アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
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ロマンチック街道 1989

2008-06-30 20:44:47 | 1989年8月スイス・ドイツ・パリ
行程4日目から7日目までは延々とドイツ・ロマンチック街道をバスで北上した。
立ち寄った観光地と宿泊場所は以下のよう

4日目:観光 ノイシュバンシュタイン城
     宿泊 ポストホテル(ガルミッシュ=パルテンキルヒェン)
5日目:観光 ミュンヘン・マリテル広場
         アウグスブルグ(ホリデーイン最上階で昼食)
         ネルトリンゲン 聖ゲオルグ教会の塔
         ディケンスビュール 
     宿泊 アイゼンフート(ローテンブルグ)
6日目:観光 ローテンブルグ 市庁舎
         古城街道
         ハイデルベルグ城 
     宿泊 デア オイロペーイッシュ ホフ ホテル オイローパ(ハイデルベルグ)
7日目:観光 ハイデルベルグ
         ネッカー川のカールテオドール橋
         リューデスハイムでワインテイスト
         ライン下り(リューデスハイム~サンクトゴアハウゼン)
     宿泊 フランクフルトインターコンチネンタル(フランクフルト)

街道こぼれ話

ノイシュバンシュタイン城は入城待ちの長い列が出来ていた。
正直、これだけ待つのなら中に入らなくてもいいと思うほどだった。
添乗員が「日本語ガイドツアーがもうじき出ますから」というようなことを言ってどんどん前へ進んでいった。
我々も後をついていった。
いわゆる‘割り込み’
旅の恥を掻いて捨ててきた。

街全体が歴史保全の関係だろうか?それとも国民性の違いだろうか?
ドイツでは自販機をあまり見かけなかった。
たまに見つけた自販機でタバコを1個買ってみた。
コインを入れて、ボタンを押して・・・
出てきたタバコにはお釣り分のコインが貼ってあった。
シンプルだけど・・・面白かった。

どこかの町でお昼を食べた。
飲み物は自前というのがツアー食。
私はビールを頼み、妻はオレンジジュースを頼んだ。
料金はジュースの方が高い。
聞いてはいたが驚いた。

ラインクルーズの前にリューデスハイムの街で食べたお昼はウインナーとザワークラフト。
このザワークラフトには参った。
単純に「キャベツの酢漬け」なら食べれると思うのだが、これは更に発酵させてあるのではないかと思ったほどだ。
実際そうかもしれないな。
しかも半端な量ではない。
さすがに食べることが出来なかった。
旅行中一番印象に残った食べ物の一つだ。


マリエン橋からノイシュバンシュタイン城を見る ガルミッシュの街

 

ミュンヘン・マリテル広場の仕掛け時計  ミュンヘン・オリンピックスタジアム


アウグスブルグ・ホリデーイン

 
ネルトリンゲン・聖ゲオルグ教会の塔からの眺め


ディケンスビュール・街並み

 
ローテンブルグ・ホテルアイゼンフート ローテンブルグ・市庁舎の仕掛け時計

 
ハイデルベルグ城

 
ネッカー川のカールテオドール橋   ライン下り(リューデスハイム~サンクトゴアハウゼン)

チューリヒ 1989

2008-06-25 22:23:09 | 1989年8月スイス・ドイツ・パリ
1989年8月に新婚旅行でヨーロッパに行った。
夏休みだったこともあり、12日間のツアー代金が一人73万!!
バブルだったこともあるけど、私もお馬鹿だったなぁ。

コースは以下のよう。
2日がかりでフランクフルト経由(1泊)のチューリヒ入り。(チューリヒ2日間)
チューリヒからドイツロマンチック街道を北上しフランクフルトへ戻る。(4日目~7日目)
再びフランクフルトからパリへ行き、パリで3日間というもの。

実は当時チューリヒには私の大学時代の悪友が在住しており、そいつと会うのも目的の一つだった。
ツアー3日目のユングフラウヨッホをキャンセルして悪友と1日チューリヒを楽しんだのだ。

今のようにメールで簡単に海外の友人とやり取り出来る時代ではなかった。
日本での連絡は時差を考えて国際電話で手短に話したものだ。

出発前、悪友の両親に「渡すものがあったら持って行きますよ」と声をかけたら……
週刊誌や日本食など、私たちのトランクの半分が埋まる程の手荷物を持って、空港まで来てくれた。
さすがに、それを見た悪友も「こんなに持たせて悪かったなぁ」と言っていたっけ。
でも、当時はなかなか日本のものが手に入らなかったそうだ。

チューリヒで悪友に連絡を取ろうとしたけど、電話番号のメモを日本に忘れてきてしまった。
ホテルにあった電話帳をダメモトで調べたら、そいつ「茂」という名前だけど確か「SHIGEL?(シーゲル)」という表記で載っていた。
苗字も忠実なローマ字表記でなかったので、はたしてその番号が悪友宅のものか少し不安だったが掛けてみた。
「もしもし」で始めて通じなかったら「Sorry」で切ろうと思ったけど……見事に「もしもし」で返してもらえた。

さて、ツアーを離れて悪友夫婦に連れて行ってもらったのはアーレシュルフト渓谷(Aareschlucht)とピラトス山(Pilatus)
ピラトス山はケーブルカーで山頂まで行ったら雪だった。8月だったんだけど…
懐かしい思い出。

 

山を下りて連れて行ってもらったのは「ルツェルン」という街。
街を流れるロイス川に架かる有名な木の橋の「カペル橋」を散策。
山を下りても寒かった。



その後、悪友宅で食事をご馳走になり、ホテルまで送ってもらった。
その日8月1日はスイスの建国記念日だそうで、夜に花火が打ちあがってほろ酔いがさらに深まった。