Teddy Bear’s Diary

自作のテディベアの写真で、絵本を読んでいくようなページをつくりたい

けやき通り

2006-11-30 | テディベア

六本木ヒルズのビルを出ると、けやき通り。

 

おいしいチョコレート屋さんがあると聞いたんだけど....。

 

見つからないね。

 

アイスクリーム屋さんもあるって聞いたよね。

 

見つからないね。
でも、ウィンドウショッピングが楽しいよ。

 

そろそろ、帰る時間かな。
お昼に食べたおすしもおいしかったし、東京の街を見ながらのティータイムもよかったね。

 

わっ、くまさん、こんにちは。
あったかいジャケットとパンツがあるから、冬眠しないんだって。
ぼくも、しないけどね....。


電車の車内広告です。
新ウォームビズ素材"HOW"を説明する東レの広告かと思ったら、その素材を使ったジャケットやパンツを売っているイオンの広告でした。


東京シティビュー

2006-11-29 | テディベア

せっかく来たんだから、一番上まで、行ってみよう。

 

雨、やんだみたい。
わ~、東京の街が小さく見えるね。

 

東京タワーも、下に見えるよ。

 

ここのショップは3階とちがったものが置いてあるよね。
このくまさんたちも、牛さんたちみたいにパレードしてたのかな?

 

お外を見ながら、お茶したいね。
いろんなお椅子が並んでいるよ。
座ってもいいの?

 

こんにちは。
ぼくにも、お話、聞かせてください。


最上階のショップのくまたち、ビッグサイズのは、「ユナイティッド・バディー・ベアーズ」の催しで、2005年、ここ六本木ヒルズの広場にいたんですよね。
あんなに大きな輪になったたくさんなくまたち、見たかったです。


六本木ヒルズ

2006-11-28 | テディベア

六本木ヒルズだよ。
ねえねえ、雨割ってあるんだって。
うん、おもしろそう、おのぼりさんだから、ツアー申込もうか?

 

はい、10時出発のツアーは、ぼくもいっしょで6人、ガイドのやさしいおねえさん、よろしくお願いします。

 

木の間から、シンボルのばらの花が見えてるね。

 

ぼく、映画、だいすき、ゆっくり、見たいなあ。

 

雲で、東京タワーのてっぺんが見えないよ~。
こんなことって、めずらしいんだって。

 

シークレットのエレベーターにも乗ったよ。

 

屋上庭園は緑がいっぱい、お米も植えてあって、稲刈りもするんだって。

 

いろいろ案内してもらったけど、あっという間の40分。
うわさの恐竜よしこちゃんはどこ?
よしこちゃんって、母さんの名前なの。


1年ほど前、街で夫の高校時代からの友人にばったり、お茶をごちそうになりながらの話題。
彼は子どもたちが東京なので、よく出かけるらしく、六本木ヒルズの最上階のショップに、よしこちゃんという恐竜がいるという。
「うそでしょう、冗談言って」
「うそじゃないよ」
という会話の後も、冗談だと思っていた。
でも、なんとなく気にはなっていたので、ショップをのぞいてみたら、いました。


カウパレード

2006-11-27 | テディベア

「CawParade Tokyo in Marunouchi 2006」が、9月6日から10月1日まで、開かれていた。
最終日の1日に、高崎駅を出て東京駅に着くのが、午後5時、なんとか、1頭だけでも、見たい。
アーティスト他によりペイントされたグラスファイバー製の牛65体、体長7フィート、幅2フィート、展示場所は、丸の内、大手町、有楽町地区の歩道、パブリックスペース、ビルエントランス、ビル内など。

 

午後5時の東京駅は雨。
丸の内側に出てみると、駅前には、3頭が展示されている。
あっ、いた、いた。

 

雨に濡れても、元気に立っている。
この牛は、「フロムCOW」
ニューヨークからきた若者がビデオを撮っていた。

 

この牛は、「COW MAN」

 

この牛は、「productive cooperative」
駅前の展示は、この3頭、もっと、いろいろ見たかったが、雨が降るのと、旅の疲れが重なって、ホテルに向う。
時間的に見られないかもしれないと思っていたので、これだけでも見られてよかった。

 

展示された牛たちは、オークションで売られるが、ちょっと、手が出ないので、ミニサイズのフィギュアを買った。
ミニサイズは7cm×2cm×4cm、いろいろ迷って、この5体を選んだ。
2頭はプレゼントして、いま、3頭が残っている。

