中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

ジャッキー・チェン「酔拳」の詩

2015年09月30日 | コンサルティング

ジャッキー・チェンの映画はどれも好きなのですが、なかでも「ドランクモンキー 酔拳(1978年)」は私の一番のお気に入りです。どういうお話かはDVDを借りるなりしてご覧になっていただくとして、なかなか興味深いシーンがあります。それは、主人公の黄飛鴻(ジャッキー・チェン)が酔拳使いの師匠・蘇化子(スー・フアチー)と酒を酌み交わす場面です。

師匠がジャッキーに「学校へは行ったか?」と聞くと、ジャッキーは「はい。」と答えます。

すると師匠は詩を口ずさみながら杯に酒を注ぎ、飲み干します。

ジャッキーはその詩を続けながら自分も一杯飲みます。

こうして二人は、また一杯と飲んでは「学校で習った」と思われる詩を楽しそうに掛け合います。そして、最後にジャッキーは詩を口にしながら酔いつぶれてしまいます。

この詩は8世紀の詩人・李白の「將進酒」と言います。中国では学校で習うほどですから、古典中の古典です。以下、前半だけですが引用します。

君不見黄河之水天上來
奔流到海不復回
君不見高堂明鏡悲白髮
朝如青絲暮成雪
人生得意須盡歡
莫使金樽空對月
天生我材必有用
千金散盡還復來
烹羊宰牛且爲樂
會須一飲三百杯

(訳)
君には見えるか黄河の水が天井から降ってきて
海へと奔流し二度と戻らないさまが
君には見えるか、高堂に住む富貴な人も鏡に自分の白髪頭を見て
朝には黒髪であったものが夕べには真っ白になるのを悲しむ姿が
人生をありのままに受け入れ大いに楽しむがよい
黄金の酒樽を空しく月に向き合わせていてはならぬ
天が私という才能を生み出したのは、必ず役に立つところがあるからだ
千金は使い果たしてもまた戻ってくる
羊を煮て牛を料理し歓楽を尽くそう
必ず一度に3百杯は飲もう

なんとまあ、お気楽な詩なのでしょう。こういう詩を学校で教えるところに中国文化のふところの深さを感じます。(ただし、残念ながら、この映画の日本語訳または日本語の吹き替えは、この詩とは違う内容になっています)

さて、「天生我材必有用」(天が私という才能を生み出したのは、必ず役に立つところがあるからだ)というところに私は感銘を受けました。「材」という言葉は、日本では材料、材木のように単なるモノを表すときに使われますが、実はこの詩のように「生きている才能」というのが本来の意味です。

最近、人事部を人財開発部という名前に変える企業が増えているようです。「人財」ですから、人を宝として大事に扱うという意味を込めているのでしょう。

しかし、「財」は貝偏(かいへん)であることに注意するべきです。貝偏は、貨幣・財産に関する文字を作る部首です。財政、財務、財宝など、要は金銭的価値を表すものです。人の価値を金銭で表す「人財」を私は好きになれません。

人は「材」であるべきです。弊社は人材育成社と言います。日本中の会社が「人財部」になっても「人材育成社」で在り続けます。

(人材育成社)


グループウェアは首都高速道路

2015年09月27日 | コンサルティング

グループウェアとは、企業内で情報を共有したりコミュニケーションを取ることができるソフトウェアのことです。先駆けとなったIBMのNotes(旧ロータスノーツ)を使っていたという方もいらっしゃると思います。現在は、Notes以外にもサイボウズ、Google apps、desknet'sなど様々なソフトやサービスが提供されています。

グループウェアはメールやスケジュール調整、ファイルの共有などの基本機能の他にWeb会議や社内SNS機能、決裁や業務管理を行うワークフロー機能、会議室予約などの設備管理ができる機能などを備えていることが多いようです。

基本的に仕事は複数の人間が分担して行うものですから、お互いの情報共有が上手く行けば仕事の効率は大幅にアップします。こうした機能満載の便利な環境がオフィスに導入されていれば、社内の情報共有は完璧になり、業務の流れも滞ることなどなくなりそうです。

