暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

韓国ソウル 梨泰院 群衆雪崩

2022-11-01 18:13:25 | 日記

写真はネットからの借りものです


韓国ソウルの梨泰院の群衆雪崩の事故で、150人超の方たちが亡くなった。

群衆雪崩は、日本での事故で、明石花火大会の歩道橋事故をすぐに思い出した。

調べると、2001年7月のことだった。
21年も前のことだった。
幼い子が、多数の人に踏みつけられ、背中に大人の靴の足跡が残されていた悲惨な事故だった。

歳を取ったせいだろうが、21年も前のことが、数年前かと勘違いするほど、近い過去に思い出され、強烈な印象だったのだと驚く。

人がこのように集中してしまうのは、国を問わず、みな、同じ目的に共感して楽しい気分を味わいたいという人間の心理によるものなのではないかと思う。

このたびの梨泰院では、事故後2日経って、群衆の中で、「押せ、押せ」という声がしていたという証言が報道されるようになってきた。

悪意のある人の、故意に人を押すことがなかったら、もう少し犠牲者が少なくて済んだのではないか。

悲しい事故を忘れない。

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平日、週末、祝祭日

2022-08-20 15:58:12 | 日記

土曜日にも郵便配達がなくなって、週末は2日間、郵便がない。私は郵便が大好きなので、配達がないのは寂しい。



ゴミ出しのカレンダーでも、土日は収集が何もない。



夕刊は土曜日の配達はあるが、それだけのためにエントランスの郵便受けに行かなくても良い、と夫が言うので、用事がない週末は、土日の2日間、まったく部屋を出ないこともたまにある。



それに、今は、コロナ禍で、外出自粛を最重視して、買い物の回数を極力減らし、部屋で過ごしていることが多い。



いつもと違うテレビ番組を観ながら、早く平日にならないかなぁと思いながら土日が過ぎると、月曜の朝が来て、あー、やっと日常に戻った、と思う。

ところが、その平日もあっという間に5日間が経ち、また週末になってしまう。

このブログにも何度も何度も書いてきたことを書くので、ご迷惑な話だが、本当に、時間が過ぎるのが速い。

2020年の初めにコロナが感染拡大し始め、もう3年目の夏を過ごしている。

中学生、高校生は、コロナの中、入学し、もう来春は卒業する生徒さんもいるはずだ。

青春時代は、いつの年代の時も、振り返ると懐かしい思い出が蘇るし、未だに 50年前の高校の仲間とよく集まっている。

そんな貴重な年月をコロナで失った若者が気の毒だ。

私たち、高齢者は、感染予防のために、極力 外出自粛して巣ごもり生活だが、1週間、1か月がどんどん過ぎていく。

外部との接触もあまりなく、LINEで、親戚、友人と連絡を取り合うことが、交信手段で、電話で話すこともあまりない。

夫と、いることに 困っていないので、私はこの生活も怠惰で、まあそれなりに毎日を過ごしているが、
友人には、夫と1日中二人というのはとても居られない、必ず外出はしたい、という女性もいる。

あと何年、コロナが続くのだろうか、映画も観に行きたいのになぁ、と思う。

旅行も、この状況では行きたくない。

人によって、外出についての意識が、万人それぞれなので、感覚が違うが、私は、人ごみには行くべきではないと思っている。

夫が、基礎疾患があるせいがもちろん大きい。

でも、コロナの病気自体を軽視している感覚は、少々理解しがたい。

コロナでなくても、時が、ビュンビュン過ぎていくのだ。

氷河期が来てしまって、建物の中だけで暮らしているドラマを去年だったか観たが、外気に触れないように地下生活をしている話とか、なんかSFでそういう未来の図を見た気がする。

だがパンデミックのこの生活も、世界史に残るような、恐ろしい年月だ。

年金暮らしで、ありがたく暮らさせてもらっているが、若い人は、この環境の中、働かなくてはいけないので、ご同情申し上げる。

以前のジョージアのCMであった「世界は誰かの仕事でできている」というコピーが、本当にそうだな、と思う。

高齢者になって、過去の労働の見返りに、働かなくても生活できるように社会が回ってくれている。

残りの年月を、漫然と生きない努力をもう少ししてみよう。

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ひとりで入院の叔母

2022-01-13 20:33:53 | 日記

80代の未亡人の叔母Yが一人暮らしをしている。

再婚なので義理の息子は離れて家族と暮らしている。

年明けのある日、叔母Yはトイレで下血をして、たいへんな血の海になり、びっくりして 自分で救急車を呼んだという。



休日だったので、受け入れ先がなかなか見つからず、小さな老人病院に運ばれて、4日間入院したそうだ。

洗濯物も干しっぱなしで来てしまった。

 


