暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

「とんび」を見て

2013-03-17 23:26:26 | 日記

TBS日曜劇場の「とんび」最終回が終わりました。


私の父のことを考えていました。


7年前に他界しましたが、私たち姉弟がみな所帯を持ったあとは、父は寂しかったろうと
思います。


父はすぐすねたり、むっとしたり、怒ったり、子供のままでいた人でした。

実家には私たち子どもがだんだん寄り付かなくなりました。

慕っていなかったのかもしれません。


入院していても、私たちは自分の生活を優先していました。

時間を作って、たまにお見舞いに行くことはあっても、1日中付き添うということは
ありませんでした。


母が、無理して来る必要はない、とよく言っていたことに、従っていたというか、
甘えていました。


父は、仕事をしていたころから、ワープロをよくしていました。

パソコンがどの家庭にもあるようになると、少し遅くパソコンを買いましたが
Windowsはよくわからないようでした。

インターネットも、メールも利用していましたが、わからないことがあると、パソコン屋さんや
近所の詳しい方に尋ねていたようでした。

「○○(juliemiddyのこと)に教えてほしいんだ」

と、言っていました。


私は、父が家で元気にしていたときも亡くなる前も、ずっとフルタイムの仕事を
していたので、実家へ たまの休日をつぶしていくことは、身体的にきつかったため、
足が遠のいていました。


父と二人で一度中国に旅行に行ったことがあります。

父はひとりで海外へ旅行することが多かったのです。


国内も海外も、父と二人で泊りがけの旅行をしたのは、その1回だけでした。


そのことが父はうれしかったのか、離島に住む姉の所へ、一緒に行きたがっていました。

「一緒に行きたかった」というのは、別々にひとりずつ姉の所へ行って世話になったあとから聞きました。


私が30代の頃、婦人科の病気の手術を受けたので、実家近くの病院に入院した後、しばらく実家に世話に
なることにしていました。

でも、父は、入院中は私の夫を、実家では、静養している私を傷つけるようなことを言うので、
早く自分の住まいに引き揚げました。


「とんび」の父親像は、情が深いひとです。

息子も登場人物がみな情が深い人たちでした。


うちは、父も、私たち家族も、みな情が深くありません。

ドラマを見ていて、そのことが頭に浮かんだのでした。





人気ブログランキングへ

にほんブログ村 主婦日記ブログ アラ還主婦へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする