定してきた別腹まで引っ張り出した。

「焼肉一食なんて別腹で入るよ」…もうそんなに若くないのに…

行列出来ている屋台を見つけると「行列の意味を知ることが必要」と並ぶ。

1個1000wの「ホットッ(シナモンの黒蜜入りパン)」を食べる。

まだ終わらない。

てんぷら屋台を見つけると「日韓の違いを探す必要がある」と立ち止まる。

指差しで、ソウルでは「ティギム」という、1本500wの串に刺したてんぷらを食べる。

日も落ちて、まもなく宴会の集合時間だというのに

私の胃袋はすでに満腹を迎えていた。

 

 

 


景福宮(キョンボックン)

2011-04-04 20:31:15 | 2011年3月2度目のソウル

ソウルにはソウル5大宮と呼ばれる古宮がある。

「昌徳宮」、「宗廟」、「景福宮」、「徳寿宮」、「昌慶宮」の5つ。

どれも朝鮮李王朝ゆかりの宮殿や霊廟だ。

5年前には「昌徳宮」を日本語ガイドツアーで廻った。

結構、ためになる話を聞けた。

今回は「景福宮(キョンボックン)」を自由見学で廻った。

できれば日本語ガイドツアーに混ざりたかったけど

板門店からロッテホテルに帰ってきたのが3時で

2時40分からの日本語ガイドツアーに間に合わなかった。

【景福宮】

入場料3000ウォン。火曜休み。自由見学。

日本語ガイドツアー(無料)3回(10:00,12:30,14:30)

  ←【興礼門(フンレムン)②】

↑ 【日本語案内】   興礼門は光化門の次に構える景福宮の大門。

チケットを買って最初に潜る門だからこの門が景福宮の始りに思える。

   

↑ 【勤政門(クンジョンムン)・勤政殿(クンジョンジョン)③・勤政殿の王座】

景福宮の正殿で、王の即位式や外交行事を行った。

勤政殿の王座後の屏風に描かれた『日月五峰図』は新1万ウォンの絵柄になっている。

  ←【慶会楼(キョンフェル)⑪】

↑ 【修政殿(スジョンジョン)⑤】  修政殿じゃ宮殿内にある迅速な業務処理や

王との円滑な意思疎通のために作られた官庁舎。

慶会楼は池の中島にある楼閣で接待や宴会が行われた場所。

  ←雑像(チャプサン)

↑ 【康寧殿(カンニョンジョン)⑥】 王が生活していた建物。

その裏手には王妃がいた『交泰殿』がある。

古宮の屋根には厄除けの意味を持つ【雑像(チャプサン)】と呼ばれる像がある。

西遊記の登場人物(三蔵法師、孫悟空、猪八戒)などが使われていて、探すと面白い。

  ←【香遠亭(ヒャンウォンジョン)】

↑ 【乾清宮(コンチョングン)】 高宗とその妃の明成皇后(閔妃)が暮らした場所である。

1895年明成皇后が殺害された場所としても有名。

香遠亭は王室専用の休息空間。王と臣下が自然を愛でながら詩を作った場所。

 


世宗路

2011-04-01 22:23:48 | 2011年3月2度目のソウル

地下鉄「支庁」駅から景福宮の「光化門」までの大通りを世宗路という。

この世宗路はメッチャ広い

もともと16車線の100m道路だったのを中央6車線分を潰して広場にした。

これが「光化門広場」

「李舜臣将軍像」や「世宗大王銅像」等のモニュメントも有名だ。

この日は何もイベントが無かったけど、開催時にはもっと賑わっている。

ちなみに

「李舜臣」は豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んだ時の将軍で今は韓国の国民的英雄。 

「世宗大王」は朝鮮王朝第4代の王様でハングルの創始者。

 


