眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

難しい将棋(隙のない将棋)

2022-01-15 06:29:00 | 将棋ウォーズ自戦記
・序盤が難しい

 将棋は序盤が一番難しい。戦法に関する定跡書はいくつも存在するが、複雑な変化を覚えきることは難しい。丸暗記したとしても指し手の意味までも理解できていなければ、ちょっとした変化で応用が利かない。うろ覚えならばむしろ知らない方がいいくらいである。歩の突き方1つでも話は違ってくるので厄介だ。定跡が絶対に正しいということはなく、時代によって解釈や結論が変わってくることも少なくない。定跡を捨ててゼロから考えることは可能か。そんな姿勢はロマンがあるが、そもそも手がかりがなさすぎて難しい。相手に合わせて動かしていくことは無難だが、いつも同じばかりでは面白味に欠ける。序盤だからとゆっくり構えていると酷い作戦負けになってしまうし、気合いを入れて攻めすぎると動きすぎとして咎められたりもする。終盤は詰将棋によって鍛えることができるが、序盤はどうすることもできない。


・中盤が難しい

 将棋は中盤が最も難しい。
 序盤は定跡から学ぶことができるが、形勢互角以降はどうすればいいというのか。互角の勝負。「これからの戦い」なんて言われても、一手一手がまるでわからないではないか。仕掛けなければ始まらない。下手に動くと撃沈される。最善形辺りを行ったり来たりしていると千日手になって「つまらない将棋」と揶揄されたりもする。中盤の難所。そこでは先生たちの手も止まる。1時間に1手も進まないことはざらだ。何を重視しどこへ向いて進むべきなのか。一手の遅れが命取りとなる。方向を見誤れば勝負どころを失ってしまうことになる。ずっと先までみないと正しいことはわからないとして、そんなに先まで見通せるものか。


・終盤が難しい

 将棋はとにかく終盤が難しい。いくら詰将棋の問題を解いたとしても、実戦は詰将棋とは違うのだ。飛車で王手すれば相手は何で受けるか。金なのか銀なのか、駒台に何があるのか、実戦は常に合駒問題を解いているようなものだ。王手をすれば逆王手をあびるかもしれない。実戦では攻撃に専念することができない。常に自玉の状態が不安である。実戦の終盤はだいたい時間がない。時間がない中で上に上にと逃げ出されると大慌てだ。詰めろをかけて一手勝ちと思っていても安心できない。詰めろ逃れの詰めろみたいな手をあびるかもしれない。王手で種駒を抜かれてしまうかもしれない。序盤から駒の損得を大事にしてきたのに、終盤は速度の方が大事だって。だいたいいつからが終盤なのだ。言ってくれないとわからない。簡単に価値観を切り替えられるものか。よい将棋なら、ちゃんと勝ちたい。詰将棋と違い今始まった問題じゃない。ずっと最初から大事にしてきた将棋なのだ。大事にしてきたものが、一手のミスで吹っ飛んでしまう。負けるのは恐ろしい。恐ろしくて、時間がなくて、疲れている。千日手含みの粘り。「もう一局だって?」



・強くなるには

 序盤と終盤ではまるで別のゲームのように感じられる時がある。だけど、強い人ほど序盤から終盤までまるで1本の糸でつながっているうようにみえるから不思議だ。
 強くなるためには、盤数をこなすことが大事ではないか。ちゃんと考えることが大事ではないか。だけど、これは現実の人間には少し矛盾した課題のようでもある。効率的に考えることは必要かもしれない。
 個性を磨くことも大切ではないか。
 得意な形、好きな形をみつけること。
 一局を通して好きでいられるものがいい。

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