暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

日本史

2012-03-31 15:41:13 | 日記
大河ドラマや時代劇を見ていると、自分に日本史の知識がないのを痛感します。

高校のころ、日本史、世界史は、さっぱり面白くなくて、ただただ中間テストと期末テストを乗り切るだけの
勉強の仕方をしていました。

だから、知識がつくわけもなく、興味がないから、せっかく覚えたことでも、大人になって
覚えているはずがありません。


今、大河ドラマは、「平清盛」を放送しています。

視聴率は極めて低いようですが、私は興味深く見させていただいています。

しかし、今書いたように、基礎知識がないのが本当に残念です。


そこで、●会の高校生向けの日本史の通信教育を受講し始めました。

教材は、夫が退院したあとで、テンションが下がっていた時に、宅配ボックスに届いていました。

無理のないように、月に2回の添削の軽い方のコースにしました。

最初に、テキストと自習用の問題集が送られてきました。

手に取ってみると、学生時代のわくわくする気持ちを思い起こさせてくれました。

2回分の課題も同梱されています。


数日で、自習分をかたづけ、1回目の課題を解きました。

翌日、自転車でポストまでうきうきと出しにいきました。


その後、次の回の分も自習して、続けて2回目の課題もかたづけました。

買い物に行ったとき、ポストに入れてきました。

4月20日が提出期限のめやすになっているものでしたが、はやばやと、出してしまいました。


1つ出し終わったとき、ネットで、●会の自分のサイトにログインして、1回目の提出した課題の
正解と解説を読みました。

論述が不十分でした。

2回目の課題を投函したあとは、2回目のほうは、ネットでも調べましたが、論述もよくないですし、
見直しが徹底していなくて、ケアレスミスをしていました。

次は、もっとネットでよく調べ、よく考えて、つまらないミスをしないように気を付けようと思いました。


大人になってから、高校時代の勉強をするのは、新鮮で、かつ40年経っているので、歴史的な
遺跡の発見があったり、有力な考え方が変わってきていたり、昔の知識は現在では通用しないものもあります。

それに、私は勉強をしていなかったので、用語の読み方を初めて知ったものがたくさんありました。

また、ほかの言い方に変わっているものもありました。

日本の稲作は紀元前5世紀から始まっていました。

ちょっと驚きませんか。

来年の3月まで、完走したいと思っています。

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腎臓科

2012-03-29 18:47:16 | 日記
退院時、夫は、「慢性腎臓病」と診断され、たんぱく質と塩分を抑えた食事療法を
摂ることになり、料理係の私は、薄塩の味付けと、動物性たんぱく質の抑えた食事を
用意する毎日です。

退院後に、栄養士の方による栄養指導を受けました。

たんぱく質は60gまで、塩分は6gまで。

牛乳は100mlまで。豚肉60g、鰺60gです。

緑の濃い野菜はたんぱく質が多いので、一日一回まで。

そのような指導をされ、料理の本のご紹介をお願いすると、「腎臓病食品交換表」という
参考書を教えていただいて、病院の売店で購入し、帰ってきました。

食品は計量しましょう、ということなので、朝、昼、夕、間食と、食品の分量をそれぞれ、
ノートにつけています。

制限が過ぎると、栄養失調になってしまうから、ご飯180gはしっかりと
摂ってください、ということでした。


退院後10日以上たちます。

工夫してきたつもりでしたが、きのう水曜日の腎臓科の検査結果では、クレアチニンも
改善されておらず、腹部エコーでは、腎臓がいびつになっているので、長いこと、
腎臓が悪かったのでしょう、と診断されました。

3食気を付けて作っていても、こういう状態で、検査の結果が出る前までは、
食事療法の効果を楽しみにしていましたが、そう、うまくはいかないのだと
知りました。

クレアチニンは「1」前後の数値を上下していても、それは、誤差範囲の程度で、
よくなっていたりはしないのでした。


これから、長ければ20年以上も、食事に注意して作り続けるわけで、大変そうですが、
しかし、それも薄味は慣れていくらしく、私もその薄味料理を食べています。


腎臓は薬で治せないので、食事療法は絶対必要なものだそうです。

これ以上、腎臓に負担をかけない食事を続けて、今の状態を維持していければと
思っています。
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帰ってきました

