Teddy Bear’s Diary

自作のテディベアの写真で、絵本を読んでいくようなページをつくりたい

世界遺産シリーズ第4集切手

2015-03-31 | テディベア

世界遺産シリーズ第4集の記念切手を貼って、松山中央郵便局の記念印を押したお便りがDonnさんから届きました。

 

中から出てきたのは、

 

新幹線つばめシリーズ800の記念切手を貼って、北陸新幹線(長野・金沢間)開業の記念印を押した細長い封筒、

 

封筒の裏側にはつばめシリーズ800のイラスト、その封筒から出てきたのはつばめ号車両のカード、

 

カードは一部ひらくようになっていて、そこに記念切手を貼り、記念印を押してくださっています。
切手と封筒とカードと記念印が新幹線でコラボされていて、すてきです。

 

満開の桜の絵はがきには、第3回国連防災世界会議の記念切手を貼って、記念印を、

         

チャーミングなオードリー・ヘップバーンの絵はがきには、

 

海外の世界遺産シリーズ第4集の切手を貼って、記念印を押してくださっています。
封筒の世界遺産はストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群、絵はがきのはプラハ歴史地区です。
今回はこれ以外に、カナディアン・ロッキー山脈自然公園群、イスタンブール歴史地区、ハロン湾がありました。

 

「羊毛フェルトアニマル展」の案内はがきが同封されていました。
Donnさんも動物たちを出展予定なので、見に行くのを楽しみにしています。
Donnさん、ありがとうございました。



 

家の前の「こどもの家」の園庭の桜が満開です。 

萩博物館2-2

2015-03-30 | テディベア

夏みかんの原樹の写真です、横の説明には、次のように記されていました。
現在の夏みかんの栽培のもととなる木(原樹)は、長門市仙崎大日比にある。
この木は1,700年頃に近くの海岸に流れ着いた、見たことのないミカンの種子をまいて育てたものといわれる。
1919年、この木をもとに、早田文蔵博士が新種「Citrus Natsudaidai(シトラス ナツダイダイ)」を発表した。
1927年には、国の史跡および天然記念物に指定された。
この1本の木から萩の夏みかん栽培が始まった。

 

夏みかんを運んだみかん籠、

 

200匁(約750グラム)まで計量可能なひょうたん秤、竿秤もたくさん展示されていました。
秤から、当時の商都として栄えた歴史も甦ってきます。

 

吉田松陰を中心とした

 

幕末の萩の歴史が絵図になっていました。

 

松陰の一生が絵物語で紹介されています。

 

面白きこともなき世を面白く
中は撮影禁止ですが、稽古胴と木刀など晋作ゆかりの品々が展示されています。

 

萩ゆかりの人びと、楫取素彦、久原房之助、高島北海など様々な分野で多くの人材を生み出した萩、江戸時代の末から現代にいたる110名が一挙に紹介されています。

 

ロビーに飾られていた小萩人形のお雛さま、名前のようにとても小さなもので、今では作られていないそうです。

 

萩博物館を後にして、帰路、行きとは違った道の駅「萩本陣」に寄りました。
ここのレストラン「見蘭牛ダイニング玄」のランチ、見蘭牛(けんらんぎゅう)とむつみ豚のハンバーグが最高のおいしさでした。
箸置きをひっくり返して「大吉」の文字が出てくると、いいことがあるとのことでひっくり返すと、わっ、大吉、杏仁豆腐のおまけでした。
前日の夕食のメニューで見蘭牛を知り、おいしいローストビーフを食べた後だったので、ランチでもまたうれしい出会いでした。
見蘭牛は、昭和48年に和牛のルーツといわれている「見島牛」(父)とオランダ原産のホルスタイン種(母)を交配させて誕生しました。
自社牧場で約2年間かけて大切に育て上げられる見蘭牛の肉質は、見島牛の霜降りと、和牛原種の濃い旨味を引き継ぎ、ほどよい柔らかさと、しっかりとした食感をあわせ持ち、肉本来の旨みを楽しむことのできる萩の特産牛肉です。
「萩本陣」には松陰記念館も併設されていて、道路に向って、松陰をはじめ志士たちの銅像も建っています。
新山口駅でミイーさんと別れ、新幹線で広島に帰ってきました。
ミイーさんのお車のおかげで、快適な旅を楽しむことができました。
萩の旅日記は今日で終わりです。

