アジアを回る・日本を回る

年に1度の海外旅行を楽しみに1年働いています
2016年の夏はカンボジア・シェムリアップに決定
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上越の旅 鵜の浜温泉 日本海の日没

2011-12-30 21:57:28 | 2011年 国内の旅

鵜の浜は日本海に面している。

海水浴場からは、夏はほぼ正面に日本海に沈む夕陽が観れるという。

期待して行ったが、天気は雨。

それでも、日没時間にあわせて海岸へ出てみたが…

雨こそ止んでくれたが、雲に覆われて日没は観れなかった。

おまけに、 冬至直前だったから太陽が低い。

日没地点は、水平線を通り過ぎて陸地に上がっていた。 

 

 ↑ 夕陽の森展望台 日没後に行ったから、夕陽は観れず月が見えた。

 

鵜の浜の宿は謳い文句は‘潮風薫る宿’の「みはらし」さん。

日本海に面したロケーションだから、潮の香りどころか、波の音が聞こえる。

波の音だけだったら良かったのだが…

この日は夜から未明にかけて低気圧が通過し、外は台風並の雨風。

風の唸る音と雨が窓を叩く音が夜通し鳴り響いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

食事のコースは『満腹・満足』というコース。

品数豊富なようでクチコミでは食べきれないという情報もあった。

予約時に『量より質』にアレンジOKだったのでお願いしたのだが…

それでも食べきれないほど出てきた。 ↓ 

   

先付け          アワビ          焼き物は鯛       

  

カニもあります     天ぷら          御造り(出が遅い)

  

一人鍋          松茸ご飯        デザートはチーズケーキ


上越の旅 鵜の浜温泉 人魚伝説

2011-12-29 20:08:35 | 2011年 国内の旅

鵜の浜温泉には『人魚伝説』がある。

要約すると

『鵜の浜に、母と二人で住んでいる若者がいた。

若者には許婚がいたが、ふとしたことから佐渡ヶ島の娘と恋仲になってしまった。

若者は海岸にある常夜灯に献灯し、佐渡の娘はこの灯を頼りに毎日、若者に会いに来ていた。

しかし若者が毎日海岸に行くのを不審に思った母が、「たまには家で許婚と過ごせ」と嘆願し

若者も1日だけならと、常夜灯の献灯を止めて家で過ごした。

翌日、佐渡の娘の水死体が浜に上がり、悲しんだ若者も後を追って入水した。』

という話だ。

町のいたるところに人魚の像がある。

海水浴場の砂浜や日帰り温泉施設・ホテルの玄関など…

さらに、冬の観光行事であるイルミネーションも人魚。

ただ、汚水のマンホールの蓋にある人魚はちょっと可哀想。

ちなみに、小川未明の童話「赤いろうそくと人魚」はこの伝説をもとに書かれた。

 日帰り温泉施設の人魚

 

↑ 町のイルミネーションも人魚                夜間はこうなる ↑

汚水…可哀想 ↓

 

「鵜の浜温泉」は天然ガスの採掘中に副産物として湧出した温泉。

湧出が昭和31年だからけっこう新しい温泉だ。

ホテルの温泉に浸かったが、塩化物泉ゆえちょっとソルティーだった。

   


上越の旅 杜氏の郷

2011-12-24 19:18:36 | 2011年 国内の旅

新潟は米どころ。 当然、酒蔵も多い。

だけど、酒蔵が「道の駅」をつくっちゃった。

それが、『よしかわ 杜氏の郷』。

↑ 四季菜の郷(地産品の販売所)で売っていたマタタビ酒

地産の野菜類も売っているが、メインは酒蔵見学と酒販売所。

しかも、場所は上越市の中心からは外れた田んぼの真ん中にある。

どう見ても、車でしか行けないロケーションなのだ。

観光バスを見込んでいるのかな? 

