自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

中学学習発表会 午後の部(体育館)

2015年03月15日 | 自由の森のこんなこと
学習発表会から卒業式へ


中学校長 中 野  裕


3月11日、中学校の学習発表会があった。朝から夕方までの濃い1日だった。9時半から音楽ホールで、午後は体育館で、これまで学んできたことをいろいろの生徒が発表する。あの子がこんな人になったのかということを、あちこちで感じる場面がたくさんある。


中学学習発表会 午後の部(体育館)


午前中の最後は、中3の「森の時間」の発表があった。私も少し関わったので、テーマ学習のひとつ「自由の森の心を知る」の話を紹介したい。

今年は自由の森学園が「現出」してから30周年となった年。30周年を祝う大きなイベントには卒業生もたくさんやってきたし、卒業生と在校生とが直接関わっての企画もたくさんあり、その場を通してさまざまな出会いが生まれこともあって、この学校の生徒たちの中にも自由の森学園がいったいどうしてこの世の中に「現出」したのか、原点に立ち返る空気があちこちにあったように思う。
中3の人たちもそこに関心を持った人たちがいて、その企画が立ち上がったことを知り、学校が出来上がるための一連の動きなど、私の知っている範囲で話をしたりもしてきた。そんな話をしていると、自分の中に貯めてきたことが整理されたり、いろいろのつながりを感じたり、あるいはまた確かめ直す時間にもなってきた。

数十年前の島小学校(群馬)、巨摩中学校(山梨)などでの教育研究の場で、当時の明星学園(東京)にいた遠藤豊さんらと実践交流があったり、遠山啓さんとの関わりの中で、明星学園が「点数を排する」実践をするようになったこと、しかしやがてそれは中学から高校へ上がる際に「内部進学テストを導入する」という否定につながり、そのほかにもたくさんの出来事があるのだが、それらのことによって自由の森学園をつくる人たちが、明星学園を辞めていく。
明星学園の生徒たちや卒業生たちは、かつて自分たちが経験してきた「理想の授業」をつくるために、自主的に「寺小屋学園」を開く。子どもたちが教師を呼び、一方通行の講義にならぬように積極的に考えを述べたりする場にするために、いろいろな議論をしてきた。そこが、自由の森学園の誕生をきっかけに閉じることとなる。

2012年の2月4日に、自由の森学園を創立したひとりでもある松井幹夫さんが亡くなった。その年の6月に学校で「しのぶ会」を行ったが、その場への参加をお願いしに「寺小屋」に松井エイコさんを訪ねた。そこで語ってくれたたくさんの思いと、「自由の森の心を知る」チームの人たちと、何が何でも引き合わせてつなげたいという衝動を持った。
訪問日は偶然松井幹夫さんの命日であったが、その日に自由の森学園の生徒さんたちをここに迎えることができることが嬉しいと言っていただく。当事者のひとりでもあるエイコさんが伝えてくれた「本当の本物」の話やその出会いは、私たちの強烈な経験となった。消化するにも時間がかかるが、本で読む話を越えてずっとリアルであった。

このチームのまとめ方や煮詰め方に、わりと近いところで触れてきた。私にとって、ありがたい贅沢な時間となった。そんな時間に出会うと、やはり触発される。その場で言葉が出なくても、天気のよい日だまりでたまたま出会って「なかのさ、話そうよ」と声をかけられていろいろの話も聞かせてもらっている。このチームだけでなく、1年生の人たちの経験してきた時間と、それをいま、どうとらえようとしているか、そして次の1年をどうつくっていくかということや、2年生の人たちが3年生になっていく瞬間を、いろいろ目の当たりにしている。1年前はこういう課題を抱えているなと思う人たちが、どんどんやわらかくなっていく。まさに変化していく場面に立ち会えることは、本当に幸せなこと。

今年の学習発表会の日は、4回目の「3月11日」となった。あの日は、中学校の卒業式の前日で、体育館には卒業式の準備のために1・2年生がたくさんいた。激しい揺れが起こって、当時の中2だった生徒たちが逃げ遅れた1年の子たちを外に誘導する。「首根っこつかんで避難させてた」という話もあとで聞いた。その人たちは先週、高校を卒業していった。

あの日以降、地震が生んだ大きな破壊は、いまの時代を生きている人たちの価値観さえ、揺らがせているのだと思っている。やがてはどこかに収束するのだろうけれど、いろいろな「正しさ」に対する「安心」だとか「安全」への信頼が揺れ、壊れた施設と制度を守ろうとするしがみつき方に本当に失望したり、あきらめてへこむのではなく、新しい価値観を探ろうと、いろいろな人が自由の森学園の教育を確かめに来てくれているようにも感じる。「教育」に対する考え方について、人が育ったり生きていくために必要なものとして「学校」という場がどうあるべきなのかを、私自身が想像し直さなければならない4年間でもあった。その根っこになっているのは、この学校にいる人、ここをつくっている人、ここを卒業していく人の表情や姿、それまでの関わり方にある。正しい教育の姿というのではなく、この学校の確からしさをここにいる人たちが映し出しているから。

卒業式は、明後日。何をしゃべろうかと、いろいろ考える。何を伝えるかを自分で決めることでもぞもぞしてるけど。
卒業、おめでとう!
2015年3月12日




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中学学習発表会 展示(ごく一部)

2015年03月15日 | 自由の森のこんなこと
展示されているものを見ると、この人がここに関わっていたのか、とか、え、この人も?と、その人への知らなさに、自分の見えなさや足りなさを実感じてしまいます。

午前の部が終わって外に出て、例の「絵」を見にグラウンドに行くと、ありましたー。ナスカの非常口。



昼休みの時間もあまりなく、展示されているもののひとつひとつをちゃんと見れないまま、午後の部を迎えます。
(つづく)



自由の森学園中学校 学習発表会 展示作品


なかの。

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中学学習発表会 午前の部

2015年03月15日 | 自由の森のこんなこと
3月11日(水)に、中学校の学習発表会が行われました。
年度末の過密なスケジュールの中、自分たちが学んできたこと、感じてきたことを、中学校全体で共有します。



会場となった音楽ホールには中学生だけでなく、高校生や保護者の方も発表を見に来てくれました。例年満員になるのですが、今回はそれを上回って超満員の状態。「よっこいせ」の合図で座っている人みんながお尻をずらして詰めていきます。

午前・午後のステージ発表と、各教室での展示からなる学習発表会はかなり盛りだくさんな内容で、到底1日では見尽くすことのできないほどのものでした。
(つづく)


午前の部(音楽ホールでの発表)


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なかの。

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