萩博物館2-1

2015-03-29 | テディベア

「花燃ゆ大河ドラマ館」を見た後、ホテルに置いていた車で「萩博物館」に向いました。
建物自体が静かに萩の歴史に浸れる場所の佇まいです。

 

レストランでお茶をして、ゆっくりと館内を巡りました。

 

特別展「海を拓いた萩の人々~日本漁業近代化の先駆け~」をしていたので、そちらから見学です。

 

まず、入口で、実物の櫓の大きさにびっくり、

         

明治19年(1886)に作られたダイナミックなポスターにもびっくり、

 

缶詰のラベルの斬新さにも目を奪われました。

 

大漁旗、

 

ふぐの延縄(はえなわ)漁の鉢とカムロと呼ばれる釣り針、

 

長年記されてきた操業日誌、萩市越ヶ浜の阿部靖治さんが荒天で漂泊しているときでも几帳面な文字で状況を記録しています。
海を拓いてきた人たちの豪胆でありながら緻密繊細な活動実態を伝える貴重な資料だと説明文に書かれていました。

 

めずらしい深海魚の標本、上から大小のサケガシラ、リュウグウノツカイ、アカナマダ、テングノタチです。

  

貝類の標本、

 

ザ・シェリング・バーでは、ひとり5個づつのすきな貝を選んで持ち帰ることができるようになっています。

 

ごいっしょしたミイーさんはいつでも拾えるからと、貝選びを手伝ってくださって、私だけがいただきました。
どれも直径1.5センチほどの小さな貝たち、右下の2枚貝は両方がくっついている貝殻としてはめずらしいものです。

 

缶詰のラベルが絵はがきになったグッズなどを売っているミュージアムショップです。
(明日に続く)

花燃ゆ大河ドラマ館

2015-03-28 | テディベア

「文と萩物語」花燃ゆ大河ドラマ館は、昨日紹介した旧明倫小学校の体育館で、今年1月11日から来年1月10日まで、無休でひらかれています。

 

私たちは徒歩で校舎の方から入ってきましたが、自家用車やバスは、広い正面入り口の駐車場に止めて、入場します。

 

入場するとき、文や松陰のほかゆかりの人物10人のなかから、だれか一人のカードがもらえます。
このカードを会場内の機械にかざすとアニメーションで登場して、自己紹介をし、自分の活躍ぶりを演説してくれる仕組みです。
私がもらったのは、文の夫久坂玄瑞です。

 

会場に入るとすぐに目に入るのが、文と久坂玄瑞の婚礼衣装です。

 

登場人物の相関図、歴史音痴の上に大河ドラマは時々見ているだけなので、なんとかのみこめました。

 

松陰先生の志士判定おみくじコーナーでは簡単な質問に答えると、どの志士のタイプか判断してくれます。
伊藤博文タイプでした、横の引き出しからおみくじをもらいます、上から3枚目の写真の右側のがそのおみくじです。

 

記念撮影スポットの松下村塾のセットやシアターコーナーもあり、大河ファンでなくても楽しめるようになっています。
出口に近いところに並んだ志士たちや会場内のイラストは、萩出身の漫画家桐木憲一さん(東京シャッターガールなどの作者)の手に寄るものです。

 

文の横に、桐木さんが会場を訪れたときのサインがありました。

 

訪れた3月18日には、来場者が50.000人になるかもと、入口のところでくす玉を吊るす予行演習をしていました。

 

東京から参加されたすのさんがパンフレットを送ってくださっていたので、事前学習もでき、楽しく見学できました。

旧萩藩校明倫館跡

2015-03-27 | テディベア

萩2日目は朝から小雨、雨でも大丈夫な大河ドラマ館と萩博物館を廻る予定です。
ホテルが萩バスセンターのすぐ近く、大河ドラマ館がある旧萩藩校明倫館跡も歩いてすぐのところなので、車を置いて出かけました。

 

 

 

 

 

 

 

萩藩校明倫館は、享保3年(1718年)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために堀内に建てた藩校です。
それから約130年後、嘉永2年(1849年)に現在地(江向)に拡大移転しました。
約5万平方メートルもの敷地内に学舎や武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰や楫取素彦も教鞭をふるいました。
創設より慶応3年(1867年)廃館に至るまで、前後約150年の長期にわたって藩校としての教育が行われました。
(旧萩藩校明倫館跡パンフレットより)