私は両親を連れての車旅行で、もちろん運転手。

新酒の利き酒コーナーもあったけど…

涙を呑んで回避した。

冬なのにジェラートも売っていたぞ。

『お酒のジェラート』があったから、珍しいものはチャレンジ。

もちろん「お酒のアイスは飲酒運転になりますか?」と聞いたら

「お子様でも食べられます」と返された。

←足湯のコーナーもあった。

 


上越の旅 雁木通り

2011-12-17 12:46:49 | 2011年 国内の旅

『雁木』とは ↑

通りに面した家々の軒を歩道まで伸ばしたもの。

雪が降っても通路を確保するという、豪雪地帯特有の生活の知恵である。

通路と言っても、各家の土地を少しずつ供出したものだから私有地なのだ。

だから、町の人たちの譲り合いや助け合いから生まれた人情味のある光景と言える。

雪国ではよく見られる光景だが、ここ高田の雁木は総延長が16kmもある。

現存する雁木ではダントツの日本一の長さだ。

 ←大町通り

高田の駅前の本町通りと大町通りを歩いた。

どちらも雁木通りに含まれるが、本町通りの雁木は近代的なアーケード。

商店街だからショッピングや食事はできる。

それに対し、大町通りは昔ながらの家屋が残っている。

民家が多いが趣はこちらの方があるようだ。

 ←本町通り


上越の旅 高田城三重櫓

2011-12-15 21:03:40 | 2011年 国内の旅

上越高田城は1614年、あの徳川家康の六男、松平忠輝が築城した。

城下を流れる川を外堀として利用し、石垣築かず土塁で済ました。

また、天守の建築はなされず、櫓(当時は二重)を天守の代用としたという。

防衛上は問題ないそうだが、将軍家系のお城にしては扱いが悪い?ような気が… 

 ←松平忠輝家系図

その後、櫓は1665年の高田地震で倒壊。

三重となって再建されたが、明治維新後の火災で焼け落ちた。

残った建造物も直後に廃城令によって取り壊されて高田城は幕を閉じた。

その後平地になった跡地には陸軍が入り、その際に大量の桜を植栽した。

このおかげで、高田城とその公園は「日本三大夜桜」の名所となっている。

注:「三大夜桜名所」の残りの2箇所は円山公園(京都)と丸山公園(長崎)という説と

弘前公園(青森)と上野恩賜公園(東京)という説がある。

しかしどちらも高田公園は含まれているから大したものだ。

また、城取り壊しで失職した武士が、お堀で蓮根栽培をはじめた。

食用蓮根は普及しなかったが、残った蓮は見事に繁殖し、毎年「蓮祭り」が開かれている。

 ↑ 高田城で買った絵葉書と入場券(200円)  

 ←極楽橋から櫓を見る

12月初旬の高田城は桜も無ければ蓮もない。

紅葉も終わって、訪れる観光客も疎らで、寒々としていた。

1993年に再建された立派な三重櫓は資料展示館になっており

築城当時の絵図面や城主家系図等の他

僅かだが発掘された櫓や橋の瓦や木片が展示されていた。

ただ、それでも展示スペースが余るようで

日本各地の名城の写真も飾ってあったなぁ… …

上越は日本でも有数の豪雪地帯だという。

高田城も、そろそろ雪に埋もれているかもしれない。

 ←展示品

 ←駐車場横の時計

 ←極楽橋

 本丸跡碑

 


上越の旅 サービスエリアで食事

2011-12-13 20:41:30 | 2011年 国内の旅

ここ何年か、12月初旬に両親を連れて旅行に行っている。

昨年は伊勢、その前は奈良、その前は山梨…

今年は、母が墓参りを兼ねた旅行にしてほしいといってきた。

ということで、行き先は1泊2日の冬の上越と決まった。

 ←駒ケ岳SAの『ソースカツサンド』

それにしても、愛知県から上越までは高速を使っても遠い。

行きは、駒ケ岳SAと妙高SAで休憩を取った。

帰りは、新井PA(ハイウェイオアシス)と梓川SAで休憩した。

1泊2日だから、食事はホテルでとった朝夕の2食以外、行き帰りのSAでとる事になった。

 ←行きの妙高SAで『特大穴子天丼』

帰りの新井PAで『背油ラーメン』→