2012-03-17 23:06:24 | 日記
雨でした。

夫の傘を持ち、カラのリュックを背負って、8時00分のバスに乗って、病院に行きました。

退院の日です。

部屋に着くと、夫は笑顔で待っていました。

食べ終えた朝食の食器がお盆に載っています。


9時に退院の会計の受付が始まるので、それまで荷物を詰めて、帰宅の準備です。

9時まで時間がありますが、早く行くことにして、カーテンがしまった入退院の受付の前で
ソファに座って待っていました。

会計が一番に済むと、また病棟に戻って、会計で発行された退院証明書を見せて
部屋に帰って待機です。

6日前からさっきまで、この病室で役立っていた小物などが、次々とリュックや紙袋に
おさまって、姿を消していきます。

しばらくして、看護師さんがいらして、退院手続き後の処理として、腕に綴じ付けてあった
名前のバンドを切ります。

そして、退院後の栄養指導の日と次回の診察の日など連絡事項の再確認があって、
部屋に忘れ物がないか、看護師さんが点検されて、退院となりました。

「お世話になりました」

このあと10時半に、今日の勉強として残っていた、透析室の見学があります。

「それまで、くつろいでいてください」と看護師さんが去っていきます。


時間をつぶすように、二人でおしゃべりをして、旅先の宿から出るときと
さほど変わらない出発の前の過ごし方です。


荷物を全部持って、透析室に移動し、少し早い時刻でしたが、声をかけました。

教育ビデオで聞いた透析の話を、看護師さんが、パウチに用意されたカードを使って
また説明してくれます。

それから、実際にベッドで横たわって透析されている患者さんのところで、解説を
聞きながら、見学させていただきました。


終わって、警備員さんのいる入退院口から、傘を持って、ふたりで病院をあとにしました。

数日分の食品と減塩しょう油を、すぐそばのスーパーで買い、次の行き先は、回転寿司です。

シャバに出て、したいこと。

おいしいものを食べることです。

夫にとって、今、食べたいものは、刺身です。

塩分と量に気を付けて、寿司をほおばり、1時間に1本のバスの時刻を気にしながら、
控えめに食べました。


こうして、「帰ってこれるかなぁ。。。」と夫が心配した生涯で初めての入院は、
無事終わりました。

うちについて、荷物をかたづけ、なにごともなかったような日常にもどっていきます。

違うことは、今夜の夕食から、減塩、低たんぱく、低脂肪の食事作りになることです。

鶏むね肉となす、人参、玉ねぎをクミンシード、ターメリック、チリパウダーで炒めた
料理を塩を入れずに作りました。

ヘルシーな食生活に切り替えて、健康体に近づけるよう、食品すべてに気を配って
いこうと思います。


おーっと、お見舞いを送ってくれた母に、退院の報告の電話をしました。

健康が一番だと、思った日でした。

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明日の退院

2012-03-16 22:37:18 | 日記
明日は退院です 

入院からのこの5日間はお天気がよかった  ので、お見舞いも自転車で行かれて助かりました。

退院だというのに、明日は雨  です。

土曜ダイヤのバスの時刻表を印刷して、準備したので、朝早くからバスで迎えに行ってきます。


夫は、入院中、さびしかったようです。

その上、退院前日の費用概算が出て、夫はショックを受けていました 

個室の料金が高いのは、もちろん了解済みですが、検査費用が高かったのか、
部屋代以外の医療費がかなりかかったことが、思った以上だったらしいです。


以前に、私が、アキレス腱断裂で、入院、手術をしたとき、請求された金額が、
かなりの額だったとき、母に、
 「こんなにかかったーーー、お金がないぃぃぃぃい」
と、こぼしたら、母が
 「あんた、お金はこういうときに使うものよ」
と、言っていました。


夫にその話をしましたが、なんか、入院したこと自体を後悔していました。

動脈硬化が手足にもあったことが検査でわかり、食生活を改善していかないといけないと
わかったことだけでも、収穫だと思うのですが、そういう割り切りかたはできないようです。

