ワット・プラ・マハタート1
菩提樹の樹の幹に埋もれ、微笑をたたえる仏頭がある。
ここでは、仏頭の写真を撮る時は、立ったままでもよいが、自分たちがいっしょに写る時は、仏頭を見下ろすことになるので、必ず座らなければいけない。
警備員がいて、違反するとすぐブザーをならし、フィルムを没収する。
ここまで徹底しているのは、ビルマとの戦争で落とされた仏頭に、戦争で犠牲になった人々への鎮魂の気持ちも重ねられているのではと、胸が熱くなった。
仏塔は仏舎利を納めるために作られたもので、基礎部分から発見された貴重な宝物は、現在、チャオ・サンプラヤー国立博物館に保存されている。
遠くを見つめている目が、何かを訴えているようですね。
くまさんが、感慨深そうに立っているのが、とても印象的です。話しかけるのを、遠慮してしまうような、今日のくまさん、そんな感じです。
くまくん・・・ 悲しいね。
ビルマ軍が落とした仏像の首に、長い年月をかけて、菩提樹が幹をのばして、こういう姿になったそうですが、世界的にも、ここだけだそうです。
>suzroさん
ほんとうに、今日も、世界のどこかで、戦争による犠牲者がでているのですよね。
いつになったら、悲しい人間の所業がなくなるのでしょう。
>Donnさん
犠牲になった仏頭はこうして奇跡的に残ったけれど、同じ時期に犠牲になった人たちの命が蘇ることはありませんでした。
遺跡に立つということは、栄枯盛衰を見ることですが、弱い立場の人々が犠牲になったということを常に忘れないことでもありますね。
仏像って感慨深い物が有りますね。
自分ほぼ無宗教なのですが、
手を合わせたくなる場所って有りますよ。
◆
戦争とは愚かですが、その上で文明の発達や、
営みが有るのを忘れないようにしたいです。
仏頭を転がしたのは人間、それを、菩提樹が幹で包んだ自然の力、自然に抱かれなければ生きていけない人間の日々の営みです。
私も、無宗教ですが、タイで信仰心の篤い人々にふれていると、自然に謙虚な気持ちになってきます。
信仰以前の人間の心の中味だと思います。