アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
現在工程表作成中

ブダペシュト アジアを感じる時

2008-01-12 13:14:58 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
中欧4ヶ国をプラハ、ウィーン、ブラチスラバ、ブダペシュトと回ってきた旅行。
言語も通貨も変わる4ヶ国を駆け足で回ってきたつくづくタフなツアーだった。

中欧というカテゴリーでまとめられるこの4カ国。
最後のハンガリーという国はそれまでのチェコやオーストリアと何か異なる趣を感じた。

スラブやゲルマンではない、何となく牧歌的な民族のハンガリー人。
このハンガリーという国に、私はアジア的な匂いを感じた。
牧歌的とかアジア的と言ったのは「ハンガリーがアジア系遊牧民族のマジャール人の国」という先入観もあったと思う。
でも、旅行を振り返ってみるとそれを感じさせてくれる現場がいくつかあった。

まず、ハンガリーに入ってからバス窓から見える家々の様子が確かにそれまでとは変わった。
田園風景はそんなに変わっていないけど民家の造りや屋根の形がチェコやオーストリアのとは違うのだよ。
どこがどう違ったかという細かいことは忘れてしまったが間違いない。
動くバスの中からではピントが合わないから写真に撮れなかったのが残念だ。

また、店でモノを買うときの店員の態度が変わった。
プラハでもブラチスラバでもさすが旧共産圏だ。店員は無愛想だった。
こちらが商品を差し出すまで見向きもしないし、差し出した品物も一応包んではくれるが、ニコリともせず商品とおつりを渡される。
それがハンガリーに入ったとたんに「何をお探しですか」と接客された。
同じ旧共産圏なのにハンガリー人の人懐こさと順応性。
ものを買うときは本来こうなんだよな・・・忘れていたものを思い出した感覚がした。

最後はブダペシュト市内観光のとき気が付いた。
ヨーロッパの人たちは日本人より背が高く大柄な人が多い。
プラハやブラチスラバでは180cm以上のスラリとしたそれでいてがっしりともしている大男や大女がウジャウジャいた。
ブダペシュトでももちろん大柄な人も多いのだが・・・
ちらほらと日本人的な身長の人を見かける割合が多くて、何となくホッとしたのだ。

『アジアを回る』というブログタイトルにこじつけるつもりはないけど・・・
この中欧旅行は最後に‘アジア'を回ったんだ。

移動日のバスの旅

2008-01-08 10:54:48 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
プラハ、ウィーン、ブダペストの三都を回る8日間のツアーは売れ筋の商品だ。
この8日間のうち、ヨーロッパへのフライトだから行きで1日を計算する。
ツアー7日目は朝から帰路につき8日目の朝に帰国だったから帰りで2日の計算だ。
実質的に残りの5日間が観光となる。

この5日間は観光日~移動日~観光日~移動日~観光日のローテで過ぎていく。
ツアーの表題である「プラハ」「ウィーン」「ブダペスト」の観光は各1日しかないのだ。
私はこれで十分だけど、これがツアーの裏事情なのだ。

2度ある移動日は国をまたいだ大移動になるからこれが結構大変だ。
ツアー的には大移動の途中にチェスキークルムロフとドナウベントの観光を入れてある。
移動日を感じさせないように、昼食場所に有名な観光地を持ってくる・・・見事な計画だ。

最初の移動日は計8時間、2回目の移動日も計6時間半のバス移動がある。
移動日のバス内は寝て過ごしていたのではもったいない。

ツアーバスの運転手によると、この時期はドイツやフランスから帰省するトルコ人で主な国境が混むそうだ。
時間が大事なツアーだからちょっと田舎の空いていそうな国境を選んでくれた。
だから車窓からの景色は延々と続く田園風景が中心となった。

田園風景といっても日本で見たこともないようなスケールで広がっているので面白い。
牧草地、ひまわり畑、トウモロコシ畑やぶどう園など、とにかく一面にこれが広がるから見ものだ。

また、途中で町を通ることもあった。
その気になって見れば、国境を越えると町並みが趣を変えるのも面白い。
特に、オーストリアからハンガリーに入ったときに家の造りが確かに変わった。

この2日間の移動日はバス窓からの風景観光もその気になって見ていれば面白い発見があるんだよ。

 
国境の町グミュントの検問所


チェコのドライブイン


オーストリアの牧草地


ハンガリーのひまわり畑


ツアーバス


ヨーロッパにもスパがある

ブダペシュト ドナウの真珠

2008-01-04 15:21:12 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ドナウの真珠と称されるブダペシュト。
○○の真珠と呼ばれる町はたくさんあるがそれらに共通することは美しい町だということ。
ブダペシュトも美しい町だった。