弊社(人材育成社)も、仕事の渋滞を引き起こす原因は情報共有の失敗であるとして、渋滞解消のためのコンサルティングやセミナーを数多く行っています。

では、弊社は積極的にグループウェアの導入を推奨しているかというと、実はしていません。むしろ「グループウェアは導入しない方が良い」とアドバイスしています。なぜなら、情報がスムーズに流れる状態にある会社はほとんど無いからです。

特に中小企業の場合はフォーマル、インフォーマルいずれの情報も、ほぼ「個人所有」になっています。こうした「情報の属人化」は、社員はもちろん、社長さえも自覚していることはまずありません。

したがって、個人が持っている情報は、仕事に差し支えない(と本人が思っている)範囲でしか表に出てきません。情報を提供する側は他者、特に上位者に見られるのは嫌なものです。それをグループウェアという「強制力」で白日の下にさらそうとすれば、何が起こるかはご想像のとおりです。肝心な情報はますます「地下」に潜ってしまいます。

それでも、グループウェアを導入すると当初は業務効率は急速に改善します。

しかし、それは「渋滞学」の西成教授(東京大学工学部)のいう「メタ安定」状態です。

「メタ安定」とは、通行量の多い高速道路を時速100㎞で、車間距離を10メートルしか取らずに飛ばしているような状態を言います。首都高をイメージしていただければ良いでしょう。車同士が密集したまま高速で走っているので、道路は極めて効率的に使われているといえます。しかし、そんな状態が続けばドライバーの緊張感は極限になってしまい、ちょっとした気の緩みで大事故が起きかねません。

グループウェアの使い始めは、投資に対する効果を最大限にしないとまずいという雰囲気が生まれます。そのため、社員が緊張しながら、とにかく仕事を早く動かそうと神経を使います。コンピュータの処理能力は人間をはるかにしのいでいますから、どんどん「速度」が上がっていきます。まさに首都高のように、アクセルを踏み込んで前の車との車間をギリギリまで詰めた状態で仕事をすることになります。

そんなときにちょっとしたミスが起こったらどうでしょう。

あっという間に仕事は渋滞し、社員全員の緊張感の糸が切れていきます。その結果「なんだ、高い金を投資したの使えないじゃないか」ということになるかもしれません。

グループウェアを使ってみようと思っていらっしゃる中小企業の社長さん、ちょっと待ってください。まず、今の仕事の流れをよく分析して「仕事の渋滞」の原因を解明し、対策を打ってください。そうしないと「メタ安定⇒大事故⇒大渋滞」が必ず起こります。

ちょっと宣伝臭くなってしまいますが、弊社はそうした事例をたくさん見て、改善する仕事をしてきました。グループウェアをお考えの際はぜひ弊社にご相談ください。

秋の交通安全運動期間中です。仕事の渋滞、事故も未然に防ぎましょう。

(人材育成社)


「ルーティン」を再認識

2015年09月23日 | コンサルティング

「私の仕事はルーティンワークばかりなので・・・面白みがないんです」

先日、研修終了後に一人の受講者から相談を受けた時に言われた言葉です。

「ルーティンワーク」というと、手順の決まった仕事で発想や企画の余地がなく、つまらない仕事というイメージでとらえる人が多いのではないでしょうか。

しかし、現在行われているラグビーのワールドカップ2015で、日本代表チームの南アフリカへの勝利に大きく貢献した五郎丸歩選手のキック前のあのポーズによって、「ルーティン」の意義が再認識されるのではないかと思っています。

もちろん同じ「ルーティン」と言っても、ビジネスとスポーツでは意味合いが少々異なります。

スポーツの「ルーティン」は「型にはめた一連の動作」と定義されており、決めた動作を毎回同じスピードと順番で行うことで集中力を高め、最大の結果を得ることへつなげていくものです。

つまり、一つ一つの動作の中で自分の筋肉や関節に向き合い、調子を確認する行為の中で、自分の精神を最高の状態に移行させていく。本番の試合でも、練習の時と同じ動きを行うことで、練習時のベストの状態にまで精神状態を誘導していくことです。

したがって、どういうルーティンを取り入れるのかは大変重要であり、一挙手一投足の動作は、メンタルコーチと共に丁寧に考えながら作り上げていくとのことです。

あのイチロー選手が打席に入る前に、毎回同じ動きをすることは有名ですが、私はこれまでこのような動作を単なる「ゲン担ぎ」のようなものなのではと思っていましたが、そんなに単純なものではないということですね。

一方、ビジネスの「ルーティン」は少し意味合いが異なります。

ビジネスにおいては、効率的でない仕事や生産性の低い仕事、また、トラブルが頻繁に起こってしまうような仕事ではルーティンを決めることによって、同一の成果が期待できるというメリットがあります。

例えば、作業の標準時間を決めたり、作業手順を決めたり、チェックリストなどを用いて仕事を進めること、つまりルーティン化することで、個人による差を極力減らすことができるのです。誰でも実践できて、同様の結果を出せて生産性の高い仕事になれば、組織にとっては非常に大きなメリットがあります。

しかし、その一方で冒頭の受講者の言葉のように、個人が関与できる部分が減ることにもなることから、仕事が機械的になり、その分面白みに欠けてしまうように感じられる面も否めないと思います。

このように、ビジネスにおいてはルーティンのメリットとデメリットの両方があるわけですが、これまではどちらかというと冒頭のように、言葉のイメージはあまりよくなかったように思います。

しかし、五郎丸選手のポーズをきっかけにして「ルーティン」への関心が高まることで、あらためてルーティンの意義やメリットが広く認識され、巡り巡ってビジネスにおけるルーティンの有効性も認識されていくような予感がしています。

ところで、今回の五郎丸選手のあのポーズ、まるでお願いをしているようで何となくかわいい感じがしませんか。しばらくは、子どもたちが真似をして(もしかすると、大人も職場などで「お願い」をする場合にも)流行りそうです。

(人材育成社)


烏焉魯魚(うえんろぎょ)

2015年09月20日 | コンサルティング

烏焉魯魚(うえんろぎょ)は、四字熟語のひとつです。4つの文字の形が似ていることから、書き誤りに注意しなさいという意味です(福島みんなのNEWS 四字熟語一覧より)。 

よくある書き間違い(言い間違い)に「シュミレーション」があります。正しくは「シミュレーション」ですね。

今朝、テレビ番組のサンデー・ジャポンで、司会を務める爆笑問題の大田氏が「戦後レジューム」と言っていました。はじめは私の聞き間違いかと思ったのですが、数回「レジューム」と言っていたので間違いないと思います。

コンピュータ関係の仕事をしている方は、レジューム (resume)の意味を聞かれれば、即座に「コンピュータの電源を切る直前の状態をメモリへ一時的に保存しておき、再度電源を入れたときに、即座に作業を再開できる機能」であると答えることでしょう。

大田氏は「戦後レジーム」のことを間違えて言ったのですが、レジーム(regime)はフランス語から来ている「制度、体制」を表す言葉です。18世紀のフランス革命が「アンシャン・レジーム(Ancien régime)の打倒」つまり、貴族による支配を中心とした旧体制を倒すことであったと世界史で習ったと思います。

「言い間違い」は「書き間違い」とは違いますが、いずれの「間違い」も人前で話したり書いたりする研修講師にとっては恐怖のタネです。こうした間違いを一度もやったことがない講師はいないでしょう。もしいたとしたら、単に気づいていないだけです。

烏焉魯魚の誤りは、ここに紹介した「レジューム」や「シュミレーション」のような簡単な言葉ほど多いようです。難しい言葉や文字は一度頭に入ってしまうと、意外と間違いにくいようです。

郷ひろみの「若さのカタルシス(1980年)」という曲は、Wikipediaによれば「”カタルシス”という古代ギリシャ詩学、および現代心理学の用語をタイトルに引用した日本歌謡史上初めての作品である。ちなみに「ザ・ベストテン」にランクインされた際には”カタルシス”の意味がテロップ表示された」とあります。

私はテレビで、歌番組の司会者が「ずいぶん難しい言葉ですね」と郷ひろみに言うと、「難しい方が一度おぼえるとかえって忘れないですよ」と答えたことを記憶しています。

確かに、先日の研修でも、ホワイトボードに正規分布の確率密度関数はすらすら書けました。

ところが、簡単な漢字が書けませんでした。

いえ、老化現象ではありません。

若い頃から漢字が苦手だっただけです。

(人材育成社)

 


遅延証明書は何の証(あかし)?

