暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

度忘れ

2013-04-12 18:35:31 | 日記

新卒の頃、勤めていた時からの年上の友人と2年ぶりくらいでランチをした。

お互いの近況を話す中で、大学生の甥がサークルで行っているボランティア活動を
説明するのに、私が大学生だったころあった社会福祉活動の言葉を度忘れ。

「カタカナ3文字、なんだったっけ?」

出ない。

言葉が出ないと、落ち着かない。

40年くらい前に大学にあったサークルの一種で、地域のこどもたちに学校を離れて
子供会のように大学生が勉強や遊びで援助する今でいうボランティア活動のような
ものを、言いたいのに、言葉が出てこない。

そこまで話しても、友人もわからないとすると、友人の大学にはなかったのだ。

姉の大学にもなかった。

その言葉が出てこないことで、神経質な私は話に気持ちが入らない。

「本屋行こうか」

と、調べに行こうかということになり、店を出たところで、それは遠いから、
あ、そうだ、図書館がある、と、近くの図書館に行ったが、どうも適当な本が
見当たらない。

パソコンもない。

機械検索で、本を探すがそれもいい検索方法もみつからない。

こんなとき、パソコンがあれば一発なのに・・・。

で、駐輪場の時間も迫ってきたので、解散して、うちで調べてメールすることになった。

私のケータイはネットをしないことにしている。(追記)

急いで自転車をこいで、自宅に着くや否や、パソコンの電源を入れて検索。

すぐわかった。

「セツルメント」

略称「セツル」


だった。


度忘れの多い年齢になってしまった。


家では、一日中パソコンをつけているので、わからないことがあるとすぐパソコンで調べる。

インターネットとケータイがない時代に育ったのに、もうそれらがないと生活に不自由するように
なってしまった。

人と待ち合わせするのも、電車で所要時間を考えるのも、すべて、頭で考えて、人と打ち合わせて
無事会えたり、遅刻することなく目的地に到着できたりしたものだ。


わからない言葉があって、図書館に行って、それでわからないというのも、我ながらお恥ずかしい。

ネットでなら、すぐに出るというのにだ。


で、結局、友人に「セツルメント、セツル」とメールしたが、

「聞いたことがある言葉だけど、私たちの学生時代にそんなサークルあったか分からないな」

という返信だった。

そうなのだ。

セツルは、ない大学の人にはどんなものかもわからないが、セツルがある大学では、生協の
壁などに入会者の募集のビラがべたべたとたくさん貼ってあったので、どんなものか
想像がつくのである。

結局、セツルということばがわかっても、今日の友人との話のひとつで、だからどうでもないのだった。


去年、姉とこの話をしようとしたときも、「セツル」が出なかったのだ。


また、次にセツルの話をしようとしたら、忘れているんだろうな。



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