大河ドナウに架かる「鎖橋」。
ブダとペシュトを最初に結んだ橋で正式名称は『セニーチェ橋』という。
どこから見ても美しい橋なのだが、特にお勧めのスポットはゲッレールトの丘から。
王宮地区と市街地をドナウに架かるこの橋が見事に調和させていて、その全景をパノラマで見ることが出来る貴重な場所なのだ。

ハンガリーの夏は日没が遅く8時過ぎてやっと暗くなった。
旅行最後の夕食はドナウ川に浮かぶ船のレストランで川波に揺られてとることにした。
土産を求めて1日中歩き回ったから足は疲れていたが、あまり空腹感はなかった。

冷たい果物のスープとサラダをお決まりのビールで流し込んで川向こうの王宮を見ていた。
夜の闇が深まるにつれ王宮はまばゆさを増してくる。
そしてどっぷりと陽が暮れたとき、川向こうの王宮が見事にライトアップされて浮かび上がった。
息をのむ美しさ。「ドナウの真珠」だ。

眼前を遊覧船が横切った。
夜のドナウの黒い川面に映ったまばゆい王宮や鎖橋がゆらゆらと揺れた。
はかなくも美しい・・・これも「ドナウの真珠」だ。


【鎖橋三景】漁夫の砦から


【鎖橋三景】ゲッレールトの丘から


【鎖橋三景】ペシュト側河畔から


薄暮の鎖橋とブダ王宮

 
冷たい果物のスープ          サラダ


船の上から・・・揺れていたのでピンボケ

ブダペシュト グヤーシュ・トーカイ・プロポリス

2007-12-26 21:58:27 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ブダペシュト市内観光ツアーはハンガリーの名物料理、グヤーシュを食べて解散。
この旅行中、ばら撒き用にも自分用にも、お土産はあまり買っていない。
午後からの自由行動は買い物がメインとなった。

ツアー解散後に行った【中央市場】は観光地化された巨大マーケットだった。
そこで目に付いたのが山のように積まれたパプリカ。
昼に食べた名物料理のグヤーシュはこのパプリカという色唐辛子で作る。
いささか生のパプリカを買って帰るわけにもいかないので、「グヤーシュの素」というチューブを買った。

「フォアグラ」も値段がピンきりで各種売られていた。
グースリバーというパテの缶詰がかなり安価で売られていたからゲット。
パンにつけて食べたり、薄くスライスしてレモンをかけてワインのつまみにするようだ。

市場は1階が生鮮類中心で2階が雑貨類というような構造だった。
2階にはハンガリー刺繍を売っている店が多くあった。
市場内にイートインのコーナーもあり見ているだけで楽しかった。

中央市場を出てヴァーツィ通りを散策&カフェで休憩しながら買い物を続ける。

ハンガリーには世界三大貴腐ワインのひとつトカイワインがある。
ちなみに世界三大貴腐ワインとはトカイの他にフランスのソーテルヌ、ドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼである。
トカイワイン!!
世界の飲兵衛を目指す私としては「トカイワイン」を持ち帰ることは義務であった。

『るるぶ』に載っていたワイン専門店【ボルバーズ】はアンドラーシ通りを少し入った所にあった。
さすがに専門店だけあって、目的のトカイワインも各種あった。
よく「トカイアス3プット」とか言われるが、「プット」の意味をご存知か?
この「プット」というのは葡萄の重さの単位で葡萄25kgを1プット(プットニシュ)という。
ワインを造るのに樽1つにつき何プット使用したかを示しているのだよ。
通常3プットから6プットまで。それ以上はエッセンシャルという高級品だ。

値段は6プットで8200ft(約4000円)だったから必ずしも安いとは言えない。
でも、日本でも、3プットくらいはスーパーでも見かけるが6プットはなかなかないよ。
値段との相談の結果、1000円~1500円位のを5本に6プット1本。
二人で日本に持ち帰ることの出来るマックスを購入。
日も暮れかけた帰り道はバックパックが重くなった。

午前中にツアーで行った日本人店員のいる土産物ショップでは、養蜂製品の「プロポリス」を買った。
日本では高価な健康食品だがかなり安価で売っていた。本物だろうか?
説明書に書いてあったとおりに牛乳に混ぜて毎日飲んでいたが・・・

その他、ホテルなどで「ハンガリー刺繍のテーブルクロス」「ビールジョッキ」等を買った。
刺繍もので「しおり」とワイン用の「コースター」はばら撒きようのお土産に使った。

