アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
現在工程表作成中

屋台は楽し

2007-11-05 22:43:21 | 2006年3月ソウル2泊3日
2日目の早朝の南大門。
まだ完全に起きる前のこの巨大な商店街の一角にトースト屋台を発見。
早速、指で1個注文するとアジュンマは優しく微笑んでくれた。

ここの屋台はネギ入り卵焼きをトーストで巻いた簡易食の屋台。
値段は1個1000wだった。
アジュンマは卵焼きを作っているときに何かを聞いてきた。
韓国語だったから返事が出来ず困っていると片言の日本語で「砂糖入れますか?」。
私はにっこり笑って大きくうなずいた。

ソウルには各種の屋台があった。
スンデ、ホルモン、チジミ、クックァパン(菊花パン)、ホットックは食した。
スンデ、ホルモン、チジミはかなりボラれてしまったが、クックァパン(菊花パン)、ホットックは500w。
これぞまさに、ソウルB級グルメ!!










南大門・東大門市場 買い物編

2007-11-03 12:06:17 | 2006年3月ソウル2泊3日
ソウルでは貪欲に物を売っている。
例えば、結構満員な地下鉄の車内でいきなり音楽が流れて演説が始まった。
宗教か?と思ったらCDの販売員であった。
日本では考えられない。

南大門、東大門両市場でも道の両側だけでなく中央にも店をだしている。
店先の張り紙に日本語が氾濫しているのを見ると日本人観光客目当ての店も多そうだ。

安さで有名なのは「眼鏡」や「印鑑」。
「衣類」「雑貨」「食品」なども山のように積んでおいてある。
珍しい物では「スッポン」や「朝鮮人参」もあった。
特段何を買いたいというものもなかったから「見てるだけ」の観光になった。
そう言えば、「鞄」や「時計」の店先でかけられた呼び込みの言葉は笑えたな。
完璧なニセモノあります









【笑えない実話】を最後に一つ
南大門のある店の前で普通に声をかけられた。
誘われたけど買う気もないから適当に品定めしているふりをしてバイバイした。
どうやら私達はそこの店員達に、逆に‘品定め’されていたようだ。
ブラブラともう一度その店の前を通ったとき、奴らは狙いを定めてきた。
彼らは「安いよ」と言って近づいてきて店に呼び込む振りをして私たちの腕を思い切り引っ張った。
肘か肩を外しに来たようだった。

何でもありか ナンデモン(南大門)





汗蒸幕

2007-10-30 22:13:01 | 2006年3月ソウル2泊3日
2日目は南大門~昌徳宮~東大門~明洞と歩いた。
足は棒のようになっていた。
それもこれも全て、『汗蒸幕』に挑戦するための布石だ。

汗蒸幕というのは本来ピザ焼き釜のような形状のドーム式サウナの名称。
でも、汗蒸幕だけでなく、風呂もありマッサージや垢すり等もある韓国サウナのお店を汗蒸幕と呼んでいるようだ。
宿泊したクラウンホテル内にはその汗蒸幕がある 「韓日タウン」

基本コースでは「汗蒸幕」「温泉」「垢すり」「オイルマッサージ」等で80000wであった。
お金を払って中に入るとまづは「お風呂」に入れと言われる。
風呂から出ると「汗蒸幕」。
何も知らない私達はタオル1枚で入ったが麻の布を被って入ることを後から知った。
次は病院の診察台のようなベッドで垢すりとマッサージ。
途中で「オプション追加しない?」と誘われた。
日本人はスケベだと思っているのか「オプションの指圧は女の子がやるよ」って言われたな。
後はまたお風呂に入ったりして終了。
全部で約1時間くらいだった。


アワビ粥

2007-10-29 21:54:47 | 2006年3月ソウル2泊3日
飲兵衛だからだろうか、朝食にアワビ粥が食べたいと思った。
ソウルナビでチェックしてクチコミ評価の高かった粥専門店『Congee House』まで行く。
『Congee House』は明洞繁華街のソウルロイヤルホテル前のビル2Fにある。
ただしこのビルは判りづらい。