2015年09月16日 | コンサルティング

本日、2015年9月16日の朝、JR中央線は約20分ほど遅れました。

「具合の悪いお客様を救護」、「荷物挟まり」、「安全確認」、「線路内に人が立ち入ったため※」等々、いろいろな理由で電車は止まります。もちろん、朝の通勤時間帯に集中していることは言うまでもありません。

そんなとき、必ず登場するのがこの縦4cm×横8cmの紙片、「遅延証明書」です。これが、改札口の近くに無造作に置かれた箱の中に数百枚単位で入っています。それを通勤客が次々に1枚取っては駆け足で改札を通り抜けて行きます。

この証明書ですが、遅刻による賃金カットに対して効力があるのかといえば、全くないそうです。

堅く言えば、「民法第623条により、雇用契約は労働しなかった場合には賃金を支払う必要はない(ノーワークノーペイの原則)。これは、雇用形態にかかわらない」ということですから、アルバイトでも派遣でも正社員でも同じことです。もっとも、通常は会社側がそこまで杓子定規に対応することは、まずないでしょう。

さて、この遅延証明ですが、海外にも同じような習慣(?)があるのか調べてみたのですが、発見できませんでした(きちんと探せばあるかもしれません)。どうやら、時間に正確な国民性を誇る日本特有のものらしいです。

しかし、朝の通勤電車が毎日のように遅れている現実を見ると、単なる形骸化した風習に思えてしまいます。

日本人が真面目で時間に正確であることは、間違いないと思います。とはいえ、それを自ら確認するためにだけにこんな紙切れを大量に印刷して配るのはどうかと思います。それも毎日となると「自己満足のコスト」は決して小さくありません。

・・・いや、もしかするとそうではなく、これは日本的様式美の一種なのかもしれません。

海外(特にラテン・・・あ、いや、失礼)からお客様がお見えになった時に、お土産として1枚差し上げてはいかがでしょうか。きっと話のタネになることは間違いありません。

※ 線路内人立ち入りの為」は「痴漢発生の隠語」、というのは正しくないそうです。

(人材育成社)


国立大学の文系は不必要?

2015年09月13日 | コンサルティング

今年6月、文科省は全国の国立大学に向けて、組織や業務全般の見直しを行うよう「文部科学大臣通知」を出しました。その中の「教員養成系学部・大学院や人文社会科学系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」という一文がちょっとした波紋を起こしました。

これが、大学関係者を中心に「文系学部は廃止するか、企業が求める人材を養成するように」という通告だと受け止められたのです。

日本学術会議や多くの大学の教員から疑問の声が多数上がりましたが、専門家の意見はさておき、ツイッターや身近な人の意見は様々でした。

先日、居酒屋で理系出身の友人とこの話題が出ました。

「学生時代を思い出すと、文系の連中ってほとんど勉強してなかったな」
「それでも大企業に就職した奴もいたし・・・勉強する意味ないよね」
「国立大学に文学部なんて必要?税金で昔の小説を勉強してどうするの?」

・・・と、こんなことを言っていました。文系出身の私ですが、友人の意見を終始うなずきながら聞いていました。

さて、人文系学部を廃止するのが「企業が求める人材を養成する」ために必要なのか、考えてみました。

しばらく考えているうちに、当の(?)企業側である経団連からの声明が出てきました。少し長いのですが、一部を紹介させていただきます。

1.人文社会科学を含む幅広い教育の重要性  2015年9月9日 一般社団法人 日本経済団体連合会

国立大学法人の第3期中期目標・中期計画に関し、6月8日付で発出された国立大学法人に対する文部科学大臣通知では、教員養成系学部・大学院や人文社会科学系学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」としている。これを巡って、様々な議論が行なわれている。その中で、今回の通知は即戦力を有する人材を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像は、その対極にある。

かねてより経団連は、数次にわたる提言において、理系・文系を問わず、基礎的な体力、公徳心に加え、幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力、自らの考えや意見を論理的に発信する力などは欠くことができないと訴えている。これらを初等中等教育段階でしっかり身につけた上で、大学・大学院では、学生がそれぞれ志す専門分野の知識を修得するとともに、留学をはじめとする様々な体験活動を通じて、文化や社会の多様性を理解することが重要である。

また、地球的規模の課題を分野横断型の発想で解決できる人材が求められていることから、理工系専攻であっても、人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である。