板門店ツアー 番外編 お土産

2011-03-29 14:01:16 | 2011年3月2度目のソウル

板門店ツアーで北朝鮮のお土産を購入した。

ほとんどは同僚の地理の教師へのお土産なのだが。

「板門店の鉄条網」「切手」「お札」は地理の授業で使ってもらう。

←15000w ←15000w 

←5000w

さて、自分用にはというと

ボニファスで「北朝鮮ブルーベリーワイン」と臨津閣の土産物屋で「北朝鮮焼酎」

やっぱり飲むのです。

ところが、ブルーベリーワインを箱から取り出してみたら

濁ったお茶のような色でとても美味しそうには見えない。

それでもトライしないわけにもいかないので

妻と二人で勇気を出して飲んでみた。

率直な感想は

「ブルーベリー絞り汁に醸造アルコール混ぜたんとちゃうか?」

←13000w ←4000w

焼酎の方は味は普通だったが、機内の気圧で少し漏れていた。 

←24000w

ツアーのバス内で販売していた「板門店アルバム」

ツアー中に撮った集合写真も3枚入れてある。

ちなみに撮った集合写真は2枚だが

1枚はボニファスで撮った写真を板門店会議場をバックに合成したもの。

あるはずのない北朝鮮の板門店ツアーの一行も写っているので

希少価値のあるニセモノである


板門店ツアー その3 イムジン河水清く

2011-03-21 20:05:34 | 2011年3月2度目のソウル

ツアーの帰路に、韓国人にとっての最北の地『臨津閣公園』に寄った。

そこで、『臨津江(イムジン河)』に架かる『自由の橋』を見学。

この橋は臨津江に架かる二本の橋のうちの一本で (もう一本は『統一大橋』)

現在は、もう一駅先の『都羅山駅』まで運行している京義線の鉄橋となっている。

公園内には線路までの導入橋がある。

橋の入り口の両側に男女の兵士のマスコット人形が置かれていた。

橋を進むと、程なくバリケードで行く手を阻まれる。

バリケードには統一の思いを書いた旗や布が掛けてあった。

人形の微笑ましい表情とその先のバリケードの物々しさが

この地の複雑な事情を表しているように思えた。

ツアーガイドの洪さんが言った言葉で印象的なもの。

「北朝鮮人は人でないと教えられてきた」

「この仕事をして初めて北朝鮮の軍人を見たとき人間の姿をしていたのでびっくりした」

 少し大袈裟かなとは思うが、初等教育の影響力の大きさに驚く。

「今の若い韓国人は分断ボケ」

 日本人は‘平和ボケ’というが、韓国の人は統一までは「平和」という言葉を封印?

「川から敵が来るのを防ぐために、川原には地雷が埋めてある」

「敵は我々を殺そうとして進入する」

 当分、川原を見ると「地雷」を思い出しそう。

「朝鮮戦争とは言わない」 「韓国戦争といいます」

 「朝鮮」は敵国の国名だから使わないのだそうだ。 

 そういえば、明洞のお土産物屋さんも「朝鮮人参ある?」と聞いたら

 「高麗人参あります」と答えていた。

「この鉄道が北と繋がったら、その先はモスクワ~パリ~ロンドンまで行ける」

「いつの日か、私が北朝鮮まで案内できる日が来ることを祈っている」

 この国では南北統一の先は世界へ繋がっているんだ。

 ガイドの洪さん、ありがとう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

帰りのバスの中で洪さんが懐かしい曲を流してくれた。

♪イムジン河水清く とうとうと流る

 水鳥自由に むらがり飛び交うよ

 わが祖国南の地 想いははるか

 イムジン河水清く とうとうと流る♪

 非武装地帯に残された汽車(臨津閣公園)

 臨津閣の展望台から自由の橋を見る(臨津閣公園)

 望拝壇(=マンペダン) (臨津閣公園)

 昼食はどうでもいいようなバイキング

 店の名は「展望臺」

 

 


板門店ツアー その2 北朝鮮に3m程侵入

2011-03-19 21:46:39 | 2011年3月2度目のソウル

  