行ったのは日曜の早朝。
どうせまだ誰もいない・・・はずだった。
しかし店のあるビルにはすでに階段で待っているご婦人グループがいた。
私たちが近づくと「今満席よ」だって。
日本人だ。

粥と言うと私にとっては下痢をしたときに食べさせられるなんとも味気ないものという印象が強い。
おおよそ、高級料理ではない。
アワビはと言うと食材としては高級であるが、消化はお世辞にもよいとは言えない。
このミスマッチ。

朝から列に並んでまで食べたお味は・・・
極めて表現のしにくい味だ。
アワビのだしなんて繊細すぎて私の舌では味分け不可能。
付け合せのキムチをトッピングしてやっと美味しく食べることが出来た。
お粥はやっぱり何も入れないかまたは梅干を入れるくらいがいい。




明洞

2007-10-27 18:39:30 | 2006年3月ソウル2泊3日
東大門市場からてくてく歩き、ソウルの中心『明洞』を目指す。
明洞に近づくにつれ、近代的なビルが目に付くようになった。
今まで廻ったソウルの町には多少なりとも下町の風情を残す風景があったが、ここは明らかに大都会だ。

明洞の週末も人混みでいっぱい。
ただでさえ多い人で道が歩きづらいのに、歩道には服や雑貨などを並べたワゴンや屋台が並んでいる。
いくら買い物旅行ではないといっても自然とそこで足が止まってしまうよ。

南大門や東大門では同じ様な人混みでも私達は見分けられ「安いよ!」と声をかけられる。
店の前や中から油断ならない視線を感じたこともある。
だから、警戒心が働き足を止めることはあまりなかった。
明洞では私達はあまりにも放置されている。
雑踏の中で店からの視線を感じなくなると逆に安心してワゴンに足を止めてしまうから不思議だ。

陽が落ちてくると灯りのついた屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。
昼飯が遅かったせいでまだ食欲はわかないがソウルの人たちは屋台飯をほおばり始めた。
あれほどいた人混みもそれぞれの店に吸い込まれたのだろうか、ちょっと収まったようだ。
ソウルの眠らない土曜日の夜が始まった。








東大門市場

2007-10-25 22:09:14 | 2006年3月ソウル2泊3日
2泊3日のツアーの中日は朝から歩き続けた。
会賢駅で地下鉄を降りてから南大門~昌徳宮を経て東大門に着く。
東大門は交通量の多い道の真ん中にあってその場に行き着くことが出来なかった。



東大門市場には2時過ぎに着いた。
遅くなったが昼飯を食べる屋台を探した。
今日の遅昼は屋台飯と決めていた。

土曜日の午後で繁華街はかなりの人混みだ。
その人混みを縫うように東大門のスタジアムの周りを廻った。
何度も掛けられた「安いよ」という呼び込みの声を無視しながらいい店はないかと歩いた。
結局決め手がなくてスタジアムを2周したところで『どこでもいいよ』ということになった。
いつも思うけどこういう時って最初から『どこでもいいんだ』

ちょうど目の合った呼び込みに誘われて入った1軒の屋台。
ブルーシートで屋根と周りを囲った簡易テント式の屋台だ。
ストーブの周りに席を取り缶ビールと「スンデ」、「ホルモン」、「海鮮チジミ」を各1皿ずつ頼んだ。

南大門市場の朝食の感覚ではせいぜい10000ウォンくらいだと思ったが・・・
言われた値段は合計45000ウォン(約5000円)。
ボラれたかな?少し高くないか?
韓国では1品頼むと2~3人前持ってこられるから料金は2倍か3倍で計算しろよという情報は確かにあったけど・・・
なるほど、写真を見ると1人前にしては多いか。

とんでもないぜ トンデモン(東大門)






昌徳宮

2007-10-23 21:44:12 | 2006年3月ソウル2泊3日
ソウルの世界遺産、昌徳宮はガイドツアーでしか見学できない。
値段は3000w。
日本語ツアーは1日に4,5回催行される。
時間も決まっていて私たちは12:30からのツアーで行った。