 
中央市場のパプリカ         ビールジョッキ


左は刺繍のしおり、右はワインの首にかけておくものだそうだ。コースターも付いている。
        

フォアグラの缶詰に巻いてあった紙

 
プロポリスの日本語の説明書     綺麗な刺繍


ヴァーツィ通りの突き当たりの広場。


中央市場前景


中央市場内部


ボルバーズで買った6本のワイン


ボルバーズ地下のワイン貯蔵庫

ブダペシュト ツアーで巡る歴史地区

2007-12-19 22:22:26 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ブダペストはドナウ西岸のブダ地区と東岸のペスト地区が合併して出来た町。
ペストは正確にはペシュトと発音するらしい。
ハンガリー語的に表記すればブダペストは『ブダペシュト』となるらしい。
間違っても「豚ペスト」ではない。

6日目はブダペスト市内観光の日。
明日は帰路に着くので観光は今日が最後となる。
午前はツアーで回り、午後は自由行動という一日だった。

午前のツアーは、英雄広場~聖イシュトバーン大聖堂~王宮~ゲッレールトの丘を回る定番のコース。
この間に土産物屋も一軒行っているのでかなり足早の観光だった。

スタートはペシュト地区。
英雄広場はアンドラーシ通りの突き当たりにある大広場。
大天使ガブリエルの尖塔を中心に14人の建国以来の偉人彫像が並んでいる。
聖イシュトバーン大聖堂はアンドラーシ通りのドナウ川よりにある教会。
2本の尖塔と大きなドームが目印だ。
大聖堂前の広場はイベントも行われているようでステージが組んであった。

鎖橋を渡ってブダ側に入る。
カラフルなモザイクの屋根がひときわ目に付くマーチャーシュ教会は大勢の観光客で混んでいた。
教会内見学後王宮の丘を見学。
漁夫の砦、三位一体広場などの観光スポットを回る。
確か漁夫の砦では入場券が必要だった。

王宮を出てバスでゲッレールトの丘からブダペスト市内を見下ろす。
鎖橋とドナウの両側に広がるブダの王宮とペシュトの町並みが絶景だった。

定番の観光とはいえ無駄のない見事なコース取りだと思う。
ただ欲を言えばの話だが・・・日本に帰ってガイド本を見たら行きそこなった名所も多い。
「王宮地下迷宮」と「ケーブルカー」は午後からの自由行動で行ってもよかったと後悔している。
また行けばいいか。


アンドラーシ通り風景。黄色い柵のようなのはメトロー(地下鉄)の入り口


英雄広場


聖イシュトヴァーン大聖堂の内部

 
聖イシュトヴァーン大聖堂        マーチャーシュ教会
  

漁夫の砦

      
絶世の美女といわれる『エリザベトの像』 聖イシュトヴァーンの騎馬像。その後ろは漁夫の砦。

ドナウベント

2007-12-16 15:28:04 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ツアー5日目は移動日。
朝ウィーンを出てドナウ川沿いにバス移動。9時30分、ハンガリーに入国。
このツアー4カ国目。

12時20分「エステルゴムの大聖堂」着。昼食。
教会見学だけで町を散策する時間はなかった。

2時35分エステルゴム発。途中トルコ軍に滅ぼされた要塞跡の「ヴィシェグラード」の側を通る。
道端にバスを停めて見上げるだけの‘観光'だった。

3時40分「センテンドレ」着。
現地ガイドの案内でひとしきり回った後解散して小1時間の自由行動。
解散場所は中央広場の土産物屋『CENTRUM』の前。集合場所もここ。
この店は日本語&日本円OKの店。
ここでハンガリー人形を買った。
値段は5900ft(約3500円)で、10000円払いお釣りは6000円と約800Ft。
ウィーンから入国したばかりのツアー客はハンガリーの通貨を持っていないからありがたいといえばありがたい。
でも、旅行社とお店の見事な連係というべきか。