校舎も「大河ドラマ館」がひらかれている体育館も昨年まで萩市立明倫小学校として使われていました。
校舎内には入れませんが周囲は自由に散策することができます。
小雨のなかに佇む古い建物の風情はすばらしかったです。

 

剣道や槍道の稽古をしていた「有備館」、ボランティアの方が常駐して案内してくださいました。

 

敷地に隣接している新しい明倫小学校の校舎です。

前日、紹介してもらった居酒屋で、地元産の見蘭牛(けんらんぎゅう)のローストビーフなど、おいしい晩ご飯を食べました。
ホテルは「萩の御厨高大(はぎのみくりやたかだい)」、一人づつシングルのお部屋、8畳の和室と広縁、バス・トイレ付で、ゆっくり休むことができました。
明日「大河ドラマ館」、明後日、明々後日「萩博物館」を2回にわたって紹介して、萩の旅日記を終わる予定です。

夏みかん

2015-03-26 | テディベア

 

 

 

 

萩の街中を歩いていると、あちこちに夏みかんの木を見かけました。
萩の名産品には、良港にも恵まれているので、おいしい干物や蒲鉾などもあるのですが、私にとっては夏みかんが一番です。

 

 

 

たわわに実っているところを見るだけでもしあわせでしたが、

 

行きの道の駅「シーマート」で袋に入った夏みかんを見つけたので、宅配してもらいました。
最近、広島では甘夏みかんしか見つけられず、ママレードを昔ながらの夏みかんで作ってみたいと思っていました。
萩夏みかん祭りは5月に行なわれ、実家の母がママレードを作っていた記憶が初夏の風の吹く頃の香りとともにあるので、この時季、まだ無理かなと思っていたのが、買えてラッキーでした。

 

ふだんは多くても5個くらいで作るので、11個あった夏みかんは2回に分けて作りました。
萩から夏みかんが届いた日に、katsuraさんから甘夏みかんもいただいたので、3日続いてのママレード作りでした。
今回、夏みかんで作ってみると、皮に含まれているペクチンの量が多いのか、水分を残して仕上げても、煮魚の煮凝りのようにかたまります。
甘夏だとさらっとしているところがぷるんぷるんとゼリー状、色もより濃いようです。
左側が夏みかん、右側が甘夏みかんで作ったものです。
お味はあまり変わりませんが、甘夏みかんのを食べ慣れているので、やさしい口当たりがいいような感じがします。

萩城下の古き雛たち

2015-03-25 | テディベア

萩市役所に置いてあった散策ガイドに「萩城下の古き雛たち」が紹介されていたので、行ってみることにしました。

 

代表的な萩市指定有形文化財旧久保田家住宅、駐車場が見つからないので、一人が車に残って、別々に見ました。

 

 

 

 

 

 

 

たくさんあるお部屋に見事なお雛さまが飾られていました。
時代を重ねて大事にされてきたお雛さまは圧倒的な数にもびっくりでした。
いっしょに飾られていた市松人形もはじめて見る大きなものでした。

 

すぐお向かいにある国重要文化財の菊谷家住宅も見たかったのですが、閉館時間になってしまいました。
1日目の観光はここで終わり、予約していたホテルにチェックインしてから、晩ご飯を食べに出かけます。

香り椿

2015-03-24 | テディベア

笠山・椿群生林の帰り道、その日の朝刊に載っていた萩市役所に香り椿が植えられているというミイーさんの情報で、萩市役所に寄ってみることにしました。

 

受付の方の案内で外に出ると、ピンクのかわいい花が咲いていました。

 

一般的には椿には香りがないのですが、近年、ヒメサザンカとの交配で香り椿が生まれたそうです。
港の春(一重咲きの極小輪)のほかに、

 

 

港の曙(淡い桃色で底白ぼかし)、港の華(淡い桃色の八重咲き)の3品種が植えてありました。

 

市役所玄関前にちょうど萩循環バスのまぁーるバスが止りました。
「花燃ゆ」大河ドラマ館のラッピングバスです。
「東京シャッターガール」の作者桐木憲一さんの文さんのイラストが描かれています、桐木さんは萩出身の漫画家です。

 

喫茶店「ジャンティーク」を教えていただいて、

         

おいしいコーヒーをいただきながら、マスターとお話していると、お店にピンナップしてあった萩の絵はがきを描いているくらぬきしんさんが絵本も出版していることが分かりました。

 