 

「東京コンペinカウパレード2006」の大賞受賞作は「産地直送」、「カウの造形を巧みに活かしながら、最も独創的で、最も作品としてまとまっている」と大絶賛だったという。


1枚目と7枚目の写真は、カウパレードのホームページから転載。
興味をお持ちの方は、カウパレードのページへどうぞ。


藤村詩塚

2006-11-26 | テディベア

下仁田戦争は、元治元年(1864)11月15日、水戸の天狗党と幕府から命を受けた高碕藩が戦い、高碕藩では36人の戦死者を出し、天狗党も4人の戦死者を出す激戦だった。

 

追討軍の高碕藩が本陣を構えた里見家。
里見家は明治16年に火災で焼失し、現在の建物はその後再建されたものだが、正門と土蔵は当時のままのもので、今でも土蔵の壁には、下仁田戦争の時の弾痕が残っている。

 

里見家の先代当主治雄は、旧制富岡中学校で教師に藤村の作品について学んだことから、藤村文学に傾倒するようになった。
やがて治雄は、下仁田の自宅近くに「藤村詩碑」の建立を計画、藤村からは自筆の詩文が送られてきた。
詩文にそえて、「あれは詩塚とか詩の塚とかよんでください」とあり、藤村詩塚といわれている。(左側)
碑面には、「過ぎし世を志津かにおもへ 百年もきのほの如し 島崎藤村 かつて上州かふら河のほとりを旅せし縁故より旧詩の一節をもとめらるゝまゝに」とある。

 

里見家には藤村の詩幅、色紙、書簡・はがきのほか、藤村の署名入り写真、署名入り全集などが多数所蔵されてある。
学会のシンポジュウムにも参加された里見さんが、惜しみなく、次々に出してきては、見せてくださる。

 

ファイルされている藤村からのはがきをみる会員。

 

明治8年1月、同志社英学校を開校した新島襄の旧宅。

 

安中教会礼拝堂(新島記念堂)、新島襄召天30年を記念して建設された。


ケズリバナ

2006-11-25 | テディベア

五料茶屋本陣の馬屋。

 

ケズリバナが飾り付けられている。

 

ケズリバナは小正月の「つくりもの」で、神棚、仏壇、木戸神、堆肥場、井戸神、山の神、屋敷神などに供える。
13日に作り、14日の夕方にお飾り替えをするという。

 

木は「のうでんぼう」という木や「あさがら」という木。
あさがらという木は、魔を避け、生命力が旺盛で谷地に生えているというが、黄色が強いので、この木で作ったハナを金バナとよんでいる。
篠竹の足がついているハナは、金バナ銀バナとともに、ハナを南に向けて供えるという。

 

栃木県都賀郡の早乙女幸男さんの特別出品、ケズリバナの説明もしてある。

 

他に、藁細工などもあったが、藁は五穀豊穣を意味するとのことで、各地でいろいろな形が継承されてきている。
こういう細工を、土地の人に習ってみたいなぁ。


碓氷川

2006-11-24 | テディベア

藤村の心の一端が、「故郷を思ふ心─談話」の中に、「私は仕事に疲れて身体でも養ひたいと思ふ時には、よく上州の磯部に行き行きしましたので、あんな平凡な土地のどこがよくって、さう度々行くのかと、よく人に聞かれたこともあるが、別に何も求めにいくのではない。唯あの碓氷川の水の音を聞きたくて出かけたのです。」という感想によく現れている。

 

この川の瀬音を、藤村は聞いた。

 

藤村が磯部温泉で定宿にしていたのが、旅館「三景楼」、いまは、名を変えて「磯部館」になっている。

 

中山道に設けられた宿駅として松井田町内には松井田、坂本の二宿が置かれ、箱根の関所と並ぶ「碓氷の関所」が置かれた。
松井田宿と横川の碓氷関所のほぼ中間に立つ大きな二軒の家が「五料の茶屋本陣」で、各宿場ごとにある本陣のような宿泊用のものではなく、休憩や昼食あるいは他の大通行が関所にかかっている時に、待ち時間などに利用された。

 

中に入ると、広い土間に、馬具や民具などが展示されている。

 