この町には銀行もあったからftを手に入れておくべきだった。
夕刻ブダペストで夕食。
夕食でビールを飲むのに€もftもなかったので添乗員さんに借りた。


ウィーンからハンガリーに入り最初に行った観光地のエステルゴム。


買い物する時間もFt(ハンガリー通貨)も持ってなかったけど、趣のある露店。


エステルゴムの大聖堂

 
大聖堂裏のモニュメント             大聖堂内の絵


ドナウベント地方。ドナウ川の向こうはスロバキア。


ヴィシェグラードの王宮跡。ふもとから見上げて観光?しました。


ドナウ川沿いからセンテンドレを見る


丘の上のカトリック教会


センテンドレの町並み

 
干したパプリカ               ハンガリー人形


センテンドレの町並み by HP「風のおひるね」

ウィーンで道に迷う

2007-12-13 10:43:05 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ツアーを離れて行ったブラチスラバ観光を終え、バスターミナルに戻ったのが3時45分。
バスは4時出発だから残ったSKを€に戻そうとしたら・・・両替窓口は閉まっていた。
1300SK程残っていたのに・・・最終的にはウィーンで両替できたから良かったけど

5時30分ウィーン南駅に戻る。
トラムで市中心部に出てケルントナー通りを散策。
私は歩き疲れて観光もいい加減だが、妻の方はまだまだ元気なようだ。
シュテファン寺院は工事中だった。

7時30分 ノイヤー マルクト(Neuer MKT)広場 のレストランでウィナーシェニッツェルの夕食。
この頃はまだ日没前で明るかった。我々の前途も明るかった。
問題はここから。
結論から言うとこの後、ウィーンで道に迷ってしまった。

食事を終え、そろそろ帰ろうかという事になり地下鉄(U-バーン)に乗る。
ホテルでもらった簡易イラストマップにあった‘最寄'のU-bahn駅へはすぐに着いた。
その地図に拠ればホテルは駅のすぐ近く・・・のように書いてあった。
駅前の繁華街で道行く人にホテルの名前を言って行き方を聞いてみたら・・・
「バス行け」とか「タクシーで行け」という返事。
私達は「歩いていけるはずだ」と思い込んでいたから
「そんなはずはない」「お前が知らんだけだろう」「言葉通じとらんのでは」・・・

でも何人かに聞いてみたけど皆同じ答えだった。
最後に訪ねたのがインド人で彼の英語は非常に解り易く我々の誤りを的確に示してくれた。
簡易イラストマップは本当に簡易なマップだった。
駅とホテルしか書いてなかったから駅の近くじゃん!!
これが間違い!というか私たちの勘違い!!

あたりはすっかり日も落ちて暗くなっている。
しかも、円はあったが手持ちの€は10€しか残っていない。
やばい・・・われわれの前途も暗くなった。
たまたま停まっていたタクシーがあったから「10€しかないけどここまで行って」と頼み込む。
運転手はそばにいた彼女と思われる女性としばしイチャツイテから「OK」
これがウィーン流か。

ホテルに着いたときメーターは10€ちょっと越えていた。
ありったけの€(12€くらい)を渡した。

前夜、添乗員さんからは『必ず帰って来て下さいね』と当たり前のようなことを言われていた。
そのときは気づかなかったが、的確なアドバイスだった。


ウィーン南駅のバス乗り場。


ケルントナー通りを散策


ケルントナー通りを散策


シュテファン寺院は工事中


ウィナーシェニッツェル。あまりに空腹で写真を忘れていた。


ブラチスラバ ブリンゾベー・ハルシュキ

2007-12-08 13:14:58 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
『ブリンゾベー・ハルシュキ』はスロバキアの名物料理。
じゃがいもと小麦粉のニョッキにベーコンを加え、羊のチーズを絡めたものだそうだ。

ブラチスラバ滞在で唯一の食事となるこの日のお昼はハルシュキを食さねば来た意味がない。
「地球の歩き方」を見て、ハルシュキが食べれて&時間のロスなく行けるレストランを探す。
そのレストランは『プラシュナー・パシュタ』。
フラヴネー広場からミハエル門に行く途中にあった。

店内は薄暗かったので迷わずテラス席を選んだ。
注文をとりに来た店員に店の載っているページを見せたら、大変喜んでいた。
いよいよ、ブリンゾベー・ハルシュキ。
チーズというとモツァレラやクリームチーズのようなフレッシュ系を思っていたんだが・・・
シープチーズは強烈だった
さすがに、二人しても一皿を完食できなかったな。

ハルシュキの他には『アラチアンスカ?』という肉料理。
適当にメニューで頼んで後から名前を聞いてメモしたんだがはっきりしない。
飲み物は黒ビールと『スリヴォヴィッツァ』という蒸留酒を頼んだ。
このプラムのスピリッツも東欧の名物だ。
勢いで一気飲みしてしまったが、こんな強い酒は昼から飲む物ではない。