ここには、産業界が必要とする人材像がわかりやすく表現されていると思います。 文化や社会の多様性を理解すること、文理を超えて関心を持ち知識を身につけること、つまり特定の分野に片寄らないアタマを持った人材を求めているわけです。

しかし残念ながら、現在の大学、特に文系の学部がそれに応えているとは言えません。一方、理系は少なくとも専門分野においては学生をしっかりと鍛えていることは確かです。大学の文系学部の改革は必要です。

では、すでに企業で働いている社員にとって「文化の多様性に関する理解や文理を超えた幅広い知識」は不要なのでしょうか。

またひとつ考えるべき大きな問題が、頭の中に居座ってしまいました。

(人材育成社)


吾(われ)日に三省す

2015年09月09日 | コンサルティング

論語は孔子の言葉を弟子たちがまとめたものですが、孔子が没して二千五百年も過ぎた現代でも十分に通用する言葉で満たされています。

正直なところ私は、儒教というのは封建社会における秩序維持の思想だと思っていました。うさん臭い、古臭い、押しつけがましい(UFOですね!)という印象を持っていました。思えば「論語読まずの論語知らず」だったわけです。

あるきっかけから、何年か前に初めて論語と正式に(?)向き合いました。

そのときに思ったことは「当たり前のことしか書かれていない」、それも「言葉足らずなくらいシンプルな表現」というものでした。しばらくして読み返しても「当たり前のこと」、そしてまたしばらくして読んでみても「当たり前のこと」ばかりです。

やがて何となくわかってきたのは、人類が二千五百年かかっても「当たり前のこと」ができていないという事実です(私も鈍感ですね)。

論語の言わんとするところが実践されていれば、論語など誰も読まなくても問題はないはずです。ところが、現代に至っても仁(他人への思いやりの心。論語でいう最高の徳目)が世の中に定着している様子はありません。孔子先生も、まさか二千五百年後の未来がこの程度であるとは思いもしなかったでしょう。

さて、なんのかんの言いながら、私は論語をよく読むようになりました。まだ「論語読みの論語知らず」の域にすら達していませんが。

最近のお気に入りは次の言葉です。

曾子曰く 吾れ 日に三たび 吾が身を 省みる。
人の為に 謀りて 忠ならざるか、
朋友と 交わりて 信ならざるか、
習わざるを 伝うるか。

『論語』巻第一 学而

(訳文)

曾子(孔子の弟子)が言いました。
「私は日に3回自分の行ないを反省します。
1つは人のために真剣に物事を考えてあげただろうか
2つは友人と接するときに誠意を持っていられただろうか
そして3つはまだ自分がきちんと理解できていないことを、
受け売りで人に教えはしなかっただろうかということです。

研修講師にとって3つ目は特に肝に銘じておくべき言葉です。

そして、これは三省堂書店の名前の由来にもなっています。

(人材育成社)

三省堂書店 | 会社情報 : 企業理念


緊張が解けるときは要注意

2015年09月06日 | コンサルティング

徒然草の第百九段「高名の木登りといひし男」は、木登り名人の逸話です。名人が木の手入れを監督していました。ある作業者が非常に高いところにいるときには何も言わず、木から下りてきて軒先くらいの高さまできたところで「ケガをするな。気をつけて下りろ」と声をかけました。

なぜ落ちても大ケガをしないくらいの高さまできてから注意をするのか、その理由を聞いてみると名人はこう答えました。

「目がくらむほど高く、枝も折れそうな危険な場所では、放っておいても気をつけるので声をかけません。安全なところまで降りたあたりでケガをするものなんです」と言ったのでした。

確かに、人はかなり緊張していると何も言わなくても自分で気をつけます。ところが、安全な状態にさしかかると、とたんにケガやミスが多くなります。

実は私自身もそういう経験があります。

はじめて使うコンテンツやテキストで研修や講演に臨むことは大変緊張します。一日研修となると、朝から夕方までずっと緊張しっぱなしです。そして、午後四時を過ぎて終了時間まであと少しというところまで来ると、やれやれ何とかなった、と気が緩む瞬間があります。ミスはそんなときに起こります。

