暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

母の半生

2013-04-30 22:30:54 | 日記


去年5月に連休明け、母は救急車で入院した。

ひと月ほどの入院で、それからの1年、母の体調は良くなかった。

電車、バスには、乗れない。

シートに直角に座っていられないからだ。

4月9日に母を見舞ったとき、母の額の腫れに気づいたことは、前のブログに書いたが
その診察の結果、腫瘍は病理で悪性であることがわかった。

病院には、この1年、いつも弟が車で、付き添ってくれていたが、去年からお世話に
なっているこの病院を受診する予定の今度の2日間は弟の都合が悪いので、車はないが、
私と姉とで付き添うことになった。

病院で診察の時に先生に母の経過を話すのに、頭の中で時系列で整っていないので、
弟からこまめに報告を送ってくれていたメールや私の手帳を見ながら、さきほど
エクセルにまとめた。

この1年、母は、辛い毎日だったろうと、入力しながら考えていた。


母は今年89歳になった。

からだもとても小さくなった。


80代になってからも、孫たちが学校の長期の休みの際に、滞在しても、世話をして
くれていたし、私と孫たちとが待ち合わせをする場所にも連れてきてくれたり、
迎えに出てきてくれたりした。

羽田空港に孫を送りに行ってくれたこともあった。

一人で暮らすことを望んだ母に従って、お望みのように私たちは、離れたところから
見守っているが、母が丈夫だったことに、私たちは頼り切っていた。


私がアキレス腱を断裂して手術をしたときも、手術中に何か重大な決断を家族が
しなければいけないことが生じたとき、手術室の外に家族が待っていることが
必要だった。

私は、夫だけで決断できないことがあったら、と 母にも病院にいてもらうことを
頼んだ。

2008年のことだ。


手術した病院でなく、近所の整形外科でリハビリをしたいと、お願いした時、
理学療法士もいないクリニックでリハビリは無理だと気づいたので、
母にもクリニックに来てもらって、話を聞いてもらった。

いつも頼りにしてきた。


これから、あと何年一緒にいる時間を持てるかわからないが、親離れのできない子供を
持った母が、幸せな生涯だと思ってくれるだろうか。


母に、こう聞いたことがある。

「今までの人生で、一番楽しいと思って過ごした時期はいつのころ?」

答えは、

「結婚する前に独身で働いていた頃」

だった。


苦労ばかりの半生だったろうか。

子供がいて、楽しかったと思った日もあったろうか。

生まれ変わったら、違う人生を送りたいと思っていると思う。


これから母の望むことをいくつも叶えてあげたい。




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