ツアーを離れて自力で来たブラチスラバのレストランで食事をしているんだ!!
これは私たちにとって‘ワクワクする冒険’であり‘アッパレな偉業'であった。
子供のようにはしゃいでいたんだろうな・・・
隣のテーブルに座っていたご婦人が「写真とってあげるわよ」と言ってくれた。
数少ないツーショットを最高の笑顔でゲットした。


店の前


隣のテーブルに座っていたご婦人撮ってくれたツーショット


ブリンゾヴェー・ハルシュキ


手前の料理が『アラチアンスカ?』というらしいがはっきりしない。
誰か名前をご存知なら教えて

ブラチスラバ テーブルをひっくり返したような城

2007-12-05 23:16:27 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ブラチスラバ市内観光の目玉はブラチスラバ城。
聖マルティン教会横から高架になった道路の下をくぐり、城を目指す。
ひっくり返したテーブル
と言われるブラチスラバ城のひっくり返っている足が見えてきた。
そこからが大変。軽い山登りって感じの石の階段を登り城の前へやっと着く。

門の手前にはまず売店がある。軽く品定めして中に入ると目の前に広い中庭が現れた。
中庭の周りは塀のように建物が囲んでいるので、チョット殺風景な大学の校舎を思わせる。
言われなければ'お城'とは気づかないかもしれない建物だ。

建物の内へは無料で入れるが博物館部分(2階以上?)には有料(60SK)だった。
「歴史博物館」と「音楽博物館」があって、時期によっては「ホッケーの殿堂」もあるようだ。

四隅の塔は最上階まで登れるようになっている。これが又かなりきつい。
でも、最上階からの眺めは筋肉疲労の対価を払っても見る価値のあるものだった。
旧市街方面を見るとレンガ色の屋根が並び色鮮やかにこの町の歴史を語っていた。
そこからドナウの対岸に目をやると林立した殺風景な白いビル群が見えた。
社会主義時代の景色だ。この景色もある意味、この町の歴史を物語っている。

今はなきチェコスロバキアという国家。
国名は1945年からチェコスロバキア共和国(以下チェコスロバキアは省略)
→人民共和国
→社会主義共和国
→社会主義連邦共和国
→連邦共和国と続き1993年チェコとスロバキアに分離。

スロバキアは2002年ビザ不要国になる。


城が見えてきた。でも凄い登り・・・


城の前


最上階からの眺め


ドナウの対岸は林立するビル群


城内の博物館の絵

ブラチスラバ 旧市街

2007-12-01 21:11:14 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ブラチスラバの旧市街区はこじんまりとしている。
私たちはバスターミナル側から旧市街区入りしたのでまず「旧市庁舎」にでた。
いかにも中世を思わせる建物は、今は歴史博物館となっている。
中庭に噴水があり、建物が日影を作ると夏でも涼しく感じられた。

旧市庁舎を抜けると旧市街の中心、「フラヴネー広場」が現れる。
ぽっかり開いた広場の空間に陽光が指し込み、色とりどりの屋台が並ぶ。
周りを囲む建物もおしゃれな感じで華やいでいる。
この日は日曜だったから各地から観光客もそこそこ来ていたようだ。
それまでのブラチスラバで見た、なんとなく寂しいモノクロのイメージがいっぺんに吹き飛んだ。

昼食後も入り組んだ石畳の路地を歩いた。
ヨーロッパならどこにでもあるような、路上にテーブルと椅子を置いたカフェがここにもあった。
また「マンホールから顔を出して町を覗き見している軍人」の銅製のモニュメントもあった。
ちょっと子供っぽいがもてなしの心が感じられる。
遊び心を満喫させてくれる町だ。

名所のひとつ「ミハエル門」は14世紀から今に残る唯一の門。
当時は町を囲む城壁がありミハエル門はそのうちの一つだったそうだ。
周りから頭一つ抜け出した『中世の町への入り口』は旧市街を暖かく見守っている。
「聖マルティン教会」は旧市街のはずれ、城の手前に位置する中世の教会。
何しろ、時間に余裕がないから写真だけ撮って城へ向かってGoだよ。

 
旧市庁舎中庭の噴水        石畳の路地

 
フラヴネー広場の屋台


広場の一角には日の丸を掲げた日本大使館もあった。

 
      遊び心いっぱいの銅のモニュメント      

 
ミハエル門               聖マルティン教会

旧市街では旧市庁舎、ミハエル門、聖マルティン教会で館内見学(有料)できたがパスした。
展示されている所蔵物にはあまり興味がないんだなぁ。
時間がなかったのも事実だが、それよりもあちこち歩いて町全体を体感したいと思った。
レストランで食事をしたり、屋台で買い物をしたりしたほうが楽しいし、
現地の人に道を尋ねながら散策するとその町のことが一層好きになれる。