囲炉裏も、そのまま、残っている。
この鉄瓶の湯が旅人の喉を潤したかもしれない。

 

二階に上がると、資料館になっていて、収集物が展示してある。
古代人の食べ物のコーナー。


明治32年5月初め、北海道函館の秦ふゆと結婚した藤村が、ふゆを伴い義塾の教師として信州・小諸へ赴任する時、上野駅から乗った信越本線の汽車を途中下車して磯部温泉に立ち寄っています。
以来、昭和4年6月に後妻静子とともに、その2年前に建立された小諸・懐古園の「詩碑」を見るため、ついでに磯部を訪ねた時を最後にするまで、再々一人で、また時には兄・広助と一緒に磯部へ足を運んでいます。
「破壊」執筆の過程で愛児三人を失った哀しみの心を、また「新生事件」で傷ついた身を癒すため、身を隠すように訪ねたのが磯部でした。
磯部では、この他、友人田山花袋を伴い、また小諸時代の旧友神津猛や小諸義塾の同僚鮫島晋らと一緒に川の瀬音を聞く湯宿でのひとときを楽しんでいます。
「家」「旧主人」「芽生」「新生」などの作品にでてきます。


島崎藤村と磯部温泉

2006-11-23 | テディベア

9月30日と10月1日の2日間、島崎藤村学会第33回全国大会が、群馬県安中市の磯部温泉で、ひらかれた。
1日目は、研究発表とシンポジウムがある。
現地の有識者の方をまじえてのシンポジウムは楽しい。
夜の懇談会は、藤村の「惜別の歌」を歌って終わる。

 

2日目は、隣地研究会、藤村にゆかりの土地を巡る。
貸切バス2台で、出発。

 

温泉名物の伝統的な手焼き磯部せんべいを焼く職人さん、手さばきの見事さに、ただただ、手元を見つめる。

 

藤村は、磯部温泉に逗留するたびに、留守宅に、磯部せんべいを送っているが、この名月堂で、買ったのではないかといわれている。

 

名月堂のすぐそばに、足湯が整備されていた。

 

磯部温泉は、日本伝承5大童話の1つとされる「舌切り雀物語」発祥の地といわれ、舌切り雀神社がある。
「里人スズメと爺婆の霊を慰めんと元禄の末頃ささやかな一宇の堂をこの地に建立した」と神社縁起にあるという。

 

磯部公園は文学碑公園ともいわれ、磯部温泉にゆかりのある文人墨客の文学碑が建っている。
その一角に、日本最古の温泉記号があった....現在の地図でも、使われているデザインの源流。

磯部へ

2006-11-22 | テディベア

白根山から嬬恋村、浅間山、軽井沢町をへて、高崎駅に帰り、レンタカーを返して、普通列車に乗り換えて、磯部駅へ。
霧の中をしばらくドライブしていると、どうやら、晴れ間が見えてきた。

 

嬬恋牧場に着いた頃は、青空。

 

山女か岩魚か、こんがりといい香がただよって、おいしそう。

 

鬼の押し出し、江戸時代の天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で流れ出た溶岩で大勢の犠牲者が出た。

 

押し出し園に咲く花たち、犠牲になった人たちへの鎮魂の思いをこめて....。

 

軽井沢のレストランで、遅いランチ、ステーキがおいしかった。
軽井沢を出て、一路、高崎駅へ、磯部駅へ。


白根山

2006-11-21 | テディベア

朝起きて、地図を広げて、どこに行こうか相談する、白根山に決定。
白根火山ロープウェイ乗り場、あいにく、霧がでてきたので、乗るのをあきらめる。

 

バスの停留場、殺生河原って、なにか、いわれがあるのだろうか?

 

建物が霧のなかに浮いているように見える。

 

濃霧に包まれてなにも見えなくなったかと思うと、一瞬の、晴れ間がある。
左に見える道を登っていくと、山頂の火口湖湯釜が見える。
直径300m、水深30mの美しいエメラルドグリーン。

 

オヤマリンドウが咲いている。
自然教室の人たちといっしょに、説明を聞く。
ヤマハハコも咲いていた。

 

レストハウスの一角に、白根山に住んでいる動物たちがパネル展示されていた。

 

ニホンツキノワグマの食べ物。
同じくま科でも、テディベアの自分とくらべて、違いにびっくりするくま。
蜂蜜は、だいすきだけどね....。