暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

喘息

2019-08-27 20:04:52 | 健康
4歳から小学生のあいだ、私は小児喘息だった。

喘息の発作を起こすと、幼いときは、近所の内科に、母が連れて行ってくれて、夜でも診てくれた。

だいたいは、注射をして、発作が収まったかどうかはあまり記憶にないが、冬の夜、医院に行くと、真っ赤なガスストーブがついて、お医者さんのところには、立派な暖房器具があって、暖かいものだなあとお金持ちの家に感心していたのを覚えている。

小学校2,3年のころに、旧大日本製薬のメジヘラーイソというステロイドの吸入器を使うようになった。

こどものころから、続けて吸入してはだめよと、言われ、発作が激しいと、吸入をしても、咳は収まらなかった。



中学生になると、発作はほとんど起こさなくなった。

喘息だったことは、ブログにこれまでにも書いてきた気がする。

子供時代、成長過程、加齢の年代、などを経て、現在、63歳になって、医薬品の製造メーカーでは、薬品を使用していた患者の追跡調査に興味がないだろうか、と かなり前から、私自身の情報を提供してもよいのだが、と思っていた。

メジヘラーイソは、吸入には、副作用があって、決まった回数以上に使用したりしては、心臓に負担がかかり、動悸はもちろんだが、極端な話、死に至る場合もあるという。

最近になって、ネットで見ると、メジヘラーイソは、平成12年11月に販売中止になっていた。

定量噴霧バルブの異常で、回収する事態があったこともあり、その後、噴出のガスにフロンを使用していたことも中止の要因らしい。

販売中止なら、もう、追跡調査などは、製薬会社も興味を持ってないだろうなと、会社に追跡対象患者として名乗りをあげるのも、意味がないだろうと思うので、行動に移すのはやめた。


私は、病気やケガを様々体験して、いつか病気は治るもの、治すもの、そして元気になって普通の生活に戻れるもの、という意識がある。

とはいえ、障害を克服してパラリンピックに出るほどの人たちの、前向きな意欲、勇気、努力、執念などを、リオのパラリンピックの前にEテレでかなり放送していたのを観て、実に感心していた。

なので、TOKYO2020のパラリンピックは、チケットの申し込み受付が始まったので、申し込みをした。


一生のうちで、2人に1人ががんになると、テレビで言っている。

人間は、病気やケガから、逃れることはできない。

ここには、詳しくは書かないが、私は20代から治療を受けている病気がある。

それとは別に手術も2回している。

初めての手術は怖かった。

でも、手術を終えて、回復室に一晩いて、大部屋にもどったとき、手術の傷もまだまだくっついてもない時期だったが、この程度の痛みなら、いますぐ、胃の開腹手術をしますよ、と言われても、私は受けられるなと思った。

人間、痛みはいつか収まるものなのだ、と知ったからだ。

話があちらこちらにブレたが、病気は自分に闘う気力があったら、何歳でも手術や治療に挑むと思う。

投げたりはしない、と今の私は思うのだ。
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ニンニクと唐揚げ

2019-08-21 18:42:21 | 料理

母が晩年、惣菜や調理の素などを買ってきて、と電話してきて、いろいろと買って持って行った。

持って行ったあとで、電話がかかってきて、

「ニンニクがあるから持ってって頂戴。」

というのだ。

ニンニク?

ニンニクなんて買っていってないのに、なにを言っているのかよくわからなかったが、ともかく実家に行った。

母が、

「これ、ニンニク、私食べないから持って帰って頂戴。」

と言って、見せたのが、キムチ炒飯の素だった。

キムチがニンニク臭いだろうから、いやだということらしい。

もちろんまだ調理に使ってない、封も切ってないものだが、袋の記述を読んだのだろう。

それにしても、母がニンニク嫌いだとは、なんか記憶になかった。

餃子もよく作ってくれたし、、、、でも、それは、ニラで、ニンニクは入れてなかったかもしれない。

そこで、本題は、私は鶏の唐揚げが大好きで、頻繁に作る。

でも、母が作ってくれたことはなかったから、おふくろの味ではないのだ。

ネットのレシピの味だ。



それで、母がなぜ鶏の唐揚げを作ってくれなかったか、考えると、父が鶏肉が嫌いだったからというのもあるが、それでも私たちには作ってくれてもよさそうだが、たぶん母の鶏の唐揚げは食べたことがないと思う。

父が夕食にいない日に、鶏の料理をしてくれたが、いつも、もも焼きだった。

母が唐揚げを作らなかったのは、ニンニクが嫌いだからじゃないだろうか。

そして、私が唐揚げが好きになったわけは未だにわからない。

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人の振り見て・・・

2019-08-13 21:57:05 | 日記

きのうは、横浜の関内ホールに、春風亭一之輔の落語を聞きに行ってきた。

落語のことは、ま、今日は良いとして、落語は知的な娯楽だな、と思ったと書いておく。


今日書いてみようと思ったのは、その帰りの電車の中でのことだ。


去年の初詣の車内のおばあさんのことを、乗客観察で書いたことがある。

貴婦人が、社内で食べたり飲んだり終点までずっとむしゃむしゃ、ごくごくが、まったく頂けないな、という出来事だ。

このときから、私は車内で飲み物をごくごく飲むのはやめた。




すいた車内に座った若者が、立て続けに大あくびをした。

まったくの無防備の様子で、おそらくこの日は眠かったのだろう。

何度も何度も大あくびをしていたのだが、口に手を当てるでもなく、うつむくでもなく、噛み殺すでもない。

それを見ていて思った。

大あくびを晒すのは醜態だということに気づいた。


うちの恥のことを書くことになるが、家庭では、父はあくびをするときは、いつも無防備な大あくびをしていた。

そういうことは小さいころから、家族の様子を真似て、私も家庭では大あくびを無防備にする習慣だった。


でも、向かいの席の青年の姿を見て、良識ある乗客ならば、公衆の面前で大あくびは頂けないなと思ったのだ。


若いころ、病んでいて、母と電車に乗った時、おそらく病院に診察に行くのに、母が付き添ってくれたのだろう。

私は薬のせいで眠かった。非常に眠くて、あくびが止まらなかった。

母は私に、「口に手を当てないの?」と聞いた。

「何度もあくびが出るから、面倒だから手は当てないの」

と、屁理屈を言った。


だけど、電車の青年を見て、やはり大あくびは、公衆の面前でするものではないなと、やっと気づいた。

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