旧共産圏っというイメージを払拭した1日だったが最後に一つ、フラヴネー広場の屋台の店員について。
さすが旧共産圏と言うべきか。
チェコでもそうだったが、スロバキアでも店員は無愛想だ。
店の前で品定めをしていても全く知らん振り。
気に入ったマグカップを私が差し出すと、一言も発せずに紙に包んでくれた。
ゆっくり買い物が出来るという点では、この方がありがたかったが・・・
何故かホッとした瞬間。

  
                     自分へのお土産となったマグカップ

ブラチスラバ ツアーを離れて1日観光

2007-11-28 21:08:43 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
ツアー4日目はウィーン観光の日だったが、キャンセルしてブラチスラバに行ってきた。
海外は久しぶりだったからわざわざツアーにしたのに・・・
まして、自力での国境越えはかなりの冒険だったな。
出発前にネットでブラチスラバの情報はかなり仕入れておいたつもり。
特にスロバキア紹介のHP「Hallo Slovakia」は大変お世話になった。

ブラチスラバ行きのバスはウィーン南駅から出ている。
所要時間は約1時間半。
ウィーン発着の1日エクスカーションとしては適当ではないか。
実際私たちも、行きは9時にウィーンを出てブラチスラバに着いたのが10時30分。
帰りは4時のバスでウィーンに戻らなければいけないので滞在は5時間程度のスロバキアだった。

旅の初心者ゆえ、最初から躓いた。
ウィーン南駅まではタクシーで運んでもらったが、ブラチスラバ行きのバス停が見つからない。
駅前のお巡りさんに聞いてみたが英語が通じない。
駅のインフォメーションで聞いてみたら何とか通じたものの・・・
「ここは鉄道の案内所だからバスのことは知らん!」だって。
ならばと駅前にいたバスの運転手に聞いてやっと見つけたよ。

チケット売り場では「I would like to get・・・」の後に「2 return tickets to Bratislava」と書いた紙を見せた。
売り場のおじさんはとても親切で自販機の買い方まで教えてくれた。


ウィーン~ブラチスラバ間のバス


バスチケット

9時:バス出発(往復16€/1人)
10時20分:ブラチスラバのバスターミナル到着

まずはこの国の通貨をということで、ターミナルビル内で両替(1番窓口)。
残ったらここで換金すればいいやと思いチョット多めに1万円分をSKに換金。
このとき、3,4人の男が「両替しようか」と言ってきた。
キッパリ「No!」と言ったら去っていったが、大柄な男に囲まれて少し緊張した。

次にインフォメーション(9番窓口)で市内までの行き方を聞いた。
「歩けば15分かかるので202番のトロリーバスで行け」と紙に「15,202」と書いてくれた。

早速ビルを出て202番のバス停へ。
発券機がコインしか使えないのでスタンドで水を買って小銭を作った。
トラムに乗ってキエフホテルまで行き、そこから歩いて旧市街観光。
最初に見つけたスーパー(TESCO)で地元ワインに目星つけて露店が並ぶフラヴネー広場へ。
ワクワク冒険が始まった。

 
国境    トラム10分券14SK      発券機



トロリーバス

ウィーン風居酒屋ホイリゲ

2007-11-26 01:13:20 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
3日目はプラハからチェスキー・クルムロフ経由でウィーンまでの大移動日。
長い移動の目的地ウィーンでは「ホイリゲ」での夕食が待っていた。

ホイリゲとはもともとその年の新酒を意味する言葉。
転じて自家製の新酒を出すワイン酒場のことを言うようになった。
本当のホイリゲとは「自家製ワイン」と「簡単な料理」しか出さないという。
最近は仕入れた新酒やワイン以外の飲み物(ビール等)を出して料理を提供するホイリゲ風レストランが多くなったそうだ。

私たちの旅行のパンフレットを見るとウィーンの夕食場所は
ウィーン風居酒屋ホイリゲ
外観も内観もウィーンの雰囲気を十分に出している観光客用ホイリゲ風レストランだ。
アコーデオンの生演奏付きで、白ワインを生ハムとチーズとパンでいただいた。
ストイックに「ホイリゲとは」を論ずる気はない。
私的にはホイリゲ=「新酒が飲める、ウィーンの雰囲気のある酒場」で十分良いよ。
ただ、新酒と言っても11月解禁だから8月のツアーでは前年の‘新酒'だけれど・・・

