アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
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祇園

2012-11-23 21:50:50 | 2012年 国内の旅

←四条通

八坂神社を出て、宵の祇園を歩いた。

四条通は車も人も混みあっている。

ヘッドライトやアーケードの白色光が混沌としかけた頭の中に射し込んできた。

夜の雑踏は苦手だ。

人混みを避けるように、路地に逃げ込んだ。

四条通から北へ入る細い路地。

この路地は、料理屋などの橙色灯でうっすらと照らされていた。

←四条通りの路地『切通し』

人がポツリポツリと通り過ぎ、静かに闇が空を覆いかける。

表の雑踏から逃れてきた人が迷い込み、行き先を求めて彷徨っているようだ。

そんな人通りも途絶えてしまうと、妙な静けさが訪れる。

この世とは違った世界、まさに物の怪たちが顔を出しそうな街並みになるのだ。

こんな時が『逢魔が時』と言うのだろうか。

京都にはこの世とあの世を結ぶ不思議な空間があるようだ。

 『 身の中の 逢魔が刻の 蛍かな 』  枇杷男

←巽橋の赤い欄干『白川南通』

←巽橋周辺


八坂神社

2012-11-21 23:35:19 | 2012年 国内の旅

清水から八坂神社まで降りてきた。

私のペースから行けば考えられない程ゆっくり歩いたつもりだったけど…

両親の足は限界だったそうだ。

後日、父が私の嫁に「老人虐待かと思った」と言ったそうな。

八坂神社は地元では『祇園さん』と呼ばれ親しまれている。

正月3が日の初詣客は約100万人で、伏見稲荷に次いで京都第2位。

7月の祇園祭も有名で、日本3大祭りの一つでもある。

ちなみにあとの2つは、大阪天満宮の天神祭と神田明神の神田祭だそうだ。

日も落ちて提灯に灯が入った。

予約したレストランの時間までまだ1時間ある。

もう少し、親には祇園の町を楽しんでもらわなければ。

♪ 八坂神社の石段さえ あなたと歩けば多かった ♪ 『ひとり囃子』by 小柳ルミ子

 ↑ 八坂神社西楼門

 ↑ 祇園交差点から四条通を見る


高台寺

2012-11-17 21:24:38 | 2012年 国内の旅

三年坂・二年坂と清水から祇園へ下って行くと、「ねねの道」にでる。

人力車が通り、高台寺敷地横を一直線に続く石畳の道だ。

高台寺側は寺社公園の緑があふれ、対側は風情ある和風家屋のお店が並ぶ。

ねねは秀吉正室で、秀吉の死後出家して「高台院湖月尼」と名乗った。

高台寺は、高台院が秀吉の冥福を祈るために建立した寺院。

正式名称は鷲峰山高台寿聖禅寺と言う。

 ↑ 遺芳庵

 ↑ 左端の渡り廊に屋根が付いている所が観月台で奥が開山堂

 ↑ 霊屋

方丈前庭には瓦で出来た2頭の龍がある。

残念ながら、紅葉シーズンに向けて修復中だった。

そういえば、高台寺には龍にまつわるものが多い。

開山堂から霊屋への渡り廊はその形状が龍に似ていることから「臥龍廊」と言う。

臥龍廊の下にある池は「臥龍池」。

秀吉もねねも尾張の国の人だったね。

名古屋のプロ野球団の愛称がドラゴンズっていうのはなにかの因縁でしょうか。

    『 黄昏や 萩に鼬の 高台寺 』  蕪村

イタチでなくて龍で詠んでほしかった…


産寧坂、二寧坂、京の坂道

2012-11-12 23:45:30 | 2012年 国内の旅

清水寺から八坂神社まで坂を歩いて降りた。

三年坂、二年坂は正式には「産寧坂」「二寧坂」という。

坂の両側には古風な家屋や土産物屋が並び、目と心にはとても優しいが…

かなり急な石の坂なので、足腰には優しくない。

産寧坂からちょっと寄り道するといきなり五重塔が現れた。

法観寺の五重塔、通称「八坂の塔」。

圧倒的な迫力で現れたのに、雅な情緒も感じさせてくれる。

懐の深い京の坂道。

 これもまた真実~清水坂の路地から見える電柱越しの八坂の塔

二寧坂には「竹久夢二寓居跡」がある。

美人画の夢二が愛憎のもつれで京に逃げて来た時の下宿あと。

今は夢二の専門店になっているそうだ。

 ♪ 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 

京の坂道の目に優しい所は、古風な街並みだけではない。

運が良ければ舞妓さんにも会えるかも。

季節は少し違うけど、与謝野晶子の短歌も頭に浮かぶ。

  「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき」

与謝野晶子と言えばもっと情熱的な歌がサントリーのCMにも使われていたなぁ。

 ♪ 柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を説く君 

京の坂道は妖艶でしかも、饒舌なのです。

 

 


清水寺

2012-11-10 23:33:35 | 2012年 国内の旅

清水寺は正式名称が音羽山清水寺と言う。

国宝の本堂は山の中腹に建てられ、その前面は斜面からせり出して造られている。

この部分が、『清水の舞台から飛び降りる』という諺で有名な舞台だ。 

江戸時代には実際に飛び降りる人がいたという。

舞台の真下には「音羽の滝」がある。

建立時から今に至るまで絶えずに流れる霊泉が清水寺の名前の由来だ。

滝は3本あり、それぞれに「学業」「恋愛」「延命」のご利益がある。

水取りの行列が出来ていた。

本堂の向こうに三重塔が見えた。

改装中の社屋がちょっと邪魔だが、何とも絵になる光景だ。

若いころはこんな構図を見ても何の感動も起きなかったのに、最近はジーンと胸に響いてくる。

歳を取ったのかなぁ。

清水があるのは京都東山。

そういえばこんな歌謡曲があったっけ。

 ♪ 遠い日は二度と帰らない 夕やみの東山 ♪  『京都慕情』 by 渚ゆう子