自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

白熱の高校集会で議論されたこと

2007年01月19日 | 自由の森のこんなこと
久しぶりに高校集会がありました。
議題は2月末に行われる学習発表会のつくり方です。

実行委員会では何を発表の対象とするかについて議論され、全体に向けて二つの意見が発表されました。

3年のNさんの意見は授業外の多様な学びの成果も発表対象としたいというものです。
授業のみが学習ではない、授業の周りある日常と授業の学びは「となり合わせ」だと語ります。
一方でS君は、一つ一つの教科をより明確に浮き立たせるために、従来行われてきた音楽、展示、クラブ発表などの授業外の発表をやめたいと主張しました。

対立点は明確なのですが、僕が大事だと感じたのは、双方とも授業での学びを重視する点では全く違いがないという点です。枠を広く取りたいとするNさんも、「好きなものだけをやる」という参加の仕方については否定的です。

S君は多様な発表を盛り込んだことによって「出し物会のような行事」になっていると言います。これに対して、Nさんは何でもありではなく、ある基準をもって対応することで、そのためだけに作られたものを回避できると話します。

冷気の中の体育館でしたが、質問の時間も含めて集中した時間が流れていました。

おにざわ


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遠山啓は超過激?

2007年01月19日 | 自由の森のこんなこと


「私が自由の森学園に入学する前の中3の時、父親が『自森に入る前に遠山啓という人物を知っておきなさい』と私に言ってボロボロの新聞の切抜きを読まされたのが、初めての出会いでした。」


社会科研究室の昼、レポートをもとにした発表の準備のため、高校3年生がひっきりなしにやってきます。後期の授業は全て生徒のレポート発表で、毎日その打ち合わせが行われています。


 見学者を連れて自由の森学園を案内する機会が多いので、何度か教室で発表を聞くこともありました。


 冒頭に引用したのは「遠山啓」をテーマにレポートを作成して昨年発表したS君のレポートの冒頭部分です。彼はこう続けます。

「みんなは遠山さんの存在すら知らないのが多いと思う。そう、この自由の森という環境の中にいても、影すら感じなくなっている。下手すりゃ一生出会えないかもだ。それはマズい!!
せっかく素晴らしい考えをもっているんだから、大学受験だの就職だの卒業できるかなぁ?とか、自森を変えたいとか頑張っているみんなの助けや力に役立てるんじゃないかと思ったからです。ということで、今回は遠山啓という一見静かそうだけど、言ってることは超過激な人物の紹介と、遠山さんの点数序列観と競争原理について調べました。」


 お父さんから手渡された資料は1979年1月17日から朝日新聞で連載された遠山啓と灘高の勝山校長との16回に渡る往復書簡でした。20数年経ったのに論点は今もって新鮮です。


 79年と言えば、共通一次試験が始まった年です。彼は書簡の中でこれに対して「一元的で縦隊的思考法をたたきこまれた子どもたちがやがて日本の担い手になる」と危惧しています。何を隠そう、僕はこの数日後に初めての共通一次を受験しています。競争の教育に漠然とした違和感を感じつつ、しかし、それに変わる教育の考え方が新聞紙上で語られていることなど知らずに。


 遠山さんはこの年、亡くなります。確か9月11日だったか。

おにざわ

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