食事中にやってきたアコーデオン楽隊は、我々が日本人だとわかると「上を向いて歩こう」を披露した。
未だに日本人といえば‘スキヤキソング'かよ、と思ったが逆にそれだけ強烈なイメージになったこの曲に敬服した。
宴は進み、飲み口の軽やかな新酒も進んでいったようだ。
アコーデオンの軽快な曲に合わせて踊りだすツアー客もいて宴は盛りあがった。
まだ外は明るいんだけれど・・・

ツアーだったから店の場所も名前もわからない。
ただ、観光客用のホイリゲであるらしくネットの旅行記ではよく見かける。
場所はホイリゲの街、「グリンツィング」であるらしい。
名前はまだわからない。

 
アコーディオンの生演奏        お店の正面


生ハムとチーズの夕食

チェスキー・クルムロフ

2007-11-21 22:35:20 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
チェスキー・クルムロフはボスニアの南部、オーストリアとの国境の近くにある。
モルダウ川が大きくS字に蛇行して流れる中洲に中世の町並みを残したままたたずんでいる。

ツアーバスを降りるとここの現地ガイドに連れられてお城の見学。
ガイドがしきりに説明したのは
ハプスブルク家の歴史や皇帝が使った家具類。
平坦な壁にレンガ跡や窓を画いて立体的に見せる‘騙し絵'や壁に塗った漆喰が乾く前に絵を画いた‘フラスコ画'
どれも見るに値する有名なものなのだが私には城の塔の最上階から見た景色のほうが数倍感動した。
町を囲む小高い丘陵には木々や牧草地の緑が映えている。
その中にオレンジ色のレンガ屋根の町並みがまるでオアシスのようにポッカリ浮かび上がっている。
このコントラストこそが自然と人工物の最高の融合に見えた。

ガイドツアーが終わると昼食。
食べ終わると出発までは30分もない。
石畳の路地や中世の町並み。
モルダウ川で川遊びをする若者や子供たち。
見所は探せばいっぱいある町なのだろう。
せめて半日の自由時間があればもっとこの町の良さを理解できたんだろうな。
ツアー旅行の宿命か、高台からの景色以外はプラハ~ウィーンの中継観光地としての記憶しかない。


チェスキークルムロフの町並み

 
城の中庭の「騙し絵」          聖ビート教会


中央のイケメンは現地ガイドのオトさん


スヴォルノスティ広場

プラハ ボヘミアン

2007-11-18 12:52:53 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
【旧市街区】
大まかに言うとチェコの西半分を『ボヘミア』という。
お土産物でボヘミアグラスは有名だ。
一方、この地方からフランスへ流れていったジプシーが多かったという理由でジプシー的な生き方をする人を『ボヘミアン』というのも事実だ。
彷徨い歩く人・・・ボヘミアン

渡欧の場合、時差の関係で初日はほとんど24時間起きている。
だから現地での最初の朝は寝起きが悪い。
ぐっすり眠って眼が覚めるとそこは夢ののような異国だった・・・という訳にはいかないのだ。
起きても時差ぼけと睡眠不足で感覚は鈍く、ホテルの朝食も詰め込むだけで味気ない。
経験のある方ならお分かりだろう。

最初はぼけていた身体も観光していくうちに起きてきた。
それと同時に身体の中の異変も目を覚ましてきたようだ。
旅行前に前倒ししてきた仕事に無理があったのかもしれない。
行き先がそれほど衛生面で気をつけるような国ではなかったから油断したのかもしれない。
原因は不明だが、カレル橋を渡ってお昼を食べたあたりからお腹に刺すような痛みが始まった。
完璧な‘下痢だ'

昼食後、最初に行ったのがクリスタル店で日本人対応の店だった。
ありがたかったのはその店が日本人対応だったことではなく、そこに無料で清潔なトイレがあったこと。
昨夜からの食べ物(機内も含めて)は水のように流れ腹痛は治まる気配がなかった。

それでもツアーは続く。
クリスタル店を出ると旧市街区で解散、自由行動となるが、解散してすぐにインフォメーションの有料トイレに駆け込んだ。
(自由行動中ここを3回も利用した。)
妻には体調の不調を報告して観光前にまずは薬局探しをお願いする。
次の腹痛がくるまでになんとかして下痢止めを手に入れねば・・・。

インフォメーションでもらった地図を頼りに薬局を探して彷徨う。
薬局は程なく見つかり、「I have a stomachache. I want to stop ダイアリア
これが通じたときはうれしかったなぁ。
お水をもらってその場で薬を飲む。
お腹の中の物はほとんど出尽くしていたのかもしれないが薬を飲んでからは腹痛は来なかった。
以来、海外旅行には必ず下痢止めを持っていくことにした。