手前の2冊を購入、左後ろの「リュウグウノツカイ」は、翌日、萩博物館のミュージアムショップで求めました。

 

「ぼくのまち 萩のまち」では、ネコ、イヌ、ウサギ、キツネ、タヌキ、サルなど、いろいろな動物が萩のまちを案内してくれます。
この見開きのページは、指月公園の花見と萩八景遊覧船のシーンです。
もちろん、私たちが訪れた笠山や城下町の紹介もあります。

「草木染の世界」展

2015-03-23 | テディベア

広島市植物公園で3月7日(土)から4月2日(木)まで「草木染の世界」展がひらかれています。
毎年春恒例の展示で、今年が35回目だそうです。
昨日の日曜日、katsuraさんのお車に乗せていただいて、出かけてきました。

 

展示室に入ると、草木染についての説明や

 

スカーフを染めた植物の写真、実物、染めたスカーフが展示されています。
同じ植物から抽出した染液で染めても、媒染剤によって違う発色になり、実物見本が展示されていると、草木染への関心が深まります。

 

ギャラリートークや草木染実習を指導してくださる寺田勝彦先生の作品「刻の舟」

 

katsuraさんの作品「春のPensees」

 

作品の部分と

 

袋のなか、アカメガシワを乾燥させた葉が入っていて、触れるとかさかさとやさしい音がします。

 

比治山大学の藍染講習会を受講したみなさんが3日間かけて仕上げた力作もいっしょに展示されています。

 

織り機も置いてあって、自由に織り体験ができるようになっています。
4月2日(木)までですので、お近くの方はぜひお出かけください。
萩の旅日記は、今日はお休み、明日から再開します。



 

植物公園に出かけたついでに、今年、子どもたちに贈る絵はがき用の写真を撮りました。
1枚だけ紹介します。
後姿ですがカメラを持った竹登が、ピクニックにやって来たこぐまたちに「写真を撮るよ~」と言っているシーンです。
もう、食べはじめている子もいますが、みんな、カメラ目線でしょう。
katsuraさんも私も朝早く起きて、鶏の唐揚げやサンドイッチ、フルーツなどを作りました。
ギャラリートークに参加した友だちもいっしょに、くまたちのお下がりのごちそうでのランチでした。

笠山・椿群生林

2015-03-22 | テディベア

松陰神社から、道の駅シーマートに寄り、20食限定のあら煮定食のランチのあと、笠山・椿原生林を目指しました。
駐車場のすぐ前は海、海岸線の黒っぽい石は溶岩です。

 

道路を隔てて見た椿群生林、

 

整備された散策路を歩いて行きます。

 

椿の背が高いので、

 

目の高さは幹の位置、薄茶の幹のトンネルの中を抜けて行くようです。

 

地面に目をやると、
 
 

この時季、今落ちたばかりの色鮮やかな花と日を経て茶色になった花が混在しています。

 

 

 

 

 

咲いている花たち、群生しているので、日陰の木には花が少なく、日当たりのいいところの木はたくさんの花をつけていました。

 

展望台に上ると、海と見島が見えました、手前の木は全部椿です。

笠山・椿群生林のパンフレットには次のように書かれています。
笠山の北端(虎ヶ崎)10ヘクタール(100,000平方メートル、33,000坪)の広さに約25,000本のヤブツバキが自生しています。
笠山は、藩政時代には萩城の北東(鬼門)の方向にあたるので、潘では樹木の伐採や鳥獣の捕獲を禁止していました。
そのため全山原生林の様相を呈し、大木に覆われていましたが、明治になってその禁が解かれ、大木は切り倒されて用材となり、雑木類は薪炭用に伐採されるなど昔日の面影はなくなりました。
ここ虎ヶ崎の椿も周囲の雑木と共に何度も切り払われ、切られた木々の切り株から新しい芽が伸び、雑木のなかに椿の赤い花が見られるような状態が昭和40年代まで続きました。
昭和45年、萩の椿の調査のため来萩した著名な椿の研究家の渡邊武薬学博士がこの地を訪れ、ここの雑木やつる草を切り除けば立派な椿林として観光地になることを当時の市長に助言されました。
それ以来、萩市は雑木の伐採、観光道路の整備などに力を注ぎ、現在見られる立派な椿林が出来上がりました。
平成14年8月1日に市指定天然記念物に指定されました。
(椿は萩市の花に指定されています)