先日も、「あ!”この点については後程詳しく説明します。”と言った箇所の説明がまだだった!」というような、うっかり型のミスを起こしました。終了時間ぎりぎりになって駆け込み的に説明をしましたが、反省しきりです。

さて、企業にも「木登り名人」がいるようです。

ある企業のベテラン人事部長が新人採用面接のコツを教えてくれました。

「最近の学生はしっかりと面接対策をしてきているので、なかなか良し悪しを見抜けない。面接が終わって緊張が解けてきた頃にちょっと雑談してみると、その学生の出来が良いかよくわかる。」

私は「どんなことを話すのですか?」と聞いてみたところ、笑いながら「そりゃあ、企業秘密だよ。ここで喋ったらブログのネタにするでしょ?」と言われてしまいました。

図星です。

(人材育成社)


「ためしてガッテン」トイレの問題解決ハネがゼロに!」

2015年09月02日 | コンサルティング

ブロンズ製の小便小僧。JR浜松町駅のホームの端にある、小便小僧をご存知の方も多いと思います。

この小便小僧、港区の手芸グループ「あじさい」の手作りによる季節に合わせた衣装を身にまとっています。その衣装は、毎月変わり、時にはねじり鉢巻きをしていたり、12月にはサンタクロースになったりなど、季節感あり、ユーモアありで、とても楽しいのです。私は浜松町駅で降りた時に時間が許せば、わざわざホームの端まで歩いて写真に収めるようにしてきましので、これまでにずいぶんたまりました。

この小便小僧、魅力を感じさせるのは衣装だけでなく、いつも得意げな表情で小便を思いっきり放っていることも理由の一つなのかもかもしれません。

話は変わって、今夜のNHK「ためしてガッテン」では「トイレ問題第解決SP・物理学でハネがゼロに!」を取り上げていました。これまで数々のテーマを取り上げてきたこの番組ですが、このテーマを取り上げるのは、さすがに今夜が初めてだったようです。

さて、男性の皆さん、唐突ですが、あなたは自宅のトイレで小用の際に立って済ませますか? それとも座りますか?(いきなりの質問で失礼!)

家族ならともかく、この質問を他人にするのはやはり憚られますので、これまで聞いたことはありませんでしたが、私自身、実体はいかに?と密かに疑問に思っていたのでした。

そうしたところ、この疑問に関してSUUMOジャーナルのアンケート結果を見つけることができました。

結果は洋式トイレで座って用を足す人が55%、立って済ます人が43%、残りは和式トイレだそうです。

この結果ですが、私は座って済ます人が立って済ます人を上回っているとは思っておらず、正直意外に感じましたが、皆さんはいかがでしょう?

話を戻すと、今日の番組テーマ「尿ハネ」については、座って欲しいと考える妻と立って用を足したい夫との間で大問題となり、中には離婚問題にまで発展してしまうくらい、大きな問題になるケースもあるとのことでした。(決して笑えないような問題なのですね・・・)

番組では、どうすれば尿ハネを少なくできるのか、どこをめがけて用を足せば飛び跳ねを抑えることができるのかを実験していました。

結果は「ねらう位置」によって大きな差が出ました。

跳ねが少ない順に並べると、

1位  154滴 便器の中にトイレットペーパーを敷く

2位  277滴 便器の斜面

3位  293滴 便器のサイド

4位  372滴 便器の水たまり

5位  7,550滴 便器の奥の壁

(結果もそうですが、1滴ずつ測定したことに脱帽してしまいます。)

この結果からわかることは、「奥の壁を狙ってはいけない」ということです。

さらに番組では、最新物理学の成果を求めアメリカへ向かったところ、究極の用足しは、「12センチの法則」とのことです。落下地点から12センチの距離で、用を足せば一番ハネが少ないということです。(男性の皆さん、よろしいですか。(笑))

さて、弊社の事務所のトイレには、座って用をたしているイラスト共に「座ってご使用ください」の言葉を添えた用紙を壁に貼っています。おかげでこれまでトイレが臭ったりすることもなく、掃除も楽でとても助かっています。

弊社の「問題解決」をテーマにした研修では、問題解決に向けてステップを踏んで解決していく手法を練習していただいていますが、座って用を足したことのない方は、これを機に新しいステップへ踏み出してみてはいかがでしょうか。(笑)

(人材育成社)