さて、観光に戻れるかと思ったらそうではない。
実は昨夜現地入りだったので旅装を完全に解いてなかった。
8日間の旅行だからデジカメのSDカードを何枚か持ってきていたが、それがまだホテルに置いてきたトランクの中だったのだ。
プラハ城、カレル橋で何枚か写真を撮ったので、写真を撮るためにはSDカードを買わなければいけない。
さらに重要な情報源の「地球の歩き方」もツアーバスに置いてきてしまった。
薬局の次はカメラ店やデパートを探して彷徨うことに・・・
彷徨い歩く人・・・ボヘミアン
SDカードを求めてさまよっていたら、親切な人が「『KOTVA』と言うデパートに行け。」と教えてくれた。
地図を見ると共和国広場にデパートがあるのを発見。
近代的なデパートで見事SDカード64メガGET!
ただしお値段は949Kc(約4000円弱)。ちょっと高め。

かくして、私たちのプラハ自由行動はトイレ、薬局、SDカードを探して終わってしまった。
気が付けばお土産も買ってない・・・観光もしていない・・・ボヘミアン・・・
旅行前には最大の目的地だったのはプラハだったんだけど。

 





お昼にあれだけひどい下痢をしたにもかかわらず下痢と腹痛が治まれば夜には黒ビール・・・
まだまだタフです。


結局プラハの土産物は‘下痢止め'と‘SDカード'

プラハ ヴルタヴァ川

2007-11-14 23:39:16 | 2004年8月中欧3カ国7泊8日
【カレル橋】
プラハ城を出て坂を下りるとモルダゥ川に出た。
2002年には大洪水を引き起こした大河だ。
現地ガイドはその時のものだといって建物に付いた水の跡を見せる。

カレル橋はモルダゥ川に架かるプラハ城地区と旧市街地区を結ぶ石橋。
小楽隊で演奏を披露しているグループ。
似顔絵や絵葉書やマリオネットを売ってる人たち。
プラハ城の賑わいはそのままここに受け継がれ陽光の元、人々の活気であふれていた。

両側の欄干には15対、合わせて30体の聖人像が並んでいる。
その一つ、城側からみて左側欄干の8対目にある「聖ヤン・ネポムツキー」の像はちょっとした伝説を持っている。

聖ヤン・ネポムツキーという人は14世紀の司祭で、今で言うと王室付きのカウンセラーのようなこともやっていた。
職務上、王妃から不貞の悩みを相談されていたが、国王からどんなに脅されても守秘を通した。
そのために橋から川に落とされて命を落としたが、彼の昇天の際に5つの星が輝いたという。

今ではその5星を頂いた聖人像となってプラハの町を見守っている。
彼の偉業にあやかろうとしたのだろう。
この像のレリーフに触れると幸せになれるということが広まった。
確かにそこの台座は皆が触るのでピカピカに輝いていて、触っているところを写真に撮ろうとする観光客で人だかりが出来ていた。

ちなみに、私たち日本人にはヤン・ネポムツキーより旧市街側から左岸5対目のフランシスコ・ザビエルのほうが有名だが。

日本に帰ってからスメタナの「モルダゥ」を聞いた。
交響詩『我が祖国』の中の曲で、私でも聞き覚えのあるメロディーだから相当有名なんだろう。
じっくり聞くと、力強さを感じるがどこか物悲しい。

永い歴史の中で自国のアイデンティティをなかなか表現できなかったチェコという国家に生まれた天才だからこそ『祖国』への郷愁をかくも強烈に表現できたのだろう。
『祖国』という感覚があまり馴染みのない日本人にも心に響くいてくるものがある。
これを書きながら鼻歌でメロディーを歌っていたら中学生の娘が「モルダゥだ」と言った。
中学の音楽の授業で習ったそうだ。

   詞:岩河三郎
 なつかしき河よ モルダウの
 清き流れは わが心
 うつくしき河よ モルダウの
 青き水面(みなも)は 今もなお

 流れにやさしく 陽(ひ)はそそぎ
 さざなみはいつも 歌うたい
 岩にあたり しぶきあげて 渦を巻く

ちなみにモルダウはドイツ語読みでチェコの人はヴルタヴァと発音する。
また、私たちが旅行した年の秋にプラハをドナウ流域としたNHKBSの番組があったがヴルタヴァ川はエルベ川の支流だ。