Teddy Bear’s Diary

自作のテディベアの写真で、絵本を読んでいくようなページをつくりたい

ムアンタム遺跡2

2006-05-08 | 

 

 

 

ピマイ遺跡は後日アップの予定だが、パノムルン、ムアンタム、この3つの遺跡を巡ることにより、クメール文化の特徴(3つの遺跡の共通点)を実感することができ、独自の設計思想をもった古代クメール人のゆたかな想像力も計り知ることができる。
遺跡を後にするとき、美しい花(バタフライなんとか)が見送ってくれた。
遺跡を下って山を後にするときも、山に上るときと同じく、バスはぷっぷっぷとあいさつの儀式をした。


朝市3

2006-05-03 | 

 

 

 

 

朝市で働く女性たち、みんな生き生きと輝いている。
1枚目の写真の後で、オレンジ色のベストを着ている人は、タイ名物のひとつといわれているバイクタクシーの運転手さん。
後のシートに乗せて走る。
通勤ラッシュの時など、車の間をすいすい行くが、事故もかなり多いらしい。


朝市

2006-05-01 | 

 

   

 

 

朝市に出かける。
歩道にずら~と、野菜、果物、魚、肉などの市がたっている。
横道の路地にもあるが、メインは、車道に沿った歩道で、縦に長く続いている。
豊富な食材、料理がおいしいのが肯ける。


ナイトバザール3

2006-04-30 | 

お供えの花飾り、すべて生花で、ていねいに作られている。
かわいくて、清潔感がある。
あの暑さの中で、すぐに、萎れたりしないかと心配になるが、ふしぎにそういう状態のを見なかった。

 

ナイトバザールからの帰り道、象さんが歩いてきた。
おじさんが持っているのは、象の餌、これを観光客に買ってもらって、象に食べさせる。
近代化の波をもろに受けて働く場のなくなった象は、自分の食べるものをこうしてでも得なければならない。
人間に家畜化され、その人間の勝手で、行き場のなくなった象たちの未来....すこしでも光あれと祈るしかないのだろうか。

 

女性の英雄(名前を覚えられなかった)が祀られている。
みんなに慕われ、願いがかなうといわれており、夜遅くまで、信者、お供えの花、ろうそくの火が絶えることがない。


ナイトバザール2

2006-04-29 | 

 

 

働く女性たち、3世代。
カラフルなのは、一口で食べられるお菓子、ひとつづつ、とてもていねいに扱っていた。
西瓜は、氷で冷やしてある、よく熟れていて、おいしそう、包丁さばきが小気味いい。
竹の葉で包んで蒸したお餅のようなのは、まだ、たくさん残っているけれど、数えているお札を見ると、結構、売れたようなので、一安心。


古典舞踊

2006-04-27 | 

 

 

ナコンラチャシマのホテルで、郷土料理の夕食を楽しみながら、古典舞踊を見る。
このシマタニホテル(シマが地名、タニが町という意味)は、今回の旅で唯一5つ星で2連泊する。
舞台では、最後に、観光客もいっしょに、さよならダンス。


アユタヤ11

2006-04-26 | 

 

象に乗って、遺跡の周囲を巡ることができる。
遺跡の全体像が見られるのは魅力的、20分ほど。
ただ、熱中症直前状態で、炎天下の象の背中はつらいので、冷房のほとんど効いていない、でも、外の条件よりは天と地ほど違う店のなかで、象に乗った人の帰りを待つ。

1枚目の写真のすぐ右側が、象の背中の高さにに合わせて作ってある乗降場、階段を上がって、乗せてもらうようになっている。
たくさんの象が働いている。
2枚目の小象は、初歩的な芸の練習をしているような感じ。
象さん、おつかれさま。

これから、バスで3時間半あまり、アユタヤからタイの東北地方のナコンラチャシマ(旧コラート)へ向う。


アユタヤ3

2006-04-18 | 

 

 

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン2
高さ72mのチェディ(仏塔)は、街のどこからも見える。
第20代の王ナレスワンは、ビルマの支配下にあったアユタヤ朝からビルマ勢力を駆逐、その記念に、ビルマが建てたアユタヤ郊外のワット・プー・カオ・トンにあるチェディより高いものを建てようとしてできたという。