キャンプボニファスで軍バスに乗り換えた。

「許可があるまで写真は禁止」された。

車窓から北朝鮮の‘村’や世界一高い国旗掲揚塔が見えてくると

ガイドさんの説明にも緊張感が増した。

でも、まだバス内という空間には多少の安心感もあったのだ。

ところが

いよいよ板門店に着いて、バスを降りたら空気が一変したのだよ。

数十メートル先は北朝鮮領という‘繋がった’空間

そこに、何の覆いも無いままに立っているという、ものすごい緊張感。

バス内で散々聞かされた「北の建物からは銃が狙っている」

現実のものとして感じられた数分だ。

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まるで高校生のように「バスを降りたら2列で」進んだ。

一応見学地となっている『自由の家』はほぼ素通りして

いよいよメインの『本会議場』へ入った。

室内に入ると安心するのだな。

しかも、写真が許されて、兵士と並んで撮ってもいいし

窓の外も映す事が出来た。

ただ、時間だけは急かされたけど。

『本会議場』の中央に置かれたテーブルの真ん中が北と南の境界線。

室内だけど、3m程北朝鮮領内に入ったぞ。

情けない話だが、私は‘守られた空間’でしか威勢は良くない。

「兵士の後ろに行くと兵士は守ってくれません。」  でも並んで写真OK

南北の境界線。青い線は画像処理したもので実際は書いてないよ。

窓の外の北朝鮮領内。境界線を撮ればよかった。

この後、バスへ戻る時に言われたのが

「後ろを振り向くと、亡命者と間違われて撃たれるかもしれないよ。」

『ポプラ事件の碑』(バス内から)

『ポプラ事件の碑』の所で撮った監視所?(バス内から)

 『帰らざる橋』(バス内から)


板門店ツアー その1 『死ぬかもしれないよ』という宣誓書

2011-03-18 14:52:27 | 2011年3月2度目のソウル

今、日本で予約できる「板門店ツアー」は数社ある。

円で支払えて、しかも安価(5700円)の「KONEST」で申し込んだ。

(ちなみに、ウォン払いのツアーなら、現在のレート換算でもっと安いのもあったけど…)

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ロッテホテルをツアーバスで8:50に出発。

トイレ休憩と簡単なパスポートチェックを済ませて

国連軍最前線基地(キャンプボニファス)へ。

 このキャンプで、朝鮮戦争のスライドを見たあと

『死ぬかもしれないよ。覚悟してね。』的な誓約書にサインさせられるのだ。

それがこれ。(↓)

「敵の行動(活動)によっては危害を受ける又は死亡する可能性があります。」

内容をそのまま読むととてつもなく恐ろしい。

それくらいデリケートな場所に行くんだという覚悟が必要なんだと思う。

実際に、ツアーの韓国人ガイドさんはかなりピリピリしていた。

でも

ここにいた米軍兵はフレンドリーで

観光客が隣に並んでも、笑顔で写真に応じていた。

さらに、ツアーに同行した写真屋は

我々ツアー参加者の集合写真もここで撮った。

バスを降りる前に、冊子にして1冊W24000で売っていたから

商魂の逞しさには感心した。

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このキャンプで、バスを軍用のものに乗り換えて、いざ『板門店』へ。

運転手も軍人だし、もう一人かなりイケメンの軍人が護衛約で乗り込んだ。

ちなみに、ガイドの洪さん曰く

『最前線には北を意識してイケメン兵士を置くのだ』そうだ。

 途中のドライブイン

 ツアーバス

 ゲスト証

【ツアー行程】

8:20 ロッテホテル集合 8:50 出発

~途中のドライブインでトイレ休憩

~統一大橋で最初のパスポートチェック(ここは人数確認程度)

~キャンプボニファス(ここでスライド勉強と‘あの’誓約書にサイン)

~バスを軍のバスに乗り換え板門店へ

(メイン見学地。『自由の家』から入って『本会議場』は内を見学)

~キャンプボニファスに戻る

(トイレと北朝鮮関連のお土産が買える貴重な売店)

~臨津閣(イムジンガク)で休憩

~昼食(「展望臺」というドライブイン様のレストランでバイキング)

~13:00 ロッテホテル着 着後解散