天の気まぐれに対抗しようとしてさした折り畳み傘は15センチしか伸びなかった。叩いてみても無理に力を込めても、どうしても駄目だった。どこかにのびしろを置いてきたのだろうか。気が動転した時は、あり得ないような記憶も掘り下げてしまう。
「もう捨てれば?」
代わりの傘をさして帰れと女は言った。置き傘はいくつもあったけれど、僕は気がすすまなかった。
(させないことはない)
委縮した傘を突き上げて帰り道を歩き出した。普段と同じように普通に雨は凌げそうな気がした。すれ違う人の視線にも特に違和感は感じなかった。少し歩いたところで腕が痛くなった。ずっとまっすぐにさしているからだ。寝かせたり傾かせたりすることができない。やはりいつもとは違って、さし方のバリエーションがなさすぎた。
突然、天空からの攻撃が激しさを増した。とんとんと歩が上から連打する。角銀が斜めから急襲してくると思ったら、続けて二枚竜が横から襲いかかってきた。もう腕がつりそうだった。陣形に隙ありとみてかさにかかって攻めてきたのだ。
(投了もやむなし)
一瞬、あきらめの霧が頭上を覆った。
傘の柄に左手を添えたその時だった。
今までどこかに隠れ込んでいた傘棒が伸びた。同時に僕の手も伸びて自由が利くようになった。あきらめはどこかに消え、頭上には強固な銀冠の守りが復活した。封じられていた飛車角銀桂が駆けつけて大さばきを開始した。もう怖いものはなくなった。
(攻防ともに憂いなし)
振り飛車陣の理想型を前にして、敵は既に戦意を失っているようだ。
香は一つだけ浮き上がり、余裕で空をさした。
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