眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

助走ギター

2009-09-17 20:59:40 | 猫の瞳で雨は踊る

伏せたままじっと動かない犬に、女は何度も話しかけていたが、犬は一向に説得に応じようとはしなかった。
紐を持ち上げようとしても、大きな犬は、ぴくりとも動かなかった。
何度も信号が変わり、渡り人たちが入れ替わり、彼女たちの前を通り過ぎていった。
ごく何人かの人たちが、時折彼女に声をかけた。あるいは、犬に声をかけ、その大きな背を撫でる者もあったが、犬は何も言わず、何も反応を示さないのだった。


交差点の対角線上の場所で、少女はランドセルを置き煙草の自販機の前に座り込んだ。
対岸の動かない犬を、じっと見つめていた。
いつからああしているのだろう……。
粗大ゴミ有料です。
ランドセルに貼られた紙が、風にはためいていた。
少女は、行進をする蟻たちにそれを千切り与えながら、お話を始めた。

彼女はお腹に小さなギターを抱えていたのよ。
彼女はちょうど私ほどの大きさだったのよ。
「ギターは弾けるの?」
私は彼女にそう訊いたの。

蟻たちは行進の妨げとなる紙くずに一瞬驚いたり、戸惑ったりしながらも、規則正しく餌を運んでいた。
けれども、時折間違えて、少女の落とした偽の餌に騙されて腰を折る蟻も中にはいたのだった。

彼女は言ったの。
「玩具のギターじゃ弾けないわ」
彼女はいつもお腹にギターを抱えていたのよ。
けれども、それは玩具だったのね。
ねえねえ、聴いてるの。

蟻の一匹が、少女の話に足を止めた。その後の蟻が足を止めて、その後の蟻が足を止めた。その後の蟻が足を止めて、その後の蟻がまた足を止めた。そうして蟻の行進は停滞した。蟻たちはみな足を止めて、少女の話に耳を傾けた。

「大きくなって、本物のギターを弾けたらいいね」
私は、何も知らなかったの。
彼女はいつまでもそのままだった。
私はどんどん大きくなってしまったけれど。
いつの間にか、彼女はいなくなってしまったわ。
いつの間にかね。

少女は紙くずを千切り終えた。蟻たちは、押し黙ったまま少女の話を聴いていた。紙くずに腰掛けたりして聴いている者もいた。紙くずの下に隠れて潜んでいる者もいた。ただ、何匹かの蟻は首を傾げていたりもした。

私が弾いてやるんだ!

少女は、そう言って胸に抱えた空気をかき鳴らした。
振動に触れて、蟻たちは歩き出した。今までの遅れを取り戻すかのように忙しなく歩き出した。
千切り捨てられた紙くずは、風に舞って飛んでいった。


新しい女がやってきた。
それは今までとは違う女だった。
なぜなら、あれほど頑なだった犬が、瞬間立ち上がったからだ。
犬は、大きく目を見開き、女に笑いかけた。今日あったことを、何から何まで話した。
と、少女は思った。
「待っていたんだぞ。ずっと、キミを、待っていたんだぞ」
大きな犬は、女の顔に飛びかからんばかりに鼻先を近づけながら、言った。
最愛なる再会を見届けて、少女は立ち上がった。
犬たちと反対の方向へ、時々振り返りながら歩いていった。

*

「ねえ、それで。
その少女はどこへ行ったの?」
けれども、猫はもうすっかり眠りに落ちていて何も答えなかった。
長文を書き終えた後の猫は、いつも決まってこうなるのだった。
夢中を覗き見るように、マキはそっと猫の額に顔を近づけた。微かに寝息だけが聴こえた。

「これでしばらく、これは私のものね」
猫の手から奪い取ったケータイに、そっとつぶやいた。


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