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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

こだわり

2015-08-31 08:24:26 | 日記
 毎週1回ハワイ育ちの米国人が英会話のレッスンに来てくれている。日が暮れた後の会社の会議室で1時間半、数人がワイワイやる。全てのアメリカ人が先生と同じ考え方をするわけではないと理解しているが、彼の「これはこうあるべきだ」というはっきりした考え方に触れて気持ちがいい。

 平成に入ってすでに27年経つ。職場の社内向け演説や政治家の演説は別にして、生活のあらゆるところで「こうであるべきだ」という頑固な考え方に出会う機会はほとんどなくなってしまった。

 顕著なのは「男はこうであるべきだ」だから「自分はこうであるべきだ」と考えるような、生き方の「こうであるべきだ」はもう全く聞くことがない。昭和の時代にはまだそんな考え方がゴロゴロしていて、戦後20年が過ぎた頃にも「おれは男だ」とか「男たちの旅路」などというテレビ番組が放映されていたりして「男はこうあるべきだ」その近くにいる「女はこうあるべきだ」と毎週教えてくれていた。

 例えばプロジェクトマネージャのあり方や職場の先輩社員のあり方などについても、昭和の酒場では「こうであるべきだ」と盛んに論じ合われたものだった。最近は自分自身が自分自身に向けて「こうであるべきだ」と考えることは大切なことだが、それを人に強要すべきでない、と考える人が普通になっている。そのために役職や業務にも様々なスタイルがあって一概に「こうであるべき」とは言えない、という空気が強い。

 こういう相対的な、多様性を積極的に認める物の見方は結局自分自身の規範を失わせ、弱い人物を作り上げてしまうような気もするが、考え過ぎだろうか。にしても、「そうではない。こうであるべきだ」のような意見にはほとんど出会わなくなった。そんな折、アメリカ人の英会話レッスンで、絶えず「そうではない。こうであるべきだ」と聞かされる。不思議と気持ちがいいのである。

 そう言えば大学生の頃、私は第一外国語にフランス語を選択していてフランス人のご婦人にフランス語会話を教えてもらっていた。先生はおそらく今の私ぐらいの年齢だったろう。当時は今のように禁煙や分煙の風潮は進んでおらず、学生ものべつ幕なし至るところでタバコを吸っていた。先生は若者がタバコを吸うことに反対の立場を取っていたため、校舎の端にある教室に来るまでの間、どこかでタバコを吸っている学生に出会うと(フランス語で)「ここでタバコを吸うのはおやめなさい」と諭すのである。そのために授業の開始が遅れることがままあった。自分の持っている「こうであるべきだ」をはっきり主張する先生だった。あちこちで摩擦は起こしていたようだがクラスの中ではその毅然とした態度が大人気だったのを覚えている。

 「こうであるべきだ」を強く主張し、しかもそれが心地よく聞こえる人たちに共通しているのは、何に対しても一生懸命なことだ。自分の軸をしっかりと持っており、そういう自分であるために絶えず努力をしている。相手を否定するわけではなく「こうであるほうが良いだろう」だから「こうであるべきだ」と前向きに相手を説き伏せるのである。多少周囲と摩擦は起こすかも知れないが、とにかく元気がいい。だから、つい応援したくなる。

 確かに多様性の時代である。色々な考えがあっていい。だが、だからと言って、どっちでもいい、何でもいい、どうでもいいと言われ続けると、ちょっと萎える。(三)


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株式会社ジェイエスピー
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