ここでガイドから一人の日本人(韓国人?)女性についての悲しい話を聞いた。
歴史は勉強したつもりだがこの女性について詳しく教えてもらった記憶はない。
だから余計に、職場の仲間と観光気分で来た割には心に重く刻まれた話になった。
なお、1年以上前の旅行なので、下記の年号や細かな記載事項などは改めて今調べたものである。
残念ながら私の記憶力はそこまで立派ではない。

【話の内容】
昌徳宮内にある『楽善斎』は朝鮮王朝最後の王妃、李方子(りまさこ)様の住居。この李方子様とは、朝鮮王朝末期の皇太子と政略結婚させられた日本の皇族、梨本宮方子様である。
政略結婚とはいえ朝鮮王朝に嫁いだ方子様は、戦前は夫とともに日本に半幽閉の身であった。戦後は王政復古を怖れた時の大統領によって、夫とともに日本からの帰国も許されなかった。やっと韓国に帰国できたのは、1963年のことである。
1970年、夫に先立たれても日本への帰ることを望まず、韓国で最後の朝鮮王朝王妃として生きる道を選んだ。その後、恵まれない子供たちへの支援活動に取り組み、その功績が認められ1981年には韓国政府から「牡丹勲章」が授与された。
彼女の生き方は韓国で共感を受け、最も尊敬と親愛のもてる日本人として今も慕われている。否、彼女は韓国人として受け入れられているのかもしれない。
1989年、日本では平成が始まった年に亡くなられた。彼女の人生を、日本も韓国も近代化前の混迷の時代の話で片付けていいのだろうか。

修学旅行で広島や長崎に行くと現地のガイドさんが原爆の被害を切々と訴える。
でも、生徒たちは昨夜の枕投げのせいでみんな熟睡している。
日本の若者はもっと歴史の中で苦労をした先人のことを聞かなければいけない。








南大門市場食事編

2007-10-20 09:37:03 | 2006年3月ソウル2泊3日
今回のツアーは、ホテルは宿泊のみのプラン。
2日目の朝は、朝食を求めて『南大門市場』に出かけることから始まった。
地下鉄で「緑莎坪」から「会賢」へ行く。

駅を出るとそこは南大門市場の入り口。
開店の準備する人や昨夜のごみを回収する人が物憂げに動いている。
早朝のまだ活動を始めていない市場は不気味な静けさで出迎えてくれた。



市場がまだ目覚めていないことを確認して、まずは『南大門』見学に行く。
朝早くにここにいるのは私たちだけかと思ったが、しっかり日本語のガイドツアーが来ていた。
しかしここも目覚め前。
しばらく待って門が開き、門内の天井の龍の絵も観れたし、民族衣装のパレードも観れた。







南大門が開くと市場も目覚めるようだ。
10時過ぎまで引っ張った朝飯を求めて市場街へ行くとそこはもう活気があふれていた。
両側にこれでもか!というように、出来立ての料理を並べた路地を発見。
湯気の立つ店の前で一軒を選び中に入る。

店の人は一目で日本人観光客と理解したようで日本語のメニューを持ってきた。
「ラールスープ」「もチギョウザヌープ」は笑えたな。
男3人で「トッポッギ」「モチ餃子スープ」「のりまき」を食べた。(10000ウォン)
もちろんキムチは一皿ついてくる。

このメンバーでの日本国内の旅行なら朝風呂浴びて据え膳の朝食となるだろうか。
今回は朝起きてひとまず観光してからの自力朝食。
美味いとは思えなかったが全部平らげた。










焼肉「牛里ガーデン」

2007-10-18 22:52:19 | 2006年3月ソウル2泊3日
『焼肉』といえば学生の頃、「食べ放題2000円」という看板につられてよく行った。
たいてい安っぽい焼肉屋だった。
後先考えずに肉ばかり食べるので、翌日の朝には胸焼けで苦しんだ記憶しかない。

社会人になって、焼肉を食べる機会はあった。
でも『焼肉○かい』などのいわゆる庶民的な焼肉屋しか行ったことがない・・・
高級な焼肉なんて食べた経験がないのだ。

ソウルの事前準備で大変参考になったのは『ソウルナビ』だ。
『るるぶ』に広告を出している店でも実態はあこぎな商売をしているなんてカキコを見た。
その『ソウルナビ』でお墨付きを得た「牛里ガーデン」にソウル初食事に行ってきた。