トイレに行きたくて廊下を歩くと、倒れたりしたらいけないので看護師を呼ぶように言われて、おしめをして、排泄をおしめにしなければならなかった。

救われたのは、病院食が美味しかったのだそうだ。




退院してから病院の外来に行くにはいつもタクシーになる。

徒歩圏内は徒歩で行っているが、バスで行くような通院はいつもタクシーに乗ると往復5,000円ほどかかってしまう。

医療費の支払いは、後期高齢者で1割負担だが、交通費のタクシー代のほうがどんどん出ていくと言っていた。


叔母Yは埼玉に住んでいて、叔母Yのすぐ上の姉、叔母Aは栃木に住んでいる。

介護保険の認定をしてもらうときも、その叔母Aが世話してくれたそうだ。

叔母Yは、叔母Aに世話になるのが悪くて心苦しく思っているようだった。

普段の食事も、スーパーやコンビニでお弁当を買うことがあるようだが、美味しくないという。

冷凍食品もよく買うそうだ。

食事の用意も、だんだんできにくくなってきたのだと思う。


うちも子供がいないので、介護認定されていれば、ケアマネージャーにいろいろと相談するしかない。

身内に世話になるのは、たしかに、申し訳ない気持ちになると思う。

日本の制度が、家族で支えないといけないようにできているので、高齢者も安心して歳を取れない。

叔母Yを見ていると、今から将来のことが不安だ。

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未亡人のYouTube

2022-01-09 10:58:50 | 日記

60代の未亡人がどのような暮らしをしていくのか、自分に置き換えて考えるととても心配だ。



YouTubeで、「60代」 「未亡人」 「遺族年金」 などと検索するとそれらに該当する遺族年金暮らしの女性の動画がいくつも出てくる。



暮らし向きはさまざまだ。

夫が個人事業主だったために、遺族年金は遺族厚生年金がなくて、自分の老齢基礎年金で生活していかなければならず、60代半ばでも、3つもパートを掛け持ちしている女性がいる。

また、オシャレなマンションに暮らし、素敵な料理をこしらえて、ひとりで食事を楽しんでいる裕福な遺族年金暮らしの女性がいたりする。

車まで持っている。





視聴者が多いので、どちらの人も、YouTubeからの収入があって、副収入になっている。

夫の死を乗り越えて、みな前向きに暮らしている。

私は一人になった時のことを考えると、恐ろしい。

食品と日用品の買い出し以外に、表に出ることもなく、だれと話すでもなく、料理と掃除だけして、テレビがいつも点いていて、新聞もとっていても読まない。

そんな不健康な生活をしていて、元気な高齢者でいられるわけがない。

病気になったらどうする?

倒れたらどうする?

子どももいないのに。

いや未亡人の人の中には、よく訪ねてくる娘夫婦にお小遣いをあげている女性もいる。

子どもや孫がいたら、出費は多いに違いない。

でも、張り合いはあるか、生活に潤いがあっていいかもしれない。


そうこうしているうちに、お昼ご飯の用意をする時刻になってきた。

コロナ禍で、みなひっそりと暮らしているのだろうと思うが、この状態はいったいいつまで続くのだろうか。

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やり切った感はあるか

2021-11-18 17:35:15 | 日記

2011年3月まで、OCNの日記のサイトでホームページを持ち、2003年から書き綴っていた。

OCNの日記は閉鎖されることになり、猶予期間があって、OCNの関連サイトの2つから選び、引っ越しができるようになっていた。

このgooのブログは、一般の人が誰でも引っ越せて、もう一方のサイトは、OCNのアドレスを持った会員ではないと、引っ越せないサイトだったと記憶している。



そして、gooでそれ以来お世話になっている。

夕方、YouTubeのチャンネル登録をしているユーチューバーの動画を観ていたら、あることを話していて、興味深く聞いていた。

その方は、高校で硬式テニス、大学でラクロスの部活に入っていて、ときどき辞めたいと思うことがかつてあった時、仲間や先輩、コーチ、顧問に相談をしたのだそうだ。

その時、よく言われるのは、
「やり切った感はあるか、今 辞めて後悔はないか」
という言葉だったそうだ。

やり切ったと思うところまでやれば、辞めたとしても悔いはないが、途中で辞めて振り返って、辞めなかったほうがよかったかな、と思うことになるくらいなら、もう少し続けよう、という思想を持ったという。

それは、仕事でも、YouTubeでも同じだという。

この方は起業してカメラの輸出を個人でしていらっしゃる。

そして、ユーチューバーだ。

私も、2003年から始めたブログ、当初は「日記」と呼ばれていたが、これを細々とでも、書き綴っていくことを辞めずにいたら、なにか見えてくるものがあるかもしれないし、時折読みに来て下さる特定の方への近況のご報告にもなる。

また、私自身の備忘録でもあり、大切に続けていきたいと、そのかたの動画を観ていて思ったのだ。

私はYouTubeを始める気持ちはないが、古典的なブログではあるけれど、少しは誰かのお役に立てたり、関心を持って下さる読者の方に、細々、続けていく意義はある。

ブログに関して、やり切った感は、まだない。

まだ、続けていこうと思っている。

また、読みにお越しくださるようお願いいたします。

コメント (2)
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