総合病院なので、入院中に、日頃、からだのあちらこちらが調子悪いところを
他科でも診てもらって、治療してもらえたら、という希望もあったのです。

ところが、入院した時の先生からのお話で、
 「検査のとき以外は自由に過ごしていて結構ですが、風邪がはやっていますから、
  外来のほうへはいかないでください」
と、言われたということです。

退院したら、今度は、肩や背中、腰、ひざが痛いのを整形外科で、頭が圧迫されてるような
感じがするので、脳神経外科へ、とお医者さん回りをすることになります。


今日は、6時近くまで病室で一緒に過ごし、自転車に積めるだけ積んでたくさんの荷物を
持って帰りました。

夫の帰宅に備えて、今から、部屋の掃除をします。

明日からは、食事の内容に注意を払って、塩分をおさえて、たんぱく質も大量に摂らないように
まじめに作ることを肝に銘じます。
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ほっ!

2012-03-16 10:34:33 | 日記
おととい、病院から帰ると夫から電話があり、朝の血液検査の結果で、クレアチニンが正常範囲に
入った、と報告がありました。

ただ、検査では、足にも動脈硬化があるということです。

クレアチニンが下がったのは、腎食を続けていたおかげだと思います。

教育ビデオで見たような、計量して調理、ということまでは、しなくてもよい、塩分、たんぱく質の
摂取に気を付けるようにすればよい、と先生からお話もあったようです。

ほっといたしました。

夫も、薄味の料理には慣れた、と申しています。


さて、きのうもお見舞いに行ってきました。

面会受付票に記入するために行列に並ぶことも覚えたので、待合室で座ったりせず、その日は列の
先頭に立ちました。

でも、受付のまわりに人があちこち立ち始めましたが、常連が少ないのか、列になりません。

受付の年配の女性も、見舞客の質問に、「3時5分前くらいから受け付けますのでお待ちください」とは
言っても、「お並びください」とは、伝えていません。

あれれ? みんな、知らないんだろうな、並ぶって・・・。

私が来たころから、少し離れたところに見舞客とおぼしき年配の男性が立って待ってる。

そう思って見ていましたが、私が行って教えてあげるというのも妙なので、視線だけは
送っていました。


すると、これまでのように、私のうしろに列ができてきました。

その年配の男性は、気づいたのでしょう、受付のところに行って、

「並ぶのなら、そう言ってくれたらよかったのに。早くから来ていたんだから。」

そのようなことを話しかけているのが、遠くから声が聞こえてきました。

もちろん怒っています。

受付の女性が、何と答えたのかはっきりとは聞こえませんでしたが、

「あちらで記入していただくので・・・」

その辺のことばだけは聞こえました。


受付開始の5分前頃になると、警備員の男性ふたりが記入台を設置に現れ、そのつぎに受付の女性が
受付票の入ったバスケットを持ってきました。

私は記入台に近付いて、自分のペンでささっと書いて受付に行くと、もう数人、受付に出して
ここでも列を作っています。

そら、やっぱり、列をここから作るという表示か受付の人の案内があってしかるべきだなと
思いました。


はやばやと、病室に着いて、このできごとをいっきに話しました。

夫の反応はたいしてなかったですが、やっぱり受付は不親切だと、私も思いました。


そして夫のお風呂についていき、脱衣所の椅子にすわって、夫が病院の図書室で借りた本を
読みながら、待っていました。

病室に二人で帰ると、しばらくして、看護師さんが、
「今日のビデオはありません。部屋を使うそうです。明日残りのビデオを3時半に見てください。」
というわけで、その日の教育ビデオの勉強会はなくなりました。

また、暗くなる前に退室して、自転車で帰りました。


帰宅すると、夫から電話があり、
「退院は、土曜日(2012年3月17日)になったよ」
と、嬉しそうに話していました。

1週間と思っていたのが、6日間に短縮になり、腎臓も心配するほど悪くもなさそうで、
とりあえず、「ほっ!」というところです。

今日も、自転車でお見舞いに行ってきます。
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