「牛里ガーデン」は梨泰院通り(地下鉄の通り)を梨泰院駅まで行き、そこから少し左へ入ったところにある。
客の半分以上は日本人だそうだ。
店長も店員も日本人には優しい(これが結構ソウルでは重要ポイントなのだ)

写真の焼肉セットは3人前75000ウォン(約8000円)
ネットでとったクーポンを持っていったから10%引きになった。
マッコリは900ccで8000ウォン。

前述のとおり高級な焼肉の経験がないので、ここの肉が高級か否かは解らない。
でも、付け合せのキムチやナムルと一緒にいただくお肉は最高に美味しかった。
ソウル式のこの食べ方ならば肉一辺倒で胸焼けが起こることはない。
肉の味はきっといいとは思うけど、味がどうこうなんてどうでもいいんだよ。
美味しく、腹一杯、胸焼けが残らずに食べれることが焼肉では大切なんだ。








梨泰院

2007-10-16 00:52:12 | 2006年3月ソウル2泊3日
宿泊した『クラウン観光ホテル』はソウルの梨泰院という町にある。
夜8時過ぎに宿に着いてすぐ、焼肉を食べに町にくりだした。

【夜の梨泰院】
梨泰院は米軍基地のある町。
夜の大通りに出る。
歩道には休暇の軍人と思われる白人や黒人がウジャウジャいた。

飛び交う英語と行き交う車のライトやクラクション。
この町の喧騒が頭の中で回りだした。
今俺はどこにいる? ここは韓国のはずだが・・・
今まで持っていた韓国へのイメージが音を立てて崩れていった瞬間。



二日目は朝から市内観光に行くために寒い中、地下鉄「緑莎坪」駅まで歩く。

【朝の梨泰院】
昨夜の喧騒はどこへやら。
大通りには車やタクシーがそこそこ走っているが道行く人はほとんどいない。
地下鉄の駅はとても立派だが、ここにも人がいなかった。

饒舌な夜の顔と寡黙な朝の顔を持つ米軍基地の町・・・







職場の仲間とソウル旅行

2007-10-15 14:45:18 | 2006年3月ソウル2泊3日


2006年3月、『職場の仲良し3人組で初めて海外に行きました。』
字ズラのイメージからすると若いOL3人を想定されるかもしれないが四十男3人組だから悪しからず。

この3人で国内旅行にはよく行っていた。
仕事帰りの飲み屋で「今年はどこに行こう?」と話していたとき、勢いで
「たまには海外も行ってみよう!」ということになったのだ。

仕事を欠くのを最低限にするために金曜夕刻発日曜夜帰りという2泊3日とした。
これなら金曜午後だけ年休を取ればすむ。
『台湾』『中国』『ソウル』が候補になった。
「本場の焼肉が食べたい!」ということで『ソウル』に決定。

2泊3日なら『ホーチミン』『マニラ』もあったが中身が慌しかったから選考から外した。
そういえば、1泊2日なら『済州島』『上海』もあったっけ。

ということで【行程】は以下のよう

3月3日 夕刻セントレア発の大韓航空でソウルへ。着後「牛里ガーデン」で焼肉
3月4日 地下鉄でソウルまで行き市内観光。「南大門市場」→世界遺産の「昌徳宮」→「東大門市場」
3月5日 明洞で鮑粥を食べて南大門で買い物。夕刻発の便で名古屋に帰る。

私以外の二人は全く動かないので【事前調査】は私が旅行社となって計画立案。
①『焼肉』以外はB級グルメでいく。(食事なしの完全フリープラン)
②男3人だから宿は最低でなければOK。(Cランク以上)
③世界遺産の昌徳宮は外さない。
以上を共通認識とした。

参考にしたのは
ネットの「ソウルナビ」と雑誌の『るるぶ』。

【旅行社】
HISの『コリアンエアーで行く 気軽にソウル3日間』
帰りを夕刻発にアレンジした。(+6000円)

勢いで『海外旅行』決めてきたものの、我が家の奥さんを説き伏せるのには苦労した。
一時は真剣に険悪な雰囲気